広隆寺・弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)の美についての研究
 2002年度卒業論文要約
新井健一 
(29851191)

京都・広隆寺の宝冠弥勒は究極の美だといわれるが、それは近年に入ってからの評価で、造像時もそうであったかは疑問である。もちろん造像時も人々を魅了するものであったには違いないが、それは弥勒信仰を背景にした礼拝の対象としての魅力である。今日多くの費とは本像を美術品として鑑賞している。加えて本像の今日の容貌は造像時とはいくぶん異なるのである。また見る人の視点も同じではない。従って、美の受容(感動の契機)も当時と今日とでは違うと考える。本稿はこのような視点に立ち、元の像を探りながら、近代(明治以降)の視点で像の魅力を探ろうとするものである。

1、宝冠弥勒

宝冠弥勒は日本の弥勒菩薩のなかでもっとも古く、飛鳥時代前期(7世紀初め)の造像とされる。像は高さ84,20cm、総高123,3cmで、一本の赤松で彫出されている。その姿は椅子に腰掛けて、ぞうやって衆生を救済しようかと考え(思惟し)ている様子を表わしている。類縁像として奈良・中宮寺の菩薩半跏像(7世紀後半)などがある。
本像の表現は「瞑想」である。したがって、それは目立たない、控え目な表現である。様式は厳格な作風をもつ他の飛鳥仏には見られない優しいリズム感をもつ非止利様式である。西洋の古代彫刻に比べ、必ずしも均衡はとれていないが、顔、指に精緻な彫り込みをし、胴は大胆な省略を施している。全体的に簡潔にまとめられた佇まいで、これが崇高な精神を醸し出している。中宮寺像に比べると直線的な面の構成が目立つ。制作地については、当時の日本では彫刻材は稀であったこと、本像にきわめて似た像(韓国国立中央博物館の金銅弥勒菩薩半跏像)が当時の韓国にあったことから、赤松が豊富な朝鮮の新羅あるいは百済で造られ、請来されたとも考えられているが、定かではない。作者も不明である。

2、造像時の姿、今日の姿

本像は今でこそ表面の金箔や彩色が剥げ落ちて木地を露出しているが、もとは手や胸は法隆寺・救世観音と同様、かなり厚手の乾漆がおかれていた。『広隆寺資財交替実録帳』(873年)には「金色弥勒菩薩像壱躯居高二尺八寸所謂太子願御形」と記されていることから、当初は飛鳥仏らしい威厳と華麗さを漂わせた姿であったと推定される。今も耳や腹部のあたりに金箔が残っており、また胸や両手首に銅製の胸飾り、腕釧を止めたと思われる釘跡がある。さらに両肩上面には垂髪を貼ったかのような平らな面がある(明治37年の修理以前の写真には左肩に天衣の一部が残っている)。明治37年の修理で、江戸時代の修理で途中剥げ落ちた部分の塗り直しや失われた装身具の新たな取り付けを行い、醜く剥落していた乾漆の部分を取り去り、現在のような木肌の見える状態になった。「飾る美しさ」「飾らぬ美しさ」という分け方をすれば、今日の像は「飾らぬ美しさ」である。

3、近代の評価

昭和以前は美術史学自体も盛んではなかったこともあり、本像は今ほど有名ではなかった。それが一般に知れ渡ったのは戦後、ドイツの哲学者K/ヤスパース(1833〜1969)が本像を「これこそわれわれ人間がもつ心の永遠の平和の理念を最高度に表現したもの」と絶賛したことにある。また、仏像写真の普及や文芸誌に登場し、さらに、昭和35年、学生のいたずらで右手薬指が損傷し、これが新聞で大々的に報じられたことや、その修理の際、これまでの補修箇所が一般に明らかにされたこと、また最近ではヨーロッパ美術や工業デザイン、インテリアなどからの刺激と示唆により、美術に対する関心が高まったことが大きく影響している。昭和25年、彫刻部門の国宝第1号に指定されている。

4、美の源泉

本像に美をもたらしているものは技と素地(が表われたこと)である。視覚を通して見た場合は、瞑想的な顔つき、頬づえをついた右手の指の微妙な動き、ほっそりとした体躯などである。これが醸し出す控えめな気品に満ちた様式(簡素、奥ゆかしさ)が日本人の心情・特有の美意識(それは誠実、正直、真摯、謙虚、感謝、慈愛などで表わされる人間がもっとも大切にすべき規範)に一致するのである。この規範は日本に限らず、どの国でも重視される規範・心情であることから、ヤスパースは感激したものと推測される。今日、西洋美術の普及や作品の商品化により、人々は人体美(裸体)とかコントラポスト(調和と均衡)あるいは美的センスを無意識に身につけている。その現代日本人が本像に魅力を感じるのは“崇高さ”もさることながら、本像がどことなく垢抜けしているからである。

おわりに

美の源泉を辿っていくと弥勒の源泉・思想に行き当たる。また、本像が日本人の美意識・国民性と深く関わっていることがわかる。今日、殺伐とした社会のなかでも、日本人は心のどこかで品格や心の触れ合い、人情味を求めている。本像は現代人にそれらを叶えてくれる格好の対象でもある。宝冠弥勒は日本人の生活と美意識に深く関わっているのである。