はじめに
イタリア・バロック美術の創始者といわれるカラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio, 1571-1610年)は、16世紀末イタリア美術界に登場し、「絵画の革新者」と称された。短い生涯ではあったが、美術界に残した足跡は大きい。その絵画の特徴は、レアリスムと、光と闇とを際立たせた明暗法にある。その手法は革新的なものとして17世紀前半にもてはやされ、間接的に追随する画家たちは「カラバッジェスキ」と総称され、フランス、スペイン、北方ヨーロッパにまでその手法は伝播し、各地に影響を与えた。ロンバルディア絵画の影響を受けたと考えられるが、カラバッジョのレアリスムは多義的で、劇場的なレアリスムである。明暗法を取り入れることで強化され、高次元へと飛躍した。では、カラヴァッジョのレアリスムはどのように形成されてきたのだろうか。
第一章 鏡を使った写実性の表現としてのレアリスム
カラヴァッジョは現実をありのままに写実的に描く上で、鏡に注目した。≪病めるバッコス≫では、自分自身を写実的に描くために鏡を使っているが、絵画全体を写実的に描きはしなかった。鏡を使って写実性をより精緻にしながらも、写実性に濃淡をつけることにより、レアリスムの効果を狙ったものと考えられる。
第二章 自然のありのままを描く表現としてのレアリスム
カラヴァッジョは、絵画を理想化し美化せず、目に見える現実を絵画に表現した。≪果物籠≫と≪蜥蜴に噛まれた少年≫では、静物画を重視していただけに巧みな細部の写実的表現をしつつ、事実としての写実から、時間的空間、内面性の表現を取り入れた写実へと展開する。精緻さと粗雑さが同一画面の中に共存し、写実的表現に濃淡を施すことによって、鑑賞者に訴求力、集中力、臨場感、ドラマ性を投げかける。
第三章 現実性を際立たせる明暗法を取り入れたレアリスム
カラヴァッジョは、現実性を際立たせる手法として光に新たな役割を与え、効果的な明暗表現へと高めていった。≪聖マタイの召命≫では、スポットライトを当てたように聖なる感動的な場面が顕現したその瞬間を、≪エマオの晩餐≫では、人物を明瞭に浮かび上がらせ内省的な雰囲気を醸成し、絵画のドラマ性を高めた。カラヴァッジョは、強烈な光線が瞬間的に画面に貫くという劇的な手法をとる。この光こそ、明確な方向性を持った意思ある光であり、宗教的に真実なものだけに神から降り注がれる神聖な光である。
第四章 鑑賞者に対する直接的訴えかけの表現としてのレアリスム
カラヴァッジョは、いくら写実的に描いたとしても虚構の空間にとどまっていた「絵画」を脱し、鑑賞者に直接的に訴えかけ、絵画を現実の存在へと引き出していく現実を生み出していく。初期の≪果物籠≫では精緻な表現と平坦な表現との混在により写実性を際立たせ、≪聖マタイと天使≫(第二作)では真実に至るための効果的な表現として光を用いた。明と暗とを巧みに使い分け、鑑賞者に対する直接的訴えかけの表現は高次化していく。
第五章 宗教画における聖の顕現としてのレアリスム
さらに、カラヴァッジョのレアリスムは、宗教画における聖なる事象の顕現へと高められていく。≪ロレートの聖母≫では、聖なる人物の俗化と純粋な信仰心を持つ俗なる民衆の純化の描写によって、聖母やキリストの神秘性が一段と高められ、現実のものとなり、鑑賞者は絵画と対する存在から、共感し絵画と同化していく存在となる。
むすび
対抗宗教改革の中で、カトリック教会は日常の中で神の顕現を見るよう民衆教化の役割を絵画に求めた。カラヴァッジョの宗教画は、その役割を十分に担ったといえる。カラヴァッジョは現実描写を追及していくことで、レアリスムの極意を見出した。カラヴァッジョレアリスムは、多義的で、個々のレアリスムの効果が相乗的に関連し合うことで、より一層の効果をもたらす。光による明暗法をレアリスム表現のための道具として用い真実を表現し、絵画という二次元の虚構空間を現実世界へと引き出す。真の美を携える者にこそ、恩寵、救済、啓示の象徴であるカラヴァッジョの光は降り注ぐ。迫真的で感動的な霊的な光が画布上に表現されることで、レアリスムは強化され、聖の顕現という高次元へと飛躍していく。カラヴァッジョは、絵画に技術的な革新性をもたらしただけではなく、新しい時代の精神を到来させた。それゆえ、「絵画の革新者」といわれるのである。
|