1章 フェルナン・クノップフは、ベルギーのデンデルモンデ近郊グレンベルヘンで生まれた。父が行政官として赴任したブリュージュで幼少期を過ごした後、ブリュッセルに移る。ブリュッセル大学法学部に入学するが、画家を志してブリュッセル美術アカデミーおよび、グガヴィエ、メルリのもとで学び、1877年から80には芸術交流の中心地パリを何度か訪れて、ギュスターヴ・モローやラファエル前派の影響を受ける。1章ではクノップフの経歴ついて触れている。前世紀末には美術史上大きな足跡を残したクノップフであるが、例えば同時代のクリムトらと比べると、圧倒的に認知度が低い。私自身、「好きな画家は?」と聞かれる際に「フェルナン・クノップフ」と答えても、知人の間では理解を示した人は3人しかいなかったが、そのような前提のもと、以下、次章では、クノップフ作品の評価がどのようなものであったか、検証していきたい。
2章 「クノップフ作品についての評価」。クノップフをクノップフたらしめる作品のなかに《愛撫》がある。クノップフの作品は、モチーフそのものが原初的な思考をもって沈黙を守っており、薄氷を踏むがごとくの危さ、浮遊感をもつナルシストの美学ということになるのではないかとの解釈もされている。果たしてこの定義はどこまで通用するであうか。 3章 「クノップフ作品の図象」とし、クノップフ作品に何が描かれているかに眼目を起き、一つ一つ述べていきたい。《愛撫》はフェルナン・クノップフ作品の中で最も有名なものの一つである。この図に描かれる女スフィンクスと、それによりそう青年というモチーフは、1906年にサルファッティが、バルザックの短編小説、「砂漠の情熱」(1832)が文学的源泉であることを確認している。この物語はナポレオン戦役の最中、砂漠で消えたフランス軍の兵士と砂漠の豹との奇妙な恋愛を扱っている。黒い斑点と環紋をもつ豹の黄褐色の皮が詳細に記述され、豹の女性的、官能的性格が強調されている。兵士は豹に彼の昔の女主人の名前を与え、無言の愛撫にふけるというくだりである。恐らくこの青年とモチーフは「砂漠の情熱」から着想を得た、現代のオイディプスとスフィンクスなのであろうか。
4章では「解釈の限界」とし、図象の意味付けだけでは説明しがたい事柄を指摘することにしたい。青年オイディプスの手にもつ枝を、一方では冥府の使者たるヘルメスの持ち物である杖とする説がある。2人の背後のイトスギは墓地の木であり、青い二本の柱は「天国の門」と解することもできるというのである。そして芸術と死は、常に隣り合わせであり、死によってこそ芸術は永遠の生を獲得するのである。以上は本江邦夫説であるが、たしかに《愛撫》は正式の名称を《愛撫、芸術、スフィンクス》とする。また、他の説では青年を古代神話に出てくる「メルクリウス神」だとする。これが生田耕作説だが、柄飾りの部分に羽根の生えた杖は「メルクリウス神」を象徴する持ち物なのだとする。4章ではこれらの他の説ともあわせて指摘したいと思う。
5章では「視線と鏡のもたらす効果」とし、クノップフ作品にモチーフとして取り上げられる鏡について、各視点から論述していきたいと思う。クノップフにとっての最後の目標は、一枚の「鏡」としての画面を作り上げること、いやむしろ「正面=鏡」の上のイメージの威力を人工的につくりあげることではなかっただろうか。
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