俳優・上演習慣・舞台
 河合祥一郎『ハムレットは太っていた!』ヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』オリヴァー・タプリン『ギリシア悲劇を上演する』ミリントン&スペンサー編『ワーグナーの上演空間』
若林雅哉 

演劇、音楽、舞踏、オペラ等々の上演芸術(performing art)は、ふつうパフォーマー(行為者)によって上演されて、われわれの前に現れる。もちろん現在では、「作品」がパフォーマーによって「解釈」や「演出」を施され、われわれに提示されるという把握は、もはや自明ではなくなったが、いまだに支配的といってもよい。ただし、だからといって、そうした各々の上演行為は刹那的に消費されるばかりではなく、各々の上演行為(また、その演出プラン)は互いに拮抗する価値をもつ。このとき、ほとんどそれ自体が「作品」であるといってもよいだろう(オペラのポネル演出が彼の死後にも受け継がれるように)。これから紹介する文献は、俳優や舞台など上演芸術の実践にまつわる要素が、いかに作品そのものと関わっているのかという問題圏を扱っている。いくつかは、初演時の演出・俳優についての再構成を強調しているが、それは<オリジナル(作品そのもの)へ帰れ>といった復古主義に根ざすものではない。(ときに作品に構造化されている)初演時の演出プランを、現在の演出プランを読み解くのと同じ関心で、発掘する手続きが示されている。論じられているのは、「文学」でもないし、まして「オリジナル」でもない。ひとつひとつの「舞台」である。

■ 河合祥一郎『ハムレットは太っていた!』(白水社、2800円+税)isbn:4560047227
■ ヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』(蜂谷他訳、白水社、3010円+税)isbn: 4560032521

河合の書物は、シェイクスピア劇の初演時の俳優たちを推定し、それが作品テクストにいかに映し出されているのかを論じている。序章で著者がいうとおり、初演にたずさわる俳優をいかに勘案してシェイクスピアが劇作に臨んだかということは、ほとんど研究されてこなかった。しかし、少人数の劇団によって運営されるエリザベス朝の演劇では、座付き役者シェイクスピアは、限られた役者仲間の中から演者を想定して作劇しなくてはならなかったはずである。著者は、資料を駆使して当時の俳優たちを精査し、テクストとの関係を洗い直していく。たとえば、伝統的に青白い細身の青年とされるハムレットにつけられた「fat」はどうか。著者は従来の「汗かき」という説を疑問視し、「太っている」ハムレットを論じる。ハムレットは、ちょうどヘラクレスのように、「硬く」「大きく」、そして「太っている」という美徳をそなえていた。上演実践に興味があるからだけではなく、他の意味でもわたしを力づける書物であった。──と、このように身 体特徴もまたテクストに刻み込まれていることを、この書物は教えてくれる。
河合は、従来の伝統のうちに隠されてしまった初演時の舞台実践に光をあてた。だからといって、現在までのプロダクションが間違いだったということでは、もちろん、ない。われわれの知る多くのプロダクションに、もうひとつ初演時のそれが加わったということである。コットの書物は、われわれが見知った、20世紀後半の多くの上演実践の原動力の一つになったものである(とくに演出家ピーター・ブルックとの対話・相互影響が知られている)。彼は、「実存主義を経過した」シェイクスピアを引き出して見せた。現在の政治状況を反映する『ハムレット』や、決定的な絶望に閉ざされた『テンペスト』である。いまなお多くの実践の可能性を秘めた書物と言っていいだろう。

■ オリヴァー・タプリン『ギリシア悲劇を上演する』(岩谷他訳、リブロポート、4000円+税)isbn: 4845706547

ずいぶん昔になってしまったが、ソポクレス『オイディプス王』に初めて接したとき強く印象に残ったのは、オイディプスの緊張感あふれる詮索よりも、登場人物たちの怒りっぽさであった。デルポイから帰ったクレオンも、予言を求められ召喚されたテイレシアスも、オイディプスと話すうちにたちまち喧嘩を始め、怒りを抱えて退場していく。もちろんそれには理由があった。古代ギリシアでの初演当時は、俳優の数が三人に限られていたのである。このとき、多くの役柄が 登場する劇においては、俳優は頻繁に退場しては仮面を付け替え、別の役柄として再び入場しなくてはならない。つまり、怒って舞台を後にする人物たちの行動は、新しい役柄を舞台に投入するための、仕組まれた退場だったのである。タプリンの書物は、原題「Greek Tragedy in Action」が示すように、ふつうは「古典文学」に留まっているギリシア悲劇を、当時の上演習慣に則って「演じさせて」みるものである。上に挙げた「入退場の工夫」に加えて、小道具や所作といった「視覚的手段」や(テクストにはあらわれない)「沈黙」といった、ともすると軽んじられがちな要素の意味を、舞台実践に即して説き明かしてくれる。

■ ミリントン&スペンサー編『ワーグナーの上演空間』(三宅監訳、音楽之友社、3800円+税)isbn: 4276130549

オペラ上演についての書物もあげておこう。一世を風靡したワーグナーの象徴主義的演出(ヴィーラント・ワーグナー演出)とその亜流も過去のものとなり、大枚はたいて出かけたあげく、骨組みのような簡素な舞台装置に迎えられるということも少なくなった。また背広を着たヴォータン(シェロー演出)にもすっかり慣れてしまい、もはや驚くことはない。10本の論文からなる本書所収のアッシュマン論文は、このようなワーグナー演出の歴史を整理しながら、舞台化をめぐる美学上の問題(作曲家の、演出家や聴衆にたいする権威など)を扱っている。またナティエ論文は、シェロー演出に記号論的アプローチを試み、<ワーグナーへの忠実さ>といったスリリングな問題を扱っている。いくらか古色蒼然としたアッシュマンも情報量は大きく、また他の論文(当時の歌唱法、舞台装置、ワーグナー受容、レコードでのワーグナーなどを扱う)も、それぞれ興味深い成果を示している。