戯曲から身体へ: 小劇場運動の展開から
 曽田秀彦『小山内薫と二十世紀演劇』/扇田昭彦『日本の現代演劇』/鈴木忠志『内角の和』/蜷川幸雄演出『真情あふるる軽薄さ2001』(DVD)ほか
若林雅哉 

 前号(別項参照)では、明治の演劇改良運動から「新劇」の成立までを概観した。そこには、近代西洋演劇の意識的な輸入(翻案、やがて翻訳)の系譜が窺えた。しかし戦後、「新劇」は、若い世代の“仮想敵”となるだろう。例えば、もたいまさこ(元「劇団3○○」。小劇場運動第二世代にあたる)は、かや乃役として、そして半ばもたい自身の声として次のように語るのである。「新劇でしょう? だめ! ああいう赤毛物。びっくりするのも、こーんなになって!(と、様式的演技) やだ、そういうの」(『やっぱり猫が好き殺人事件』)。赤毛物とは、赤毛の西洋人役ばかり登場するという意味で、新劇を嘲笑する呼び名である。西洋演劇ばかり追い求めている、日本人の“身体”にそぐわない──こういった新劇への反発から「小劇場運動」が生まれてくるのである。

■曽田秀彦『小山内薫と二十世紀演劇』(勉誠出版)2800円+税、
isbn:4-585-04067-6
 「真の翻訳時代」の到来を宣言する小山内薫らの自由劇場の開設により、戯曲を演劇の中心に据える「新劇」の時代は一応のピークを迎えた(第一次新劇運動)。自由劇場の終焉後、松竹キネマで「連鎖劇」(舞台進行の一部を映画で見せる当時の流行)に携わっていた小山内は、1924(大正十三)年、ベルリンで表現主義演劇を学んだ土方与志と「築地小劇場」を開設する(第二次新劇運動)。かれらは(リアリズムと表現主義という演劇観の相違に目をつぶりながら)翻訳劇上演に精力を注いだ。だが、もはや小山内は自由劇場時代の台本主義をとらない。「築地小劇場は、演劇の為に存在する。そして戯曲の為に存在しない」(小山内『A・演劇のために』)。曽田の書物は、二度の新劇運動を牽引した小山内の演劇観の変遷を、スタニスラフスキー、ラインハルト、バレエ・リュッスなどの演劇潮流を小山内がいかに摂取したのかという視点から描き出すものである。さて小山内の没後、築地は分裂し、土方はプロレタリア運動へと傾斜していく。新劇運動は、このあと政治的な立場・演劇の理念の相違から分裂と再編と解散を繰り返し、やがて戦時体制の大波に巻き込まれていく。その生まれては消える劇団の一つに、今につながる文学座(1937(昭和十二)年、岸田国士ら)があったのである。

■扇田昭彦『日本の現代演劇』(岩波新書)602円+税、isbn:4-00-430372-9
 敗戦後、それまでの抑圧から解放された新劇は隆盛を迎える。戦中からの文学座に加え、1946(昭和二十一)年には千田是也らによって俳優座が、翌年には滝沢修らによって民衆芸術劇場(後の劇団民芸)が発足する。だが新劇は、扇田の言葉を借りるなら「戦後演劇の新しいかたちを総体として作り出さないまま」60年代を迎えてしまう。この新劇への反発として、養成所に進みながらも新劇に反発する者たち(蜷川幸雄、清水邦夫)、また学生演劇から新劇に進むことを拒絶する者たち(鈴木忠志、唐十郎ら)によって、小劇場運動は担われていく。扇田の書物は、唐の状況劇場、鈴木らの早稲田小劇場、蜷川らの現代人劇場、太田省吾の転形劇場などの歩みとインパクトを再構成したものである。かれら「小劇場運動」の多彩な様相については、この必読書にあたっていただきたい。以下では、入手し易い資料を中心に紹介しよう。

■鈴木忠志『内角の和』(而立書房)1500円+税、isbn:4-88059-004-5、■ 鈴木忠志+中村雄二郎『劇的言語』(朝日文庫)740円+税、isbn:4-02-264182-7、■演劇実験室「天井桟敷」『奴婢訓』(ヴィデオ、UPLINK)5800円+税、ulv-078

 演劇実験室・天井桟敷を率いる寺山修司は、“見せ物演劇の復権”を唱え、プロの俳優よりも“奇怪な肉体の陳列”を目指した(『青森県のせむし男』、『大山デブ子の犯罪』)。それによって近代が抑圧してきた支配関係を露わにし、マイノリティによって観客を挑発しようと試みたのである。また状況劇場の唐十郎は「特権的肉体論」を携え、李麗仙らとハプニング的な街頭劇をゲリラ的に展開した。ここには、演劇を牽引するのは既に戯曲ではなく俳優の“身体”であるという意識がみられる。この“身体”の復権を、新劇への批判から自らの方法論に至るまで最も意識的に行ったのが鈴木忠志と早稲田小劇場であった。「新劇と呼ばれる舞台の特徴を、翻訳劇演技という言葉で表すのは、たしかに一番手っ取り早い・・ともあれ日本人ではない身振りや言葉を戯曲の要求に応じて、不自然なくこなせるようにはなった」(『内角の和』)。だが、鈴木は既成作品の断片をコラージュすることで台本を用意した。この断片の集合にすぎない台本を、演劇へと総合するのが俳優、とりわけ白石加代子の身体だったのである。そして鈴木は異化をねらう。言葉と身体行為を激しくズレさせることで、──泉鏡花の台詞を言いながら、小便をし沢庵を丸かじりすることで白石は、肉体と言葉の惰性に抵抗を与えたのである(『劇的なるものをめぐってII、白石加代子ショー』)。

■蜷川幸雄演出『真情あふるる軽薄さ2001』(DVD、TBS)5800円+税、pcbx-50214、
■同演出『王女メディア』(ヴィデオ、東宝)6000円+税、TD5234S

 60年代はまた、政治の季節でもあった。若い演劇人たちは、新劇のみならず、既成の体制・秩序に激しく抵抗していた。蜷川幸雄を中心とする劇団現代人劇場は、1969年、清水邦夫台本による『真情あふるる軽薄さ』を蜷川演出で上演した。客席の通路から現れた人物たちが舞台の幕に向かって行列を作る。やがて挑発的に振る舞う青年の叫びを合図に幕が上がると、舞台の上には40人ほどの長い行列ができている。この決して乱れない行列が国家体制の象徴であることはやがて明らかになる。青年と一人の女が、なんとか秩序を乱そうとするが空しい。やがて機動隊員そっくりの整理員らによって、青年は殺されてしまう。だがそのとき、観客もまた、棍棒をもった整理員たちが取り囲まれている。登場人物のみならず観客もまた体制の管理下にあったのだ。その後、蜷川は劇団を改組していくが(72年、櫻社)、連合赤軍事件のイメージを漂わせる『ぼくらが非情の大河をくだる時』など、政治的素材を手がけ続けた。しかし、政治闘争の悲惨な終焉と同様、蜷川たちの闘争劇も求心力を失っていく。櫻社は解散し、蜷川は東宝のプロデュースのもと、日生劇場『ロミオとジュリエット』(主演、市川染五郎(現・松本幸四郎))の演出に携わる。こうして商業演劇での蜷川の活躍が始まったのである。一連のシェイクスピア演出(近年では、石庭様の空間で行われる『真夏の夜の夢』など)は記憶に新しい。ここで挙げた『王女メディア』においても、『軽薄さ』から一貫する蜷川の特色──群衆処理(コロス)と視覚的効果(アジア風の絢爛な衣装)を堪能できるだろう。