序文
十九世紀末に活躍したフランスの画家ジョルジュ・スーラ(一八五九〜一八九一)は、新印象派に属し、点描画を描く芸術家として知られている。この「点描」という表現は、当時急速に発達した光学理論や色彩論に基づき、色が並置されることにより光と同じ原理で観者の網膜上で混じりあうという視覚混合を取り入れ、輝きに満ちた画面を生み出すものである。特に、点描で描かれたスーラの海景画には、独特な静寂が醸し出されており、魅了されるものである。今回の研究のテーマは、点描表現における色彩、線、構図を具体的な作品分析を通して考察し、スーラが理想とする芸術を探求することにある。
第一章 スーラの作品にみる視覚・色彩理論の影響
この章では、スーラが芸術に携わり始めた学生時代から、スーラの芸術観に影響を与えた視覚・色彩理論を取り上げ、それがどのように作品に反映されているのかを編年的に考察する。まず、学生時代には、シャルル・ブラン『素描芸術の基本法則』(一八六七)から多くを学び、ドラクロワの色彩、シュヴルールの補色の色彩対比を論じた理論にもこのころから触発されていた。一八八三年の作品《農作業をする女たち》や《庭師》を見ると、主に、黄、紫、青、橙といった補色を「バレイエ」という筆触で取り入れ、鮮やかな画面を生み出している。サロンには落選したが、構図を駆使した《アニエールの水浴》(一八八三−八四年)は最初の大画面の制作となった。スーラの代表作品でもある《グランドジャット島の日曜日の午後》は、点描のスタートでもある作品だが、スーラにおいて点描画は、主に海景画を持って「バレイエ」から「点描」への筆触の変化を見ることが出来る。ここでは主に、《オンフルールのバ・ビュタンの砂浜》、《オンフルールの夕暮れ》をとりあげ「点描」の見所を考察した。以後一八八六年ころ知り合ったシャルル・アンリの理論に影響を受けながら、色彩、線、構図はさらに独自に展開されていった。
第二章 スーラの芸術観
一八九〇年、スーラはモーリス・ボーブールに手紙を送っている。それには、「芸術それは、調和である。調和それは、トーン、色合い、線の相反するもの同士の類似、似通ったもの同士の類似である・・・。」と述べており、スーラの目指す芸術観が表明されている。ここでは、この手紙を書いたころの作品《グラブリーヌの運河》のシリーズ四点について分析する。この手紙に語られている要素が作品に最も表現されているのは、《グラブリーヌの運河:夕べ》であり、色彩や線、構図の配置は、相対立するものの調和を表している。他の三点に関しては、画面が太陽光線に照らされたように白っぽく描かれており、色彩の美しさより線や構図の調和に強調点がおかれている。また、視覚混合を取り入れていることは、人間の生理的機能とも協調しているため、細胞単位の光の粒子として点を用いるスーラの手法は彼の「調和」の概念にきわめて適したものだと自論を述べたい。また、グラブリーヌの作品四点には、アクセントとして不思議な造形物が配置されているが、スーラはそこで、総合された絵画芸術という中に新しい調和を模索していたのではないだろうか。
第三章 同時代の芸術家との比較
スーラがなくなった後、新印象派を押し進めたのは、ポール・シニャックである。彼は、スーラとともに,オグデン・N・ルードの色彩論、シャルル・アンリの理論を学んできた人物でもある。彼の作品には、当時の評論家フェリックス・フェネオンをモデルにし新印象派の芸術運動を公表する形をとったものもある。ここでは、スーラの点描法の特徴を浮き彫りにするために、シニャックの作品と比較考察した。シニャックの作品においては、一八九五年以降、南フランスの風景が鮮やかな補色効果の強い色彩で描かれており、目を見張るこの色彩の取り入れ方は、スーラとは違った点描画であり、非常に躍動感に満ちている。 シニャックの著書『ドラクロワから新印象派まで』(一八九九)の第五章には、分割された筆触について、「分割、これは、調和の複雑な一体系であり、技法というのはひとつの美学で点というのは手段に過ぎない。分割の原理に点描の地位は低い」と述べられている。このことは、細かい点で描かれるスーラの絵画との態度の違いを明らかに伝えるものと思われる。
第四章 まとめ
スーラの芸術において、色彩論を採用しながら鮮やかな画面を生み出し、点という技法を使用したことは、彼の考える「調和」の概念に結びついている。また、色彩をいかに分割するかに重点を置くのではなく、あくまでも「調和」という理念が重視された。さらに、スーラの芸術を探求してゆくなかで、絵画芸術が視覚に訴える力とは何なのかということに興味を抱くことにもなった。今後はさらに、新印象派前後の変遷に目を向け、ジョルジュ・スーラの芸術への理解をさらに深めてゆきたい。
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