多木浩二『写真論集成』
 岩波現代文庫、2003年
佐藤守弘 
(本学講師)

今回紹介する文献は、1970年から85年批評家、多木浩二による写真論をまとめたものである。彼は、『眼の隠喩――視線の現象学』(青土社、1988年)、『天皇の肖像』(岩波書店、1988年)、『写真の誘惑』(岩波書店、1990年)などで、写真を広い視点から見た独自の批評を展開してきたが、本書はそれらに収められなかったテクストを比較的初期のものを中心にまとめたものである。

すでに建築批評などで知られていた多木は、1969年に中平卓馬、高梨豊ら(のちに森山大道も参加)と同人誌『プロヴォーク』を発刊することによって、積極的に写真と関わりだす。「アレ/ブレ/ボケ」と称される独特のスタイルを写真家としては追求し(ちなみにこの後、写真作品は発表していない)、さらにはグループの思想的な中心として活躍した。

『プロヴォーク』はたった三号で終了するものの、直後に中平とともに編集した写真集『まずたしからしさの世界をすてよ』に所収されたエッセイ「写真になにが可能か」が、まず本書の冒頭を飾る。ここでは、写真の根源に関わるさまざまな問題系、すなわち「リアリティ」「認識」「主体性」などに切り込んでいく。その上で、彼が写真を通じて到達したいこととは、「現在を過去からも、予測される未来からも救い出して、不気味な『裸の世界』として現前させること」であるという。これは、1970年という激動のただなかのある一時点で思考されたものであるが、時代に応じて多木は、写真というメディアに関する思索を繰り広げる。時には現象学、時には記号論とさまざまな切り口から、写真そのものに迫る試みを追うことができるのが第一部である。

第二部では、アジェ、マン・レイからベッヒャー夫妻、シンディ・シャーマンに至る個々の写真家について、第三部では写真を使用したメディアの興亡について、そして第四部では、ファッション写真について扱った論が集められている。第一部が比較的抽象的で、理論的なアプローチであったのに対して、残りの各部ではより個別的、歴史的アプローチが見られる。

多木の批評は、いわゆる「写真界」の内部には決して留まることがない。同じように、建築、美術、デザイン、さらにはスポーツや戦争に至るまでの幅広い批評活動においても、「内輪」の意見を提示することはない。つねに一歩先を行く(そのかわり、気が付くと違う領域に移ってしまっている)多木の批評を楽しめる一冊である。