ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史 ──19世紀における空間と時間の工業化』
 加藤二郎訳 法政大学出版局、1982年、2800円(税別)
佐藤守弘 
(本学講師)

タイトルだけを見ると、芸術学とはまったく関係がなさそうに思えるが、実は本書は視覚文化論の必読書とされているものである。著者は、19世紀ヨーロッパに網目のごとく張り巡らされた鉄道が、人々の知覚──特に視覚──にどのような影響を与えたのかを綿密に検証する。鉄道の窓からの眺めは、それ以前の移動において経験されたどんな景観とも違う。高速で移動するため、前景は矢のごとく過ぎ去り、知覚されない。はるか遠方の景観のみが、「パノラマ」的な「奥行きを失った」景観として感知されるのである。ここにおいて、観るものと観られる景観のあいだには、「実体なき境目」が挿入された。この知覚は、鉄道だけではなく、総ガラス張りの建築(ロンドン万博における水晶宮)や、百貨店の発達、さらには印象派以降の近代絵画にも通底するものであった、と著者は説く。近代芸術研究を志す人には、特に一読をお薦めしたい。