【単行本から】
(4)伊藤廉『絵の話』 美術出版社 1946年(1983年新装版) 作品をひとつひとつ観て、それ自体の表現を考えるのなら、時代も国籍もランダムに見てゆくのも手なのかも知れない。東京芸大で教鞭を執った洋画家の著者は、あえてルソーの次節に俵屋宗達を、平安仏画につづいてミケランジェロをとりあげては、読者にやさしく語りかける。戦後まもない『少国民新聞』への連載をまとめた本書の願いは、「(美しいものに感ずるこころが)自分のこころのなかにあることを、自分でわかるようになったのが絵ごころです」という一文にうかがえよう。美術鑑賞入門の児童書という以上に、“読んで考える美術書”として、息の長さをたもつ一冊である。
(5)シルヴィー・ラフェレールほか2名/編著 大西昌子・大西広/訳 『絵の中を旅する』 福音館書店 1987年 イール・ド・フランス美術館所蔵の一枚の絵(19世紀)をつぶさに見てゆくもの。「なにを話しているのかな?どこへ入ろうとしているんだろう?教会に気がついた?犬もいるね?木はなんの木?お天気は?」。次々に投げかけられる問いが、絵の細部へと読者をひっぱってゆく。背景をセピア色にして部分を浮かび上がらせる手法も効果的。巻末にはゲームがあるが、無論それは図像レベルだけにとどまらず、絵画表現への導きともなっている。編著者は子どものための展覧会「若草の博物館」の仕掛人だという。本書はその成果の一つで、ほかに訳者を同じくする『むかし、レオナルド・ダ・ヴィンチが……』(1987年)が刊行されている。
(6)本江邦夫『○△□の美しさって何? 20世紀美術の発見』 〈ポプラノンフィクションBooks13〉 1991年初版 \1200 [中学・高校] なるほど、細密に描かれた具象画では読み解きの楽しさがある。ところが抽象画となると大人たちもとかく敬遠しがちだ。近代美術館に学芸員として勤務する著者は、「みる」と「わかる」、形と色、などの問題からときほぐして、「○△□が、絵の主役になった話」──カンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチ、3人の抽象画家の創造へと読者を導いてゆく。なぜ20世紀に抽象画が生まれたのか、画家の作品と言葉から探ってゆく内容のため、文章主体でこの種の児童書としては硬派の印象。そこには、画家と読者それぞれの思考のあいだにある距離をすこしでも縮めて、筋道だって伝えようとした本書の意欲が感じられる。
(7)クリスティーナ・ビョルク/文 レーナ・アンデション/絵 (福井美津子/訳) 『リネア モネの庭で』 世界文化社 1993年 \1456 [小学中−高校] 今回もどかしいのは、子ども向けに企画された本だといっても、果たして実際にどれだけ受け入れられているのか明らかでないということである。そんななか、各国で翻訳され欧米で100万部を越えるベストセラーという実績を誇るのがこの絵本。同題のアニメ(日本コロムビア、1994年)もある。 主人公リネアは花が好きな女の子。本でモネの絵にひかれ、とうとうアトリエがあったジヴェルニーへ。それはモネの作品だけでなく、彼のまなざしに近づく旅となった。「池のむこう側にまわるまで、橋を見てはだめよ」「どうして?」「わたしたち自身の印象を得るためよ、モネのように」。 訳者は、原書をジヴェルニーのモネ美術館売店で見つけたという。さて日本のミュージアム・ショップには、このような児童書があるだろうか。
(8)佐々木均太郎/作・広瀬通秀/絵 『田能村竹田 日本南画の最高峰』 大分県教育委員会 1994年 [小学上] 偉人伝に芸術家が取りあげられることは少なくない。海外ではレオナルド・ダ・ヴィンチやゴッホが定番、日本美術でも雪舟、葛飾北斎、岡倉天心、荻原守衛などの例がある。そのほか各地の教育委員会刊行の児童向け図書に郷土作家が取りあげられることも多い。本書は大分県先哲叢書『田能村竹田』全4巻の成果にたつ異色作で、文人仲間との交遊をほのぼのと描く。とかく親しみにくい文人画の入門書ともなる点、非売品なのは残念。
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