食糧ビルディングのその後
 東京都江東区佐賀1-8-13
鬼頭早季子 
(筑波大学大学院)

2002年11月に一つの建物が幕を閉じた。食糧ビルディング。
1927年、米商人たちにより建てられ、東京廻米問屋市場として機能し、戦後、江東食糧販売協同組合に受け継がれる。1983年、佐賀町エキジビット・スペースがビル内にできて以来、文化の場としても活かされていた。老朽化による維持困難と、米市場の不況からビルの解体が決定され、Emotional Site展が開催される運びとなった。同展ではビルに集っていたギャラリーに係わる作家が作品を寄せ、美術作品とともに、今後無くなってしまう建物へも視線が注がれた。
会期中は建物竣工より、一番の来客で賑わった日々だったのではないか。
そして私はそれが惜しまれつつ、取り壊された後に建設予定であったマンションが見たくなった。一足早く、建設現場へ。そこに置かれたチラシには、「コンセプトはクラシック・モダン」と名が打たれた建築士の言葉があった。マンションは、江戸の膝元としての伝統と文化が染込んだ場所でもあり、近代建築として評価の高かった食糧ビルの跡地でもある、「歴史を重ねながらもつねにモダンな存在」という二重性を孕む。だから「クラシック・モダン」な要素を外観デザインに採り入れる。江戸、そして以前の取壊されたビルの評価や価値を認識しながらも、経済性に見合った新しい建物を建てなければならないという建築家のジレンマに、今後も都市のあちらこちらで遭遇するだろう。

『Emotional Site』(展覧会図録)、エモーショナル・サイト実行委員会、2002年
www.31monnaka.com参照。