ジョットの描く人物像の身振りを巡る考察
 ―人物表現にみる人間性の追求―
 2003年度卒業論文要約
神田京子 
(30051071)

 今回、卒業論文として取り上げたテーマは、ジョットが描く人物像における人間性をめぐる考察です。ジョットの作品は、同時代に活躍している芸術家たちの趣向とは趣を異にしている印象を受けます。一体それはどうしてなのか。ジョットの師と言われるチマブーエの作品には、未だ保守的なビザンティン美術の要素が見てとれます。しかしジョットの作品においてもチマブーエと同様の特徴が見られるものもあるにもかかわらず、ジョット様式の世界には古めかしい感覚はなく、また非常に自然で違和感のない空間内での人物像が存在しているのです。これらのことからジョットの芸術に見られる革新的で尚且つ対照的である古典的要素について、そのあらゆる要因を探究することによって、ジョット絵画の真に迫ることができるのではないかと考え、独断ではありますが色々な角度から考察し、ジョット様式の特徴を分析していきたいと思い論文のテーマとしました。
 ジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337)の活躍した時代、イタリアでは神中心の保守的な美術から、人間を中心とした現実的な自然主義を求めた新しい世界が転換していきました。その変化は目を見張るほどで、この社会現象は当然、宗教美術の世界にも大きな影響を与えていきました。聖職者たちの囲いから逃れて、次第に在俗民衆にまで精神的つながりを広げていたキリスト教では、「人間性」を伴ったキリスト教美術というものが求められるようになっていくのです。このような風潮からジョットは、人物像の感情を過剰なまでの身振りを伴って描き出すこと、あるいは人物像の描写に豊かな生命感を与えることで観者の心情へ強く訴えかけたのでした。とりわけ、この13世紀は、フランチェスコ会やドミニコ会といった新しい宗教観が台頭してきたことによって、さらに人間的で庶民的な芸術が促進される起爆剤となったのでした。ここでいう「人間性」とは、人間の感性や心情に照らして、イメージが「真実味に溢れていること」、あるいは「現実的・触覚的である」などを意味しています。この「人間性」を推進しながら人々にキリスト教義を分かり易く伝え、どんな対象であってもキリスト教の教義が容易に理解でき親しめるように、観者の心情に直接訴えかける芸術傾向が確立していったのです。「見ること」によって図像の主題を理解させるという手段を用いてきたイコンにとって、画面上の登場人物たちの感情がごく自然に感じ取れ、その上その画面の主題が簡潔に理解できることがとりわけ重要でした。そこでジョットは、観者が宗教画を容易に理解できるように様々な工夫を試みていきます。それが人間共通の「言語」として、「身振り」を媒体とした手段でした。第1章では、「聖母子像」を取り上げ、その図像に描かれた「人間性」と「神聖性」について、人間性を打ち出した表現方法とは何か、神聖性を象徴する身体表現とは何かという論点で考察していきます。第2章では、第1章に関連付け、彫刻的要素を取り入れ、より人間に近づいたジョットの描く人物の特徴的な身体表現について触れていきます。ジョットの作品には古典的要素やゴシック様式の傾向をたどる彫刻家ジョヴァンニ・ピサーノ(1245/50-1314)の様式からの影響が見られます。それを証明するかのようにジョット作品においてもフランス・ゴシック様式の特徴が垣間見られています。ピサーノ父子やその他の彫刻家から受けた影響が、どのようにジョットの作品に反映されているのかを見ていきます。第3章では、ジョットの描く人物の身振りと、伝統的な古代芸術に見られる身振りとの関連性について考察していきます。様々な型やそれらが持つ意味などに触れ、ジョットの描いた身振りが意味するところを追求します。あえて普遍的な身振りの型を取り入れたジョットの意図とは何だったのでしょうか。第4章では、「キリスト磔刑図」を巡り、古くから引き続いてパターン化されてきた人物表現と、ジョット絵画にみる自然的人物描写について比較します。最後に結びとして、これまでに考察してきたジョット様式の特徴を再度振り返り、時代の隔たりを超えてさまざまな様式、そして彫刻やモザイクあるいは写本などの様々な媒体から、その特長的な要素を吸収していったジョットの革新性と、同時に古典的かつ伝統的要素も払拭しきってはいない独自性などについてまとめました