《文献紹介》児童書でふれる美術史/美術館学(シリーズから)
 その2
杉崎貴英 

【シリーズから】

(9)網野善彦・大西廣・佐竹昭広/編
 『いまは昔 むかしは今』全5巻+索引1冊
  福音館書店 1989−99年 各\8000−8500
 中世説話を中心として、「日本列島に住んだ人びとの心の深層に、伏流水のように流れ続ける」言葉と形のイメージを、「鳥獣戯語」「人生の階段」など全5巻(各500頁前後)の切り口から尋ねもとめるシリーズ。編者は中世史・美術史・国文学の大家である。美術のみに限った児童書というわけではないが、ここには絵巻や風俗画などの図版がふんだんに盛り込まれているのである。しかもそれを様式ではなく、イメージの連関を考える手がかりとしていることは、日本美術への新しいアプローチをも示唆するといっていい。索引の「人の姿になる」「川のほとりの」など名詞にこだわらない項目は、本シリーズをして稀有なイメージ辞書としている。ただ会話体やクイズなど工夫はみられるものの、分量的にも子どもにはやや高度か。

(10)少年少女世界の美術館
 『レンブラント』ほか全12巻
 アーネスト・ラボフ/編著(薩摩忠/訳)
  1973年 主婦と生活社 
(11)おはなし名画シリーズ
 『ゴッホとゴーギャン』ほか全12巻
 森田義之/監修 西村和子ほか/執筆
1992−00年 博雅堂出版 各\2912−3200
[幼児−高校]
(12)小学館あーとぶっく
『ピカソの絵本 あっちむいてホイッ!』
ほか全10巻 結城昌子/構成・文
  1993−98年 小学館 各\1440
[小学初−小学上]
(13)はじめてであう絵画の本
 『ルノワール』ほか全16巻
 アーネスト・ラボフ/編著(みつじまちこ/訳)
1995年 あすなろ書房 各\1650
[小学中−高校]
(14)子供のための美術入門
 『名画のなかの動物』ほか全6巻
 コリーン・キャロル/文(斉藤律子/訳)
 原書名:How Artist See 
1995年 くもん出版 各\2000
[小学上−小学中]
 最後にシリーズものの美術鑑賞関係の児童書を簡単にみておきたい。(10)は、見開きで1点(及び参考図版1〜2点)づつ作品をとりあげながら、それぞれの画家の表現を語ってゆく。著者は画家・評論家。キーワードに色をつけた手書き文字が親しみやすいが、女性の訳者をえて、よりやわらかな語り口の(13)に生まれ変わった。画家の生涯をたどりながら名作を観てゆく(11)は、写真印刷も上質な大判で、作品の鑑賞により重きをおいた印象(ただ日本美術からは1巻のみ、それも「平山郁夫のお釈迦様の生涯」なのはいささか不可解)。
しかし小さな子どもが自分で読むには、絵に添えられるのは文章よりも詩のほうがふさわしいかも知れない。ルーシー・ミクルスウェイ構成『はじめてであう美術館』(俵万智/ことば、フレーベル、1994年)や(12)はその例。前者は「かぞえてごらん」「ゆめのなか」など、ごくごく短いフレーズで子どもの眼を絵に向けさせる。後者は子どもを対象にしたワークショップ活動も展開しているアートディレクターによる絵本。「ひとつの顔に/ふたつの顔/あっちむきの顔/やさしくほほえんでるみたい/こっちむいた顔/ちょっとおこってるみたい」(マリア・テレーズの肖像)。子どもの視線に語り口を合わせて、ほんのすこし先にあゆんで見方を提示する。クイズなどはワークショップでのアイデアを盛り込んだものであろう。子どもたち自身による創作への動機づけも射程に入れているようだ。「名画との楽しいつきあいかた」を提案する結城氏には他に、本シリーズの姉妹編ともいうべき『ひらめき美術館』第1館・第2館(小学館、1996年)や、列島各地の美術館とその名品を子ども向けに紹介する『パパ、美術館へ行こう』全6巻(小池書院、1997年)などがある(詳細はwww.rainbow-planet.net/artist/leader/index.html〔結城氏HP〕を参照)。
(14)の語りの姿勢はまた別のものだ。小学校の先生をしていた著者らしく、より強く子どもたちにはたらきかける。「これは、うずまく大吹雪で身うごきがとれなくなった船の絵です。船のまわりの吹雪のうずを、すばやく指でなぞってみましょう」(ターナー「吹雪」)。しかし「制作年や美術史の知識は、あえてのせませんでした。作品そのものを見ることに集中してもらうためです」と後記にあるように、ゴッホも北斎もエジプト彫刻もランダムにとりあげ、子どもたちが「目と体と想像力をつかって」「ひとつひとつの絵を自分で“体験”」することを意図する。近年各地の美術館で行われる子ども向け展覧会に、最も近い感じを受けた。

 さて今回の採集を通じて改めて感じたのは、まず子どもに伝えようとする場合、「です・ます」調や総ルビなど、文章表現をわかりやすくしたとしても、それだけでは“子ども向け”の本にはなりにくいということ。そこには“遊び”や“仕掛け”、“つかみ”がある方がずっと有効なのだ。教育現場では当たり前の事実だろうが、そのあたりの意識が稀薄な児童書もまま見受けられたのである。
次に、学芸員の執筆例もあるように、美術館での教育普及活動とは確かに共通項をもつものの、やはり根本的に異なるのだということ。目の前に実物があるかないか、ともに観る人がいるかいないかでは、子どもへの提示のしかたが違ってくるのもけだし当然であろう。その点、美術館での親子向け/入門的展示に際して作成されるカタログやセルフガイドには、工夫に唸るものが少なくない。ヒントを与えあうことはできそうである。なお来館者用図書室を設けている美術館は多いが、そこでは今回とりあげた諸書をしばしば眼にする。
それからもう一つ、日本美術とくに前近代のそれに関する企画の少なさに気づく。これはわからぬでもない。紹介しようにも保存のために展示期間が限られるものがほとんどだし、だいたい展覧会では借用品が多く、遊んでみようにも所蔵者の意向がそれを許さない場合が充分予測されるからだ。そうなると公的所蔵者たる美術館自身こそ、いよいよ積極的にとりくんでよいのだろう。板橋区立美術館編『親子で楽しむ古美術』展図録(2000年)は、所蔵の近世絵画で思い切り遊んでみた試みといえる。しかし一方、出版社刊行の書籍だからこそ実現可能な企画だってあるに違いないのだ。
 そういえば古書店主で作家の出久根達郎氏が、児童書の古本は喜ばれない、と書いていたことがあった。子どものために買い与えるものだし、絵本などはプレゼントとして贈られたりもする。子どもに夢をもたらす児童書は見た目に美しく新鮮であるべきだというならば、“古い本”ではいただけないのも無理はない。しかしひょっとしたら、日本の“地味な”“古い絵”が児童書になかなか登場しないのは、そんな事情も関係してはいないだろうか?ここはひとつ、日本美術の魅力を語る児童書の登場を今後に期待してみたいところである。
なお昨年、ルーシー・ミクルスウェイン作/高階秀爾監修・高階絵里加訳『なぞとき美術館 たんけんしよう』(フレーベル館、\1800[幼児])が刊行された由であるが、今回は参照できなかったことをお詫びしたい。  

【補遺】▽パオロ・グアルニューリ作・せきぐちともこ訳『ジヨットという名の少年羊がかなえてくれた夢』(西村書店、2000年)は、昨春の第6回日本絵本賞で翻訳絵本賞に選ばれた。既刊『レオナルド・ダ・ヴィンチと少年ジャコモ』はその姉妹編的な作品である。▽乾谷敦子『古都に燃ゆ』(1977年)は、日本美術を愛したラングドン・ウォーナーを軸に、第2の主人公というべき仏像修復家の新納忠之介や、日本美術院の画家達の活動をも生き生きと描く。創作の味わいももつものの、ノンフィクションとしての質は高い。▽以上2回にわたって掲載したが、なお優れた成果を見逃しているかも知れない。評価の問題も含めて、御教示いただけたら幸いである。▽最後に、人気のキャラクターが登場する小さな絵本を挙げておこう。ディック=ブルーナ作・角野栄子訳『ミッフィーのたのしいびじゅつかん』(講談社、1998年)。絵と話の単純さが、かえって子どもの想像力を刺激するのではないだろうか。もっとも美術鑑賞への動機づけとなるかどうか、そこは読み聞かせる側の美術館経験が問われるのかも知れない。