美術史研究とジェンダー論
松本直子 

@リンダ・ノックリン『絵画の政治学』
(坂上桂子 訳)彩樹社(星雲社)1996年 2,243円、ISBN4795239312
Aグリゼルダ・ポロック/ロジカ・パーカー『女・アート・イデオロギー』
(萩原弘子 訳)新水社 1992年 4515円、ISBN4915165442
Bグリゼルダ・ポロック『視線と差異』
(萩原弘子 訳)新水社 1998年 4515円、ISBN 4915165809
C鈴木杜幾子/千野香織/馬淵明子編『美術とジェンダー』
ブリュッケ 1997年 4200円、ISBN479521672X
D池田忍『日本絵画の女性像――ジェンダー研究の視点から――』
筑摩書房 1998年 1155円、ISBN 4480042202
E熊倉敬聡/千野香織編『女?日本?美?』
慶応義塾大学出版会 1999年 2625円、ISBN4766407288
F北原恵『攪乱分子@境界――アート・アクティビズム』2000
インパクト出版会 1999年 2625円、ISBN4755400910
G若桑みどり『象徴としての女性像―ジェンダー史から見た家父長制社会における女性表象』
筑摩書房 2000年 5145円、ISBN: 448087321X


 1990年代の後半、ジェンダー論の立場から書かれた美術史研究書が次々に出版された。21世紀に入ってすでに数年が経過した今日においては、「ジェンダー(論)」という言葉も一般に眼にされ、耳にされるようになっている。ここでは、手に入りやすい基本的な文献をジェンダー論の美術史の展開をたどりながら挙げていくことにする。
 ジェンダー論の美術史研究の前段階には、欧米のフェミニストによる研究の蓄積があった。女性の美術史研究者たちは、最初に「女性アーティストは存在したのか」という問いを提起し、美術史の中に「埋もれている」女性芸術家の「発掘」を行った。「なぜ偉大な女性アーティストはいなかったのか」(リンダ・ノックリン、1973)という問を提起することは、美術史学の既存の枠組みそのものに対する疑問へとつながっていった。すなわち誰が「大芸術家」を決定するのかという芸術的価値の構築についての問題提起である。1970年代半ば頃からは、「芸術」に関わる諸々の概念や価値基準に対する脱構築的な動きが進むと同時に、作り手や受け手となる現実の「女性」もまた、社会的に構築されたものであり、作品に表象されている「女性」は、まさに構造化された「女性」像であることが示されるようになった。従来の美術史がいかに「男性」の視点から語られたものであるかを鮮やかに示したのが、Aの著書である。また、このあたりまでのフェミニズム美術史の思想的な展開については、@やBの序章や第一章がやや詳しく述べている。フェミニズム美術史において、どのような思潮に影響を受けて認識の枠組みが変化していったのかが抑えられている。1980年代後半になると、ジェンダー論そのものの進展により、フェミニズム美術史が前提としていた「男性」「女性」という二項対立的な枠組みそのものが批判されるようになる。「女性」(「男性」)を一枚岩的なものとして想定することによって、現実の性の多様性・多数性を排除し、規制する権力として働くという指摘がおこる(ジュディス・バトラー、1990)。このようなポストモダンの思想は、「女性」のみならず、さまざまなマイノリティへと向けられる構造化された「視線(眼差し・ゲイズ)」への注意を呼び覚ました。
 日本の研究者たちが、ジェンダー論的立場からの美術史研究をさかんに発表し始めるのは、90年代に入ってからである。よって、扱われる対象は「女性」にとどまらず、多様なものとなった。Cは、そのなかでも最初のまとまったジェンダー美術史の論集である。全部で11本の論文が収められているが、内容は日本、中国、西洋の美術史と現代写真、執筆者も、日本人女性研究者だけでなく、日本人男性研究者、北米の男性研究者が含まれている。このような論集に加えて、DFGのように日本絵画・現代アート、西洋美術という専門領域ごとの著書も発表された。
ところで、このころは、20世紀の終わりにあたるとともに、日本における「美術史学」が成立しておよそ100年が経過したこともあって、「美術史学」という学問領域そのものに対する回顧、見直しが行われた時期でもあった。そのような場の一つで、千野香織氏がジェンダー研究の重要性がうったえたことをきっかけにして、日本の美術史学におけるジェンダー論争が起こった。日本の美術史学界においては珍しく「熱い」論争が繰り広げられたのだが、この件についてのジェンダー論側からの総括がEとFに収録されている。これらをみると、二つの問題点が浮かび上がってくるように思う。第一に、ジェンダー論に対する、誤解や拒絶反応への対応のあり方である。第二に、誤解や偏見を解消するためにも、個々の研究の完成度、精緻さが一層求められていることである。今後は次世代の展開も期待される。