ルネ・ラリックのガラス製カーマスコットに関する考察
 彼と、彼の時代がもたらした結晶
 2002年度卒業論文要約
藤井麻希 
(30151466)

1.研究の動機と目的

ルネ・ラリック(Lene Lalique,1860-1945)は、アール・ヌーヴォー期に宝飾作家として名をなした後、アール・デコ期にはガラス工芸品の制作に転じたフランスの芸術家である。ラリックは後期のガラス工芸において、1945年に没するまでの間に約4000点もの作品を生み出したが、その中でも異彩を放っている作品群として約30種類の<カーマスコット>がある。これらは、1925年から1931年までのわずか6年間にしか作られなかった。カーマスコットとは一体どのようなものなのか、ラリックにとってカーマスコットの製作にはどんな意味があったのかを探りたいと考えた。また彼にとっていわば特殊な作品群を深く見つめることにより、逆に彼の作品一般や芸術への取り組み姿勢らには彼が生きた時代の特徴を一層明らかにすることができるのではないかと考えた。

2.論旨の展開

―第1章 ラリックのガラス作品とその取り組み

アール・デコ時代の他の作家・作品群との比較により、ラリックのガラス作品の特徴−色彩の極度の抑制、厚みや表面仕上げの変化、実用性、製造技術の改良による量産などを明らかにする。

―第2章 カーマスコットの歴史

カーマスコットとは、当時自動車のボンネット先端にあったラジエーターキャップの装飾品である。1910年頃からイギリス、アメリカ、フランスで流行し始め、1920年頃には多くの自動車メーカーがブランドイメージ向上のために、高級アクセサリーとして競って製作するようになり全盛を迎えた。しかし1930年代に入り、車のボディが流線型化すると、ラジエーターキャップはフード下に隠れるようになり、カーマスコットは急速に衰退していった。

―第3章 ラリックのガラス製カーマスコット

ラリックは全30種類のカーマスコットを制作したが、そのモチーフは、自動車のステイタスとスピード感を表すもの(鷲、鷹、彗星)、聖書やギリシャ神話の題材(聖クリストフ)、彼が得意としていた裸婦像等、実にバラエティに富んでいた。素材は無色透明のセミクリスタルを使用し、鋳型による鋳造を行った後、特に仕上げ工程では光沢仕上げ、艶消し仕上げ、古色付けの3つが使い分けられた。当時のフランスでの価格は245FF〜635FF、平均352FFであり、これはラリックの作品群の中でも、少し細工の込んだ花瓶程度の比較的高価な作品であった。

―第章4時代背景

当時のヨーロッパには国際博覧会等を通じて新しい文化が次々にもたらされ、ガラス、鉄等の新素材による現代都市生活が、株式相場で財をなしたヌーヴォー・リッシュやセレブレティ達により、満喫されていた。自動車は未だ庶民には手の届かない高価な贅沢品、特権階級のステイタスシンボルであり、名高いラリックの手によるガラス製カーマスコットは、小さな芸術品として特に評判を呼んだと考えられる。

―第5章 日本にもたらされたラリックのカーマスコット

カーマスコットが日本へ持ち込まれた事例を挙げ、大正末期から昭和初期の日本においても、ラリックの作品が高い価値をもっていたことを述べる。当時日本において車を所有できる人物は皇族や華族など、ごく限られていた。彼らは外国の流行にも敏感で、かつそれを手に入れる財力を持っていた。

3.結論

アール・デコという1920年代は、様々な新しいアートをのみ込み、新たな都市文化を築いていく時代であった。その中で、ラリックの彫塑的なガラス作品は、アール・ヌーヴォー作品に比べ安価なことと、そのクールで先進的なデザインにより、<新しい生活>を象徴するものとなり、時代をリードした。特にカーマスコットは、自動車という当時の最新流行でステイタス・シンボルであった商品を装飾するという先鋭的なジャンルであり、なおかつラリックはそこに、当時注目され始めたガラスという素材と、鋳造型による量産という新しいマニュファクチャリングを持ち込んだ。「時代の流れ、人々の欲求、技術の進歩を敏感に感じ取り、それを優れたデザインに作り上げて大量に供給する」という、ラリックの後期の創作の原点が、ガラス製カーマスコットに見られる。また彼も1人の芸術家として、多くの人々へ<量産品>を提供するのみでなく、純粋に<芸術>を追求したいという欲求もあったはずで、小さな彫刻作品としてのカーマスコットは格好の題材でもあったように思う。

ラリックのガラス製カーマスコットは、ラリックがこの時代に生きたことと、彼の創作への姿勢から、必然的に生み出された、時代と彼の業績の結晶であるといえる。

以上