描かれた回想の明治
 ―木村荘八作《パンの会》に関する一考察―
 2003年度卒業論文要約
東うめ代 
(30051155)

はじめに
 洋画家・木村荘八(1893-1958)の代表作として、必ず挙げられるのが、油彩画の《パンの会》(1928)である。この作品は、タイトルが示すとおり、明治末年の耽美主義的な芸術運動の一つの呼称ともなっている〈パンの会〉の、特別大会の情景を描いたものとして、夙に有名である。時は1910(明治43)年11月20日、場所は日本橋の西洋料理店で、意気軒高とした若い芸術家達の一大集会であった当夜の様子は、谷崎潤一郎らの回想録にもいきいきと描かれている。注目したいのは、画中に、本来いるはずのない壮年の荘八自身が、ひときわ大きく、三味線を抱えた大仰な身振りで登場していることである。この年、彼は満17歳で、〈パンの会〉には一度も参加したことがない。大きな虚構を含んでいながら、この絵はこれまで、「風俗画」「記録画」「再現図」と評されてきたが、はたしてそれだけなのだろうか。本稿は、《パンの会》の不可思議な魅力について考察するものである。
第1章《パンの会》その内容
 ここには、木下杢太郎、高村光太郎など16人の人物が描かれているが、動いている真っ最中の一瞬を切り取っているため、見分けるのはかなり難しい。酔っぱらって騒いでいる作家や詩人や画家達の放埒な熱気が、ストレートに伝わってくる場面である。提灯とガス燈の光の下で、洋服の男は三味線を弾き、雛妓は椅子に腰をおろし、テーブルには西洋料理が並んでいるというように、《パンの会》には、東西両洋の世界が違和感なく混在しており、それは明治末年の東京の風景そのものでもあったろう。一種独特のエキゾチシズムが、この絵の強い誘因であることは間違いない。画中の荘八像は、喧騒の中に一度は身を置いてみたかったという切実な願望の現れであろうか。その場にいなかった自分自身をクローズアップすることによって、荘八が、「フィクションとしての〈パンの会〉の饗宴の図」を描こうとしたことがうかがえるのである。
第2章《パンの会》その表現
 全体に重たい配色である。構図も何やら安定していない。手前に大きく描かれた雛妓がこちらを向いているのはなぜだろうか。誰かに呼ばれたのだろうか。誰かを誘っているのだろうか。彼女と、絵を見ている我々との間に何者かが存在しており、描かれていない人物も含めたもう一つの構図が想像できるのである。登場人物達の芝居がかった仕草や謎めいた動き、色彩の明暗の強弱や光と影のコントラストなどによって、フィクションの効果はより高まったということができるだろう。見えてくるのは、荘八の「劇的なること」へのこだわりである。
第3章《パンの会》その演劇性
 1924(大正13)年、荘八は新聞小説の挿絵を描いて評判になった。彼が油絵によって日本の伝統的文化を表現するようになったのは、この頃からである。兄事し敬愛していた鏑木清方、谷崎潤一郎、小山内薫の影響を受けて、「劇的なること」への思いは明確な形になっていく。すなわち、明治を背景に、自分の「分身」を登場させ、伝統的な集会の一夜をフィクションとして表現するという構想である。結論を急ぐなら、《パンの会》は、「絵画」の上に作られた「演劇」であったと推察できるのである。この作品が、通俗的、回顧的作品に終わらなかったのは、同時代の絵画や文学や演劇の深い受容があったためといえるだろう。
おわりに
 荘八は晩年、自分の本業は油絵だと語ったそうである。挿絵画家としての名声は高く、変容する都市の風俗を活写した本も多くあるのに、本来の画集は一冊もない。日本の近代美術史では、荘八の「本業」においての評価は不当に低いといえよう。だが、油絵の大作《パンの会》は、「回想の明治」をテーマに掲げながら、荘八が、虚構の仕掛けを十分に忍ばせて腕をふるった、木村荘八でなければ描けなかった一枚なのである。