パトロンなる存在を、芸術家を経済的に援助する者、と定義するのは簡単である。しかし著者は「演出者」あるいは「もうひとつの創造者」と呼び、その存在の大きさに着眼した。それにより初めてなされた通史の試みが本書である。 著者は各時代のパトロンを論じつつ、その時代によって異なる姿を浮かび上がらせてゆく。例えば桃山時代には「混乱期の統一者としてのパトロン」を、江戸時代の文人画家には「パトロンと絵師の同一化」を見出す、という具合である。人の活動、人々の関係に焦点を当てた史的叙述は「超作家美術史」の立場をとる源氏とは対照的で、それだけ美の環境が具体的に描き出される。なお巻末の略年表は資料に留まるものではなく、「確認の視点」などといった作業仮説が盛り込まれている。 日本画を主たる対象とする美術評論家として知られる著者だが、京都で日本史を学び、近江で文化財保護行政に携わった経験に立つ日本美術史全般への論考も数多い。いずれも叙述が魅力的なのは、著者の問題意識が強烈であり、古美術についても、現在の私たちが享受しうるものとして問い続けておられるからに違いない。それは時代 的分野的に専門分化されてしまった美術史学界への挑戦でもある。本書もその一環であり、終章の「これからの芸術家とパトロン」の項は、原始から昭和に至る緻密な叙述を受けて現代を撃つ。
|