だが上述(別項)の「アンティゴネーもの」の主人公はもはやアンティゴネーという名前の人物ではなく、その中心は近代的な個人と共同体の相克によってとって代わられている。ならばここでは、「名前」(あるいはキャラクター)に焦点をあてた本でバランスをとっておくのも良いだろう。扱われる猪八戒は『西遊記』の周知のキャラクターであるが、古典小説をふまえた続編やパロディ(「擬旧小説」)の主人公として、いまだに引っ張りだこの存在でもある。西遊記へと流れ込み、さらには後世に受け継がれていく“愛すべき大食らい”のイメージの変遷を、『猪八戒の大冒険』は、興味深いトピック(黒い八戒が白くなるアレンジがうまれる経緯など)によって描きだしていく。特に「現代のSFに登場する八戒」、「法政大学に留学する八戒」などは衝撃的でもある。こうした「八戒たち」の発生は、もちろんキャラクター=名前への愛着によるものであり、アンティゴネーの場合とは事情が異なるのは明らかだ。さて「名前」について考えてはみたいが、どうしてもブタは苦手だという方には、クリプキ『名指しと必然性』(矢木沢ほか訳、産業図書)を。丁寧な訳者解説があるので、ゆっくり読めば必ず得るところがあるだろう。またブタも分析哲学もお断りというのなら、出口顕『名前のアルケオロジー』(紀伊國屋書店)で、レヴィ=ストロースの仕事について考えてみるのも良いだろう。だが「あなたの名前は、本当にあなたのものだろうか?」(帯より)。
|