16世紀のネーデルランド地方の時代背景を通して見るピーター・ブリューゲルの作品
 ≪ネーデルランドの諺≫についての考察
片野美典 
(30051432)

 卒業論文では16世紀のネーデルランドの画家、ピーター・ブリューゲル(Bruegel、Pieter 1525から30頃〜1569)の作品≪ネーデルランドの諺≫(1559年)を取り上げて、作品に描かれている人物がどういった意味を持っているかという観点から論じる。

 この≪ネーデルランドの諺≫という作品は、現代に生きている私たちが見ると、一見、農村に暮らす人々のにぎやかな暮らしぶりや日常生活が明るく楽しげに描かれているようにも見えるが、実はこの1つの作品の中には百余りの諺が画面いっぱいに描かれている。つまり、この作品を理解するには描かれている諺の意味を考えることが必要で、それによってより深い理解や楽しみを見つけることができる。

 作品に目を向けるならば、画面中央の下の部分に赤い衣服を着た若い女性が杖をついた老人に青いマントを着せている場面が目に付く。色のコントラストがはっきりしていて、少し他の情景と異質な感じを受ける。この諺は、妻が年老いた夫を裏切り、若い恋人をもつということを意味している。画面には何人かの女性が描かれているが、この女性は他の女性とは違って、地面までひきずる長い赤い衣服を着ている。この諺はこの作品に限らず、幾度となく描かれてきた主題であった。この≪ネーデルランドの諺≫も、このように呼ばれる以前は、17世紀の所蔵者に「青いマント」と呼ばれたこともあった。ブリューゲルがこの諺をほぼ真中の中心部に近いところに目立つように描いたということからもあながちこの名称は不適切なものではないように思われる。

 さらに、ブリューゲルの作品の受容層がいったいどのような人々で、どのように受け入れられたのか、という点についても考えてみたい。

 この作品の注文主については現在全く記録は残されていない。その後、17世紀の美術商たちの記録、美術蒐集家の未公開の所蔵カタログに記録があるだけである。

 そもそもブリューゲル自身の生い立ちについてさえ、確実な記録は非常に乏しい。そのため、ブリューゲルの死後35年ほど(1604年)して発刊された、17世紀初期のネーデルランドの美術史家カレル・ファン・マンデルが記したネーデルランドの画家たちの伝記『画家列伝』が大いに参考にされてきた。この伝記の信憑性に関しては多少の疑問はあるが、ここでマンデルが「ブリューゲルが農民として生まれ、だからこそ労働や田舎の生活の楽しみを忠実に描き得た」と推察している。そこから、こうしたイメージがずっと存続され続けてきたのだが、後の研究の結果、ブリューゲル絵画が当時のフランドル社会のもっとも裕福で教養のある人々によって集められていたことが分かった。また、版画の下絵を描く修行時代に店に出入りしていた教養人からいろいろな知識や考えを学び、ブリューゲル自身も育っていったと思われる。友人の1人には、著名な地理学者のアブラハム・オルテリウスもいる。そして、ブリューゲルが交際していたと思われる優れたサークルの人々のことを考えると、彼自身もおそらくはある程度教育を受けた教養人であったとも思われる。しかし、当初あったブリューゲル観を好ましい方向に修正しようとするあまりに、ブリューゲル芸術の知的側面を誇張する結果に陥った。そこからブリューゲルの作品を難解な哲学的、道徳的概念を表現しているということにつながった。しかし、そうしたブリューゲル観には、いささか疑念を禁じえない。本当にそうなのだろうか?

 諺の世界を例にとると、ブリューゲル自身、この作品の他にも諺を主題にした作品をたくさん残している。これは、油彩画だけではなく、版画にした作品もある。本来、版画は多数刷られ、不特定多数の大衆のために制作されたものである。その点も踏まえると、ただ単に難解な哲学や道徳的概念を表現しようとしていただけではないと思われる。

 本論では、注文主やその時代の背景、ブリューゲル自身の関心や興味などさまざまな観点からこの問いを明らかにしていきたい。

 この≪ネーデルランドの諺≫という作品には全部で百余りの諺が入っているが、ここには視覚化しにくい抽象的な諺を避けて、日常生活に密着した諺が選ばれている。全体的に見てみると、さまざまな意味を持った諺があるが、ポジティヴな意味のもの、ネガティヴな意味のもの、といくつか分類することができる。

 もっとも多く描かれている諺は人間の愚かさや無知、不正な行為を表したものが圧倒的である。しかし、作品の中に出てくる人物たちはみんなどこかユーモラスな印象があり、諺で諭していながらも、作品を見ている人に暗く、落ち込む気分を与えないような作品である。そして、この作品は諺の世界の意味を知らなくても、十分に楽しめるような人物等の躍動感があり、細部まで何があるのかよく見てみたくなる作品だが、諺の世界を知ることによって、謎解きパズルのような楽しさやわくわくする気分がプラスされる。実に細部まで細かく描かれているので、詳細に作品を見尽くしたと思っていても、後から見落としていたり、再発見ができる作品である。

 そこに、「ブリューゲルはなぜこのような作品を描いたのか」という問いにもつながる要素があると思われる。このような楽しみは、その当時に生きていた人々にもあっただろうし、単にブリューゲル芸術は難解な哲学的、道徳的概念だけを表現しようとしていただけではないのである。

 この作品の諺を通じて感じられる人間のさまざまな心理的な世界は、ブリューゲルの生きていた時代と現代とでもあまり変わらないだろう。そのような部分で現代の私たちも、その時代に生きていなくとも共感したり、いっしょに楽しんで見たり、考察したりできるのである。