アルテミジア・ジェンティレスキ再考
 ―《ユーディット》作品を中心に―
 2003年度卒業論文要約
渡邊智子 
(30051108)

はじめに
 17世紀、イタリアで活躍した女性画家、アルテミジア・ジェンティレスキとその作品について考察する。アルテミジアは1970年代、フェミニズム研究の盛りあがりの中で再発掘、再評価された。そのため、フェミニズム的な視点ばかりが強調されてきた。本論では、アルテミジア研究で最も取り上げられることの多い旧約聖書外典「ユーディット」の物語を描いたウフィツィ、ピッティ、デトロイトにある《ユーディット》作品の主題解釈や表現手法を浮き彫りにし、その上で、従来の研究が多くを語らずに来た1630年代以降の作品に目を向けることで、ほとんど《ユーディット》作品のみで形成された我々のアルテミジア像を再検証する。 
T章 ユーディットの解釈 
 ユーディットがどのように解釈、表現されてきたか、そのイメージの変遷とアルテミジアのユーディット解釈を辿る。最初、物語の筋が連続的に展開する叙事的方法で描かれた。時代とともにホロフェルネスの殺害へと焦点が移り、ユーディットが象徴する勇気や謙譲といった美徳のイメージが強調されるような造形表現を取るようになる。ルネサンス、バロック時代になると、ホロフェルネスを誘惑し、死に至らせる破滅的な女性として官能性を帯び、裸体で描かれる事が圧倒的に多い。アルテミジアの《ユーディット》は衣服や相貌では侍女かユーディットかと迷ってしまう点で、ユーディットを若く、美しく、侍女を老婆で描く同時代の多くの作品とは異なっている。殺害の瞬間を描き、ユーディットは敵将の首を落とし、祖国を救った英雄とも、ホロフェルネスを美貌で魅了した宿命の女とも読み取れ、殺害が眼前で実際に起こっていると思える程の迫力や観者の感覚にまで訴えるような生々しい表現は、物語と現実の境界を曖昧にし、リアリティを持って迫ってくる。
U章 アルテミジアの《ユーディット》作品
 アルテミジアの《ユーディット》には、着想源、表現方法などにカラヴァッジョや他の画家からの影響が見られ、アルテミジアはカラヴァッジェスキの一人と数えられる。物語の瞬間を描いた《ユーディット》は実在感と現実感があり、ステレオタイプな従来のイメージとは異なる、自分の運命は自分で決める積極的でたくましい女性像としてフェミニストの研究者からしばしば取り上げられ、レイプといった個人的な事件とも関連付けられ、我々のアルテミジア像を形成してきた。しかし、これらの作品は、アルテミジアの画歴の前半、1610年代、20年代に描かれ、30年代以降、後半の作品は研究の対象からは抜け落ちている。
V章 語られてこなかったアルテミジア作品
 アルテミジアは、彼女に対する我々の期待を裏切るような作品も残している。《ユーディット》と同じ1610年代、20年代に描かれた《スザンナ》、《ルクレティア》などは、理想化されていない裸体に、身近に見かける女性と思わせるようなリアリティがあり、性的関心が見てとれる。また、《眠るヴィーナス》のような官能的なヌードも描いている。1610年代、20年代の作品は、物語の瞬間を描き、動的なイメージが強いが、1630年代以降は、物語の一場面を描き、むしろ安定した静的な構図を示し、説明的な背景や登場人物が描かれるようになる。《ユーディット》同様、最も多く描かれた《バテシバ》では似た容貌や構図が繰り返され、ドラマ性や迫力は消え、創造性や革新性も認められない。ユーディット、スザンナやルクレティアも引き続き描かれているが、1610年代、20年代を特徴づけていた表情や身振りは緊張感が失せ、伝統的な解釈に留まっているだけでなく、フェミニストからは非難されそうな作品もある。性的な含意がなく、従来の美しく清純なユーディット像を逸脱した《ユーディット》はアルテミジア作品のなかでも特異と言える。

おわりに
 アルテミジアは積極的に「ユーディット」を選び取ったのだろうか。この時代、主題やテーマは、注文主やパトロンの要請に従った。「ユーディット」の主題は一般的で人気があり、男女を問わず、多くの画家によって描かれた。アルテミジアはトスカナ大公、コジモ二世の擁護を受け、さらに、1616年にはフィレンツェのアカデミア・デル・ディセーニョに女性として初めて登録を許されており、か弱さや優雅さのないアルテミジアの女性像が、いわゆる「女らしくない」ために注文主を満足させた可能性もある。
 画歴の後半で繰り返し描かれた《バテシバ》はアルテミジア研究ではほとんど語られて来なかった。女性が男性に勝利するフェミニスト的な場面が影をひそめたのは、パトロンや注文主の趣味を満足させるためであったことも否定できない。ヌードや性的含意のある作品も残している。《ユーディット》と並んで最も多く描かれた《バテシバ》にも光をあてる事で、フェミニズムという枠を外したユーディット像やアルテミジア像が浮かび上がってくるだろう。