ベルトルト・ブレヒト『三文オペラ』
 千田訳、岩波書店(岩波文庫)、1961年、500円(税別)
 isbn:4003243919
若林雅哉 

「叙事演劇」を標榜する作家ブレヒトの戯曲である。この文庫本は、ブレヒトによる『「三文オペラ」への註』をあわせておさめている。この『註』は、『三文オペラ』に即して叙事演劇の制作を具体的に説いているため、ブレヒトの思想への入門にはすこぶる便利である。ブレヒトによれば、19世紀までのリアリズム演劇は、劇場の光景に没入することで現状を受動的に受け入れてきたという。この習慣を、「ソング」や「プラカード」などの「異化作用」(Verfremdungseffekt)によって意識的に打破するのがブレヒトの「叙事演劇」であった。「・・パネルやプラカードに映された字を読んでいるときには、観客は、煙草をふかしながら観察している人と同じ姿勢になっている。・・(喫煙という)個人的なことにいそしんでいる人を、演劇の魔術にひきこもうとしても無駄」なのである(『註』より)。また協力者ヴァイル作曲の「ソング」も、物語に差し挟まれることで、挿話的な物語構成に奉仕するのであり、なめらかなドラマの展開とそこへの観客の没入を阻止しているという(当然の結果として、彼らはやがて訣別するだろう)。ここでは観客を巻き込む劇的イリュージョンの連続性(これを「アリストテレス的演劇」とブレヒトはいう)よりも、断続こそが狙われているのである。しかし、そのような連続性すなわちシークエンスの幻想を、アリストテレスは果たして信頼していたのかどうか。また、その幻想はブレヒトが考えるほど簡単に打破できるのかどうか。ことはそう単純ではないはずだ。