19世紀末のオリジナル版画の表現と刊行形式について
海野正彦 
(30051442)

はじめに

版画は、印刷技術の革新により実用的役割を奪われたこともあり、19世紀前半にはその勢いを失ってしまった。だが19世紀半ばに、銅版画を中心に注目を集めることとなった。レンブラントの銅版画を手本としたバルビゾン派の画家たち、腐蝕銅版画家協会の活動であった。その後、オリジナル版画の限定出版というシステムがつくられ、版画刊行の形式となった。オリジナル版画が創作芸術品として、複製版画と区別され、認識、評価されるようになったのは、いつ頃からであったのか。レンブラントとターナーとの対比、バルビゾン派の画家たち、腐蝕銅版画家協会の活動を中心に、版画の位置、カタログ・レゾネ、芸術諸分野と版画の関係、芸術としてのオリジナル版画について考えてみたい。

第一章 レンブラントとターナーの版画

レンブラントは、腐蝕方法の工夫、ドライポイントやビュランの線をエッチングに加味したことによる繊細で柔らかな線と、大胆な明暗のコントラストによって、独自の版画芸術の世界を確立した。ターナーは、光と大気の効果を巧みに表現した先駆者として、質の高い多くの銅版画集を刊行したが、原版の制作のすべての工程を直接彼が制作することはなく、職人を監督して制作する手法であった。当時は、ターナーのような一種の複製版画とレンブラントのような創作版画との両者が明確に区別されていなく、両者とも同じような純粋な創作芸術であると考えられていた。

第二章

1862年、腐蝕銅版画家協会がパリに設立された。刷り師の仕事の基本は、版面に刻まれた図柄となる凹部の描線を紙にくっきりと刷ることである。そこには刷り師の解釈や表現が入る余地などはなかった。ところが、刷り師のドラートルは、刷りの過程で刷り師の表現が反映する技術を取り入れた。複雑な刷り表現になるにつれて、刷り師の味付けが作者自身の制作意図と違った作品表現になり問題化した。版画が単なる「印刷物」ではなく、一枚一枚が独立した「芸術」であることを刷り師の側から問う形にもなった。

第三章

版画よりも再現力のすぐれた写真が発明され、写真が印刷の分野で実用化されると、印刷の世界では版画は、時代遅れの技術として歴史の中に埋もれる運命にあった。版画における社会的な役割は終焉をむかえたといえる。
オリジナル版画の出発点は、刷りの手作業である。だから機械的に大量に制作できない、「オリジナル芸術作品の手軽な代用品」には決してなりえないものである。オリジナル版画はそれ自体、独立した芸術表現のひとつである。

第4章 オリジナル版画とカタログ・レゾネ

オリジナル版画とは、最初から版画制作を意図して、すべての制作の過程で原作者の版による表現意図が貫徹された版画をいう。版画家の全作品のデータを収録するカタログ・レゾネは、ヨーロッパの版画研究者を刺激し、その後の複数芸術としての版画研究を多いに啓発し、オリジナル版画と複製版画とを明確に区別するようになった。

第五章 芸術諸分野とオリジナル版画

芸術諸分野は、オリジナル版画を比べると、作品を量産することによって大きな普及度を備えていることがわかる。また、オリジナル版画は、視覚芸術のなかで複製制作を特性に高い普及度がメリットとして注目される。

おわりに

版画は、エディション・ナンバーを入れたことにより、油絵作品などの一点性あるいは一回性の条件に真似ている。たった一枚しか存在しないという、二次的アウラに拠っているところが大きいと感じられる。ヴォラールは、当時の代表的な画家による多くの版画、版画集、挿絵本の刊行に力を入れ、オリジナル版画に対しての制作の機運、風潮を最初に醸成したとともに信頼性と親近性が高まった。19世紀末メディアとして危機を迎えた版画は、単に図像を複製化するためではなく、手書きの絵画にはできない表現が版を媒介することによる間接的絵画表現の特性にこだわる人々によって意志的に選択される表現手段となっていた。そして肝心なことは、版画は印刷による複製でもなく、オリジナルの芸術作品であるということである。