ロンドンの地下鉄地図
 視覚コミュニケーション・デザインは、人を動かす
 2002年度卒業論文要約
高木裕子 
(30031502)

人間は視覚によるコミュニケーションを通じ、判断、選択、記憶、消去を繰り返す。そうして残ったもののひとつが世界中の地下鉄地図の原型となった「ロンドンの地下鉄地図」であるとわたしは考える。地図の情報は人を動かす。この地図では企業理念の変革のもと制作者が結集し、多くの新たな挑戦を試みたことでコミュニケーションを成功に導いた。そこにわたしは、現代に通じる人を動かす可能性を見、毎日の生活のなかの「視覚コミュニケーション」をスムーズにするための可能性について再考する必要性を感じている。しかし現在そのことについて、社会一般からの理解はまだ浅く「デザイン」はその領域の曖昧さもあり確立されていないように思う。わたしはデザインにコミュニケーションとして機能する大きな可能性が含まれている気がしてならない。そこで「ロンドンの地下鉄地図」が世界の国で模倣されたことを原点として、人を動かす視覚的効果の可能性を考えたい。

地下鉄はロンドンに1863年、世界で初めて誕生した。現在では世界中の都市で渋滞知らずの地下鉄の利用による人間の移動が行われている。毎日、地下鉄が利用され、いたるところの都市で「ロンドンの地下鉄地図」の様式を応用した地図が使われている。この地図の原型は当時製図技師であったハリー・ベックによって1933年に制作されたものである。それはそれまでの地図をもとにしながら大胆にリデザインを実行したものであった。究極に整理された表現の地図は画一的であるともいえるが幾何学的に網の目のように都市を走る地下経路は複雑であるほど、この表示の仕方ですっきり整理されてシステム化された都市である印象を受けるのである。

ハリー・ベックの地図は、人間の視覚により強く働きかけるためのあらゆる可能性が試みられ実践されている。距離はロンドンの街の広さについて事実を表したものではなく、街の比率や駅同士の間隔も現実的ではない。しかし、そこに表わされた偽の距離感が産業革命後の都市ロンドンに経済効果をもたらした。人間の視覚がとらえる距離の錯覚を行動に繋げたのである。そしてその錯覚を現代に当てはめるならば、ロンドンの街についてまだ未知の旅行者を誘導することが可能なはずであり、また日本における地下鉄の存在についても、わたしには同様の有効な効果が期待ができると思われてならない。線の太さ、長さ、濃さ、隣と接する距離、重なりなどが微妙な違いによって地図は表情を変えるのである。伝えたい内容を増やすことが、必ずしも認識の範囲として受け入れられるものではない。伝達するためには、どこまでを情報の範囲とするかが重要な問題であるということがわかるのである。

そのためには、人が対象物を認識するまでに要する時間を最小限に導くために用いる色彩の選定が極めて重要である。ハリー・ベックは制定されていた色彩に変更を行った。新しい色彩と地色の白さとのバランスは、ロンドンのイメージを美しいバランス感覚の優れた街として表現させ、広く受け入れられたのである。このことから、色彩は地図自体をシンボル化させる威力を果たしたものと判断できる。

また、言語表現についての配慮も必要である。日本語の文字表現は4種類あり、文字の表示は現在さまざまなメディアのかたちと融合しつつある。現代は社会と人とを結ぶ機関が圧倒的に増加し、その環境は多様化し続けているためにそれに対応したコミュニケーションが必要とされている。その表示方法次第で、世界の人が動く方向も決定する。視覚デザインが生みだす人間の行動には未知数の可能性があるのである。それを上手く生活に取り入れれば人間が生きるための有益なコミュニケーションに繋がるため、その存在意義と生活への認識を考えなければならない。

人間が行動するために「地下鉄」は重要な存在である。効率的に利用すれば誰もが生活を積極的に楽しむことができる。高齢者人口の増加や多国籍社会への変化に伴い幅広い年齢や国籍の人々に、いかにわかりやすく視覚伝達をするかということは、今後の深刻な課題である。コミュニケーションを果たすべきデザインは表示・構成によって人を刺激し、必然的に行動を起こすことに直結しているといえる。伝達という目的と人の主観性を合致させるには、多角的な視線が求められる。自身の身体がリアルにとらえた実感を効果的に取り入れることができたなら、人と人、人と物、人と場所を繋ぐコミュニケーションが成立し、この世界の新しい局面を知ることになるであろう。生活に密着した視覚デザインを積極的に活用し人を動かす環境作りを実行することは、生きることと同意義であると思うのである。