時の流れの忘れ物
 石井康治の手吹き硝子
間山文子 
(30051401)

1 はじめに

作品が生まれる過程には物語がある。石井康治(1946〜1996)というガラス工芸作家がどのように作品を生んでいったのか。意図したものや発想のきっかけがどういうものであったのか、どのような思索を経てそこにたどりついたのかを浮き彫りにしてみたいと思った。それによって、作品を生む上での独自の美意識−「心」であり「目」であるもの−を推察することができるのではないかと考えた。作品がつくられた当時に交流のあった人物に話をうかがい、作品がどのようにして生まれたのかを、時間の流れの中からひろっていく。芸術に関する歴史的背景や、時代背景、ガラス工芸の状況も念頭において考察する。また、ガラスの歴史は古代に遡り、制作技法は出尽くしてしまっていると言われるほど、あらゆる方法でガラスはかたちづくられてきている。ガラスの魅力が、長い時の流れの中で多くの人たちの好奇心をそそってきたという証にもなることであり、ガラスという素材についても併せて考察する。

2 石井康治と日本のガラス工芸

 石井康治は1946年千葉県に生まれる。東京芸術大学美術学部工芸科(鍛金)を卒業し東洋ガラス株式会社に入社。1977年東洋ガラス株式会社を退社しガラス作家として独立する。1989年千葉市に「石井グラススタジオ」を設立、1991年には青森市に「石井グラススタジオ青森工房」を開設。1996年11月19日、急逝する。
日本のガラス工芸は、岩田藤七、各務鑛三の工業ガラス生産体制からスタートしたといえる。次が藤田喬平のような、個人で「つぼ借り」をして作品を制作し個展で発表していくというタイプのガラス工芸作家であり、石井康治も同様である。日本のガラス工芸の中にあって石井の作品に対する評価は「色彩」である。石井は誰も出しえない絶妙な色づかいで作品を装飾した作家である。

3 作品の背景 

作品は自然の中にモチーフを得たものが多い。タヒチで着想を得たと思われる「木影」は晩年の「樹映シリーズ」の原点ともいえる。「彩花文器」は弘前の桜の情景。「彩烈文器」は陶器の練りこみに着想を得ている石井独自の技法である。「樹映−冬の景−」は、青森の冬の八甲田の景色をモチーフにしている秀作で、国立近代美術館工芸館に収蔵されている。たけ武ふ生木工業協同組合青年部「もくせいしゃ木醒舎」との企画事業により生まれた「ガラス足和テーブル」や、石井と誕生日が同じであるはづき葉月はじめ二十一との誕生日を記念してつくられた『「Aug.21Club」のカクテルグラス』のような楽しい作品もある。

4 作品の特徴

作品の特徴は「品」である。その要素のひとつは、ガラスの表面や間に重ねられ、混ぜ込まれる色の妙である。その彩りは、目に見える色の下にある色によって際立つ。かたちと装飾パターンについても、歴史上の作品を熟知しており、美しいフォルムはシンプルで恒久的であること、美しいパターンは何度も繰り返し試される中で、その美しさを成長させるのだということを実践しているといえる。また石井は、陶器や金属の技法をガラスですべて試みようと考えていた。石井康治の作品には、幅広い知識と、旺盛な好奇心が凝縮されており、見る者を惹きつけるちからがある。

5 制作上不可欠だったもの

 作品の微妙な色合いは、オリジナルの色である。石井は300種類にも及ぶ色のガラスを思うままに使い、作品を制作することができた。また、複数の色を用い、大きなガラス作品を宙吹きによってつくることは、独りでできる仕事ではない。石井の持つスタッフゆえできたことである。

6 石井康治の必然性−表現したかったことと成し遂げたこと−

「どうやって自然をガラスにうつしとるか」を石井は考えていた。「詩・季・彩のシンフォニー」「ガラスに描く光と風」というテーマにも現れている「自然の描写」である。そして、「工芸」であることと「色」と「かたち」の調和にこだわった。さらに、自分がただひとりであるように、作品は独自のものでなくてはならなかった。一瞬の感動を心に刻み、そのパワーを持続させ、繰り返しデッサンし、工程を練り上げ、スタッフに伝え、新しい方法を試みながら、作品としてつくりあげていく。作り手自身にかたちをつくるちからがなければ、それはただのゴミになる。作品は創った人間そのものである。魂が存在しなければインパクトのある表現は成り立たない。石井康治はデザイナーでありディレクターであり、職人の技術を活かし、引き出し、育てながら不可能を可能にしていった。

7 おわりに

「時の流れの忘れ物―手吹き硝子」と、石井康治の書いたことばがある。ガラスは「時間」を感じさせる素材である。石井は、時の流れの中に永遠に生き続ける、物語を秘めたガラス作品をつくろうとしていたのではないだろうか。