ジョセフ・アルバースの色彩教育について
 2003年度卒業論文要約
坂岡洋子 
(29851101)

ジョセフ・アルバース(1888-1976)は画家であり、教育者である。特に色彩教育においてはブラックマウンテンカレッジやイエール大学などで独自の教育手法を実践したが、アルバースのバウハウス時代の師であるヨハネス・イッテン(1888-1967)に較べ現在の日本では取り上げられることは少ない。そこで本論ではイッテンの色彩教育と比較してどのような点が違うのか、色彩学的考察と教育的意義について、アルバースの『色彩構成』とイッテンの『色彩の芸術』を中心にしてアルバースの色彩教育について考えてみたい。

 第1章 『色彩構成』について
 1963年に出版された『色彩構成』は芸術を学ぶ学生に向けて著された学問的な概念となっている色彩の“理論と実践”とは違い、訓練として色彩の観察と明確な表現力を発達させることであるとし、色彩の学習と教授法の実験を記録したものである。アルバースは最終章で、色彩教育の目標は、発見や発明に実現される創造性の発展にあり、今までにほとんど開発されていない新しい教育概念、すなわち“情況による思考”を推進するとしている。そして、『色彩構成』の延長線上にあるのが『フォーミュレーション:アーティキュレーション』である。1972年に発刊されたこの版画集は『色彩構成』では実現できなかった、実際の色彩現象の結果である作品と見る者の関係を示そうとしているのではないだろうか。これらの作品は芸術を学ぶ者にとっては、物理的事実と人間の心的作用の不一致の結果の二重性が見る者の内にどう映るかという問いかけでもあり、アルバースの色彩教育の集大成ともいえるものであろう。

 第2章 イッテンの『色彩の芸術』について
 イッテンは画家、美術教育家であり、1919年バウハウス設立にあたり、初代校長のワルター・グロピウスから招聘され、1923年までマイスターとして予備課程および工房指導を担当し、バウハウスを離れてからも長年にわたり美術教育活動に従事した。イッテンのバウハウス予備課程のカリキュラムは基礎的な造形教育方法で、戦後のわが国のデザイン教育のベーシックデザインの基盤となり、広く知られている。イッテンは1961年に出版した『色彩の芸術』で、独自の色彩調和論を発表している。これは色量混合による調和論で黄、赤、青を1次色とし、その間に混合色である2次色を配し、さらに1次色と2次色の間に3次色を配し、12色相環をつくった。この12色相環において、相対する色は混合すると灰色を生じる物理補色とし三次元の色球にを構成した。この色球に基づき2〜6色における基本的な調和の原則を色彩の和音として2色調和、3色調和、4色調和、6色調和を提唱した。

 第3章 アルバースとイッテンの色彩教育の違いについて
 アルバースとイッテンの色彩教育の共通点は色彩の相互作用を挙げたことであるが、二人の教育の一番大きな違いは、、イッテンは色彩調和論が成り立つとし、アルバースは規則性のある色彩調和論は成り立たないとしている前提の違いといえるのではないだろうか。また、美術教育界でアルバースが取り上げられることが少なかったのは、イッテンの教育のように理論として教えられるものではなかったからであろう。アルバースの教育の目標は“情況による思考”を推進することで、発見や発明を通して創造性の発展である。アルバ−スは、『色彩構成』や『フォーミュレーション:アーティキュレーション』を通して、色彩と作者、作者と作品、作品と見る者が各々色彩の相互作用により変化していくことを体感させようとしているのではないだろうか。このように、アルバースが目指したのは調和論を超えた“情況による思考”を体得するための創造的教育であると思われる。

 おわりに
 アルバースの色彩教育はイッテンと違い、日本の美術教育界で取り上げられることは少なかった。これはアルバースの教育がイッテンの調和理論のように教えられるものではなく、調和や不調和の概念から離れ、発明や発見によって実現される個々の創造性の発展にあり、“情況による思考”を推進することであるとしたからであろう。またこれは、段階的な訓練と実習による色彩の観察によって表現力を伸ばすものであり、絶えず色彩の相互作用について考察することを促しているのであろう。このようなアルバースの色彩教育はバウハウス教育の継承ではなく独自のすぐれた色彩教育であると思われる。