マイケル・カミールの研究を貫くテーマは「他者」の表象といっていいかもしれない。ゴシック美術の歴史を専門にしながら、つねに、従来等閑に付されてきたイメージの豊かな内包を掘り起こす著者による本書は、十三世紀に制作された写本に始まり、修道院、大聖堂、宮廷、都市などの文化的な「中心」から排除された「周縁=他者」に象られたさまざまなイメージに視線を向ける。そこには、淫らな猿や想像上の奇怪な怪物たち、スカトロジックな嗜好に耽る貴族や修道士、曲芸を披露するジョングルールや顔を歪めた人頭柱頭など、ありとあらゆる荒唐無稽な存在たちが犇いている。これらのイメージは、写本のテクストや「石の百科全書」たる大聖堂が体現するキリスト教の教義をただ装飾する卑小な挿絵ではない。カミールは、それぞれのコンテクストにおきなおしてこれらのイメージを分析することで、「中心=テクスト」には回収し得ない、むしろそれを時にはずらしたり、転倒させたり、パロディーとして笑い飛ばしたりさえする「周縁=イメージ」の力を余すところなく分析している。
さらに本書の魅力となっているのは、カミールがイメージを分析する際に持ち出してくるさまざまな切り口である。中心と周縁という問題は、いまやもう古い二項対立に見えるかもしれない。しかしそこには、言語(テクスト)対挿絵(イメージ)、ヒエラルキーと境界侵犯の問題(聖と俗、キリスト教徒と異教徒、都市と街壁の外に横たわる未知の土地、男性と女性、貴族と一般民衆、人間と動物・・・)など、さまざまな問題が含まれている。さらに、イリュージョン技法のもつ多義的な機能、一見禁欲的なキリスト教におけるセクシュアルな想像力の問題、読書形態や識字状況とイメージの関わり、複製印刷物というメディア革新と挿絵の問題にいたるまで、今後、新たに考えていかねばならない論点があちこちに鏤められている。きわめて示唆に富む一冊といえよう。
参考までに、写本の周縁に描かれたイリュージョニスティックなイメージについて、別の観点から論じた興味深い書物がある。そこでは、イメージに対する呪物的(フェティッシュ)で聖遺物崇拝的な身振りが浮き彫りにされており、やはりイメージの受容を考える上で非常に興味深い。
※トマス・D・カウフマン『綺想の帝国−ルドルフ二世をめぐる美術と科学−』工作舎1995
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