京女、強し。来館者リクエスト作品第一位は上村松園<待月>、第二位は同じく松園の<人生の花>、三位は中村大三郎<ピアノ>、十位以内に七点も女性を描いた作品が選ばれている。作家ランキングにおいても、五位のうち三人を「女流画家」が占めた(一位松園、四位秋野不矩、五位梶原緋佐子)。 この結果は何を物語っているのだろうか。日本画は、上流家庭の子女の嗜みであり教養の一つとされていたため、洋画に比べれば活躍の場は開かれていた。とはいえ、戦前までの女性が職業として画家を志すことは困難であり、そのような軋轢の中で描くことが許されたのがイコンとして理想化された女性像(美女・母・少女など)であったと考えられる。これらの画題は、本来的には卑俗で私的な絵画―下位の絵画とされ、男性画家をおびやかさない画題として女性が手がけることが許されたものと思われる。同時に、「美人画」という理想化された女性像自体が女性的・日本的という規範を作り出し、現実の女性を規定してゆくとすれば、そのような男性による規範を受け入れ内面化した結果、「女流画家」の多くが「美人画」を描くという歴史的事実が生じた可能性がある。女性が、自我の意識ゆえに制作したとしても、「美人画」を描くということで再び自らを女性という枠組みへ囲い込む危険性と隣り合わせの状態にあったのではないか。大正期、下層の女性を描きづつけた梶原緋佐子の「美人画」への転向は、当時の女性画家の葛藤を生々しく示すものではなかったか。 また、その形成が「洋画」成立の結果である「日本画」というジャンル自体が、男性である「西洋絵画」に対して、そして「洋画」に対して二重に女性として措定されるという、女性性が投影されやすいジャンルだったのかもしれない。 そのような彼女達の「美人画」がランキングの上位を占めるのは、未だにそのような男性優位的な視線が支配的である、ないしごく自然に行使されていることを意味しているのだろうか。さらになお、読み取るとすれば何が見えるのか。このような教条的な言説からこぼれおちる、松園のゆかしい身体性を感じさせる「美人画」なるものの世界が相当に豊かであることもまた事実だと思う。 リクエスト展という形態はいろいろなことを考えさせる。今回の展覧会は、アンケートの回答をパターン別に数値化して見せることで、形態が言説化することを避けるだけでなく、それを顕在化させる実直な試みとなっていた。
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