1.はじめに
西欧の公共空間は、対話と共同の行為において成立する民主主権の確認の場としての広場という形で具体的に表現されたが、これは後には記念碑的機能に限定された。一方日本では、公共空間を自ら得るという意識が低かった。いずれにしても現在では、公共空間は不特定多数のためのオープンスペースとして機能していると考えられる。 そして現在、都市の公共空間に設置される造形物はパブリック・アート等と呼ばれ、その設置意義や社会との関係について問題とされることが多い。しかし、その設置経緯の否定は受容者の視覚情報によることが多く、それがパブリック・アートの否定へとつながっているのではないだろうか。ところが、造形物は時にその存在をアピールし、私達はそれに反応している。この造形物の積極的な作用は、受容者の空間認識によるものが大きいと考え、本論文では空間との関係から造形物を再評価しようとする。そこで、まず初めに日本の空間概念を整理し、次に造形物と空間の独立性を基準にした関西の三つの例を挙げて、その特色と設置理念を考察する。その中で、都市空間における造形物の存在意義を明らかにしようとするものである。
2.日本の公共空間における造形物導入の歴史とその特色
日本の屋外空間の特色は、庭園や名所、景勝地に表れている。これらの空間を構成する要素は、視覚のみならず体感することも含まれていた。また、見る側に多様な解釈を与える抽象性の高い空間が存在していた。これが後の造形物に与えた影響は少なくないだろう。そこで、戦後から現代にかけて、具体的に以下の三段階を考察する。 第一段階として、景観形成と街づくりのために、人体モチーフや著名作家の造形物が設置された。ただし、ここでいう段階は分類と捉えることもできることを含みおく。また、大阪市御堂筋沿いの例を見ても、この造形物は場所の意味について発言せずに、高い自律性と自己完結性をもっている。これは空間に対する独立性が高いといえ、日本ではこのような自己完結性の強い単体の造形物を受容してきたことを改めて思い出すのである。 次に第二段階である。大阪市内各所を始めとした都市部に多い巨大オブジェ型作品は、公開空地制度が生んだ新たな公共空間に設置されている。これによって、不特定多数のためのオープンスペースの利用が促進された。地域に対応させられた内向性の第一段階から、建物に呼応した外向性の第二段階へと変化し、造形物は都市のアクセサリーやリズムになっているといえる。 そして現在の都市環境の中で、造形物が人間の視覚から想像力に働きかける変化と共に、第三段階が生まれてきた。空間の変化に応じて対応してきたこれまでの段階とは異なり、この段階での造形物は、自然や人間と共生・調和しながら空間に初めから関わっている。これは空間との独立性が弱いといえ、これからの造形物の姿を示唆していると考えられる。
3.これからの造形物
このようにして、造形物は見る側に自己との対話を促し、空間に新たな意味を与えている。そして、都市における空間は、人間が体感し、多様な解釈で自由に創造できる空間となっている。これは、人間にとってかつて庭園や名所で経験したことの追体験といえるだろう。これが都市という日常の中だからこそ、その対比が明確になり、日常から隔離する役割をもっている。また、自律的空間を構成した単体の造形物が再び環境の一部となってきていることからも、現代の造形物は、都市空間の中でより強く作用するといえる この事柄は、受容側の視覚的評価が直接造形物の評価になってしまう現在の空間における造形物に、潜在的な可能性を与えている。造形物は、人間が持つこれまでの空間の記憶を呼び戻しているのだ。人間はそれぞれの段階の造形物がもつエネルギーを空間を通して感知し、そして受け入れている。効率と機能優先で秩序づけられた都市の中で、人の想像力の回復を計り、様々な空間を意味づけするために造形物はある。そしてその結果は、不特定多数のオープンスペースである公共空間の緩やかな変化を促し、さらに変貌させる可能性を含んでいる。しかし、それが結果として造形物の位置を曖昧にしているのだが、都市に設置されて、周囲と関わることで造形物は生きているのである。
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