A・ワイエスが制作した作品に対する、A・ワイエス自身の評価
  A・ワイエスの自尊心と才能をとおして制作した作品に対する、作者自身の評価とは何か考察する。
 2003年度卒業論文要約
堺 康子 
(29951042)

 A・ワイエス(1917-)は、アメリカン・リアリズムの中でリジョナリスト(地方主義者)と呼ばれている画家である。彼は現役作家としてペンシルヴァニア州チャッズ・フォードの自宅内のアトリエで、今日も制作活動を続けている。A・ワイエスが観察し創作意欲をかきたてたものは、ありふれた光景や田舎に住んでいる人やその人たちを取り巻いている馴染み深いものであった。A・ワイエスが選んだモチーフは「アメリカのヒーローの目による場所が価値のある挑戦である」と言われている。

@父ニューウエル・コンヴァス・ワイエスが与えた影響
 父N・C・ワイエスは当時最も著名なイラストレーターであった。彼は5人の子供(家族)のために実生活の価値を信じその日、その日を一つの経験としてつんでいった。そして時の流れに節目をつけ想像力を刺激する祝祭の日を家族と盛大に祝った。
 父N・C・ワイエスは3人の偉大なアメリカ文学者に心ひかれていた。ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、ウォルト・ホイットマン、そしてロバート・フロストである。この3人の文学者の作品の朗読はワイエス一家にとっては、たびたび繰り返される一種の儀式で、その諸価値はワイエス一家の中で尊ばれた。
 A・ワイエスの初期の仕事は水彩画である。
 1937年A・ワイエスが20才の頃、ニューヨークのモダニスト専門の一流ギャラリー、マクベス・ギャラリーで最初の個展。

AA・ワイエスの試み
 A・ワイエスの義理の兄ピーター・ハードからリヴァイヴァルしたテンペラのテクニックを試みる。それに加えテンペラに近いテクニックに、A・ワイエス自身がドライ・ブラッシュを開発。

B父N・C・ワイエスの死・転機
 父N・C・ワイエスの突然の死、その後に行った最初のテンペラ画は「1946年の冬」。それに続き、近くに住む典型的な地方人に目を向ける。アメリカの伝説上の人物になりきった、メーン州クッシングのアンナ・クリスティーナ・オルスン「クリスティナーの世界」を描いた。

終わりに
 A・ワイエスの自尊心と才能をとおして制作した作品に対する作者自身の評価とは。アメリカで成功するためには、失敗するより精神のより多くの頑丈さが要求されるであろう。ほとんどは、どうにか成功して長い経歴はもたない。しかし、A・ワイエスの作品の価格は絶頂に巧みに計画実行され成功している。A・ワイエスの生き方から、自然に加えて宗教とモラルは人生で実際の力である。物事を肯定的に考える事は本質、本物を見極める力をつける。彼自身の手で人を喜ばす作品を施して、その代価を受け取る。