村上隆をめぐって
 その戦略と情況について
 2002年度卒業論文要約
加藤真 
(30151450)

村上隆(一九六二〜)は、日本の伝統的美術や、サブカルチャー的な要素を取り入れた作品によって、近年、国内外、ハイ・ローという枠組みを超え、同時代を代表する作家の一人として注目を浴びている。私が村上をめぐる諸問題を研究しようと思ったのは、こうした状況に対して、<サブ・カルチャー>とも<ファイン・アート>ともとれない村上の作品が、何故このように評価されるのか、という漠然とした疑問があったからである。そこで本論では次のように章立てながら、村上の作品活動、及びその評価について検証していきたい。(1)村上の活動はどのような<戦略>で行われてきたのか。(2)近年、村上の中心的活動である<スーパーフラット>とは如何なるものか。(3)村上の活動の前提ともいえる現在における美術の不在とは何か。(4)村上の作品活動は同時代の中でどのように受容され、機能していったのか。そしてそれは何を意味するのか。

(1)村上の戦略

デビュー当時から村上の活動は、西欧の真似でしかない既存の現代美術への反発、日本におけるリアルな現代美術の追求という批評性の強いものであり、同時にマーケットにおける成功をも意識したものであった。九五年の渡米によって、日本のサブ・カルチャーが自らの求める美の基底となりうることを認識したことで、帰国後の村上の活動は、既存の制度に捕われることなく新たな評価基準・環境そのものを作り出そうとする独自のものとなっていった。また、世界の美術市場の現状を知ることで、マーケットに対しても、日本と海外では作品やプレゼンテーションの差別化を計るなど、その成功に自覚的に取り込んでいる。このように、村上の活動は<日本におけるリアルな美の追求><マーケットにおける成功>という二面性を常に保ちながら、美術制度や社会構造などを十分に考察した上で戦略的に展開されたものであるという。

(2)スーパーフラット

戦略的に展開される村上の活動において近年最も注目を集めたのが、<スーパーフラット>である。村上は日本の絵画表現における超平面的画面構成、及び社会構造における平面性に注目し、それを日本の社会・文化に通底するオリジナルの感性<スーパーフラット>として捉え、表層化の進む<世界>の未来像であるとした。また、哲学者・東浩紀は村上作品とオクク的図像の共通点を指適し、<スーパーフラット>を<ポストモダン>な社会状況を象徴する表現だとした。結果<スーパーフラット>は日本発、世界最新の様式として注目されたが、浅田彰の、戦略としては有効でも、自虐的居直りでしかないという批判を受けることにもなる。村上が<スーパーフラット>としてあげる作品の曖昧な判断基準をみても、<スーパーフラット>とは伝統的美術やサブ・カルチャーの評価と、自らの作品を関連付け、意味付けようとする戦略性の強いものであるといえるだろう。

(3)現在における美術の不在とは

<戦略性>とともに、村上の活動を理解する上で重要となるのが、村上の活動の前提でもある<現代における美術の不在>という問題である。確かに、日本における美術制度とは、明治以降、近代化政策の一環として必要に応じて作り出された<真正性>を欠いたものであり、それ故戦後の現代美術も自律的な批判と継承の関係を不在とした断片的なものであった。また、九〇年代の<ポストコロニアリズム>による日本の美術制度の見直しによっても、日本美術制度の<非真正>が問われることになった。村上の言説の要因はそこにあるといえるが、それをもって、現代美術を不在とし、伝統的美術やサブ・カルチャーを評価する村上の論説は、結局、西洋的価値判断の中でその裏返しを提示しているにすぎず、日本美術・文化をいつまでも西欧的価値基準の中でしかかたることのできないものにおとしかねない危険性を帯びている。

(4)まとめ(村上隆をめぐって)

こうした村上の活動は、同時代の文化状況の中で様々に意味付けられて機能していくことになる。その一つが、近年、海外での高い評価によっておこる<サブ・カルチャーのハイアート化>という状況における村上の存在であり、もう一つが、(3)でも述べた<ポストコロニアリズム>時代における村上の存在である。こうした文化的背景の中で、ファイン・アートとサブ・カルチャー両方の文法を持ち得る村上作品は、時代の旗手として歓迎され評価されていった。また、単純に、バブルの崩壊による不況の波や、新興メディアの飛躍的な発展によって、現在、美術が置かれた状況は混迷を来しているといえる。そうした中で、総ては等価であるとし、世界最先端と名打った村上の活動が時代の中で評価されるのはある種、必然ともいえるし、その意味ではまさに現代を象徴する作家といえるだろう。