レコード・ジャケット論
 ブルー・ノート・レーベルにおけるリード・マイルスを中心として
 2001年度卒業論文
伊藤綾美 
(29851005 )

「ブルー・ノート・レーベルについて」

1939年、アルフレッド・ライオンは、ニューヨークに黒人のジャズ音楽専門のレコード会社ブルー・ノート・レーベルを設立した。このレーベルでは、録音技師ルディ・ヴァン・ゲルダー、写真家フランシス・ウルフ、そしてハウス・デザイナーのリード・マイルスが中心となって、レコードの制作を行った。
「課題の対象について」
本論文では、このレーベルのレコード制作のなかでも、主として「ジャケット」という視覚媒体に注目する。レコード・ジャケットは、デザインという視覚的効果を併せもつことで、いわば複製芸術品としての商品価値が高まった。もちろんジャズのレコードも例外ではなく、特にブルー・ノート・レーベルにおいては、予算をつぎ込んで購買層をくすぐるような一貫したイメージをヴィジュアル化する戦略が練られたといわれている。

「課題の提示」

そこで、当時の文化におけるレコード・ジャケットのイメージ戦略を探る上で、二つの課題を考察したい。まず、1950年代中頃以降のハード・バップ期に視野を限定し、この時期、ブルー・ノート・レーベルがどのようにジャズ音楽のヴィジュアル化を目指し、ジャケットのデザインを構成しようとしたのかを明らかにする。そこでハウス・デザイナーのリード・マイルスに注目し、その視覚的特性を探り検証することにしたい。次に、そうした視覚的特性をそなえたジャケットが、どのような文化的コンテクストのなかで作られ、どのようなねらいでヴィジュアル化されて購買層に受容されたのかを明らかにしたい。

「論旨の展開」

第一章 ジャケットの分析 〜写真・トリミング/タイポグラフィ〜

(一)フランシス・ウルフの写真とトリミング〜黒人演奏家の表象方法〜
リード・マイルスの手がけた(《Face To Face》( 4068))を分析したところ、動作がトリミングによって排除され、演奏家の姿が単色の濃淡で強調されていることが判った。このため、ジャケットには黒人演奏家の〈静かな〉印象が刻印されている。

(二)プレステッジのジャケット・デザインとの比較
上述のジャケットとプレステッジのジャケットを比較したところ、両者の演出に大きな差異がみられることが判った。それは、リード・マイルスのジャケットは、鮮明な写真を用いて印象的なクローズ・アップによって人物を演出しているという点であった。

(三)フランシス・ウルフの写真とタイポグラフィ
黒人演奏家の姿をジャケットに〈出しすぎない〉印象を受けるのは、複雑にデザインされたタイポグラフィと写真のバランスにある。また、手の込んだ工夫がほどこされたタイポグラフィによって、〈知性的な〉性格がジャケット前面に押し出されてくる。

第二章 ブルー・ノート・レーベルを取り巻く文化的コンテクスト

(一)ジャズ音楽の受容層について
ブルー・ノート・レーベルのレコードを購入することができたのは、裕福なインテリ層である。このような購買層に向けて、不自然なほどに〈静かな〉印象と〈知性的な〉イメージを売り込んでいったのではないだろうか。

(二)供給層におけるブルー・ノート・レーベルの位置づけ
アメリカ人の多くは、ジャズの価値を認めなかったが、ヨーロッパの移民たちは、ジャズの芸術性を率直に認めた。ブルー・ノート・レーベルのオーナーであるアルフレッド・ライオンも、ヨーロッパからの移民でありユダヤ系ドイツ人である。

(三)当時の文化的コンテクストにおけるジャケット・デザイン
ハード・バップ期の演奏行為は、非常に難易度の高いテクニックを求められる〈知性的な〉営みであった。黒人のアィディンティティは、ハード・バップ期におけるジャズの大衆化に伴って一般化したといわれている。しかし実のところ、依然としてマイノリティの音楽であることにかわりなく、〈大衆化された〉とはいえない。
音楽を演奏するということは、人間の内面から発するエモーショナルな行為である。しかしリード・マイルスのジャケットにおけるイメージは、限りなく〈静かな〉感じで〈出しすぎない〉印象をうける。また、その感情すらも表出しようとはせず〈理性的な〉様子が刻印されている。そしてこうした〈知性的な〉芸術性の高いジャズ音楽という打ち出しは、裕福なインテリ層に向けて発信されたイメージの表象なのである。

結び
ブルー・ノート・レーベルは、〈大衆化されていない〉ハード・バップ期のジャズ音楽を不自然なほど〈静かな〉表象によって、〈知性的に〉イメージ化しようとした。そして、このような視覚的特性をもつジャケットは、真に芸術性の高い黒人のジャズ音楽を表象して、ジャズ音楽がアメリカ独自の芸術だと認め進化させる功績を担いながらも、実は依然としてマイノリティの音楽世界であるということを露見させたのだといえよう。