《このことを/直島・家プロジェクト きんざ》
 ―付加されていく価値について―
 2003年度卒業論文要約
丸山知子 
(30051495)

 福武書店(現:ベネッセコーポレーション)の創業者(故人)と瀬戸内海に位置する直島の町長(故人)が1985年に直島文化村計画を打ち立てた。その後1995年に離島4島を含む直島の南側一帯の土地を購入したのが直島への資本投下の最初であり、事業のスタートであった。そして現在1992年に宿泊施設を複合した直島コンテンポラリーアートミュージアムが開館し、さまざまな文化事業がすすめられている。
 そういう状況の中、直島の本村地区という江戸時代城下町だった地域で、古くなった家屋を再生した芸術作品を作るという「家・プロジェクト」が立ち上げられ、現在も島民の生活圏であるその地域に4つの作品が生まれた。その中のひとつ内藤 礼の作品《このことを/直島・家プロジェクト きんざ》(以後《きんざ》と表示)が本稿でとりあげた作品である。作品は永久展示とされ現在も公開は続いている。
 ここでは《きんざ》を受容することで、現代アートの価値や機能を考察することが目的である。作家の制作姿勢がけして他者との関わりを受け入れる類のものではないこと、また《きんざ》が持つ特異な鑑賞形態(制限時間15分。一人で鑑賞する。完全予約制。)が公共事業の色彩の強いプロジェクトの中で、どのように芸術的な価値を保っているのかに興味を抱いたのがきっかけでこの作品をとりあげた。しかし、そもそも芸術的な価値とは何かという問題にすら解決がない。造形作品の自立した価値を期待すること自体がモダニズムへのノスタルジーにすぎないのかもしれない。環境も含んだ受容者と作品との関係性の中でしかその価値は発見できない。また、それはすでに現代の芸術作品には不可欠な特性となっている。
 しかし、ここではあえて作品が持つフォルムから受容されるものを検証し、作家の制作意図と受容されるもののズレを見ていくことで造形芸術としての価値を評価した。そして、もうひとつの価値の側面として、他者との関係性の中での価値について述べている。造形芸術としての価値では、内藤 礼が、大工や左官工の高い技術と一緒に制作し、フォルムの完成度を上げたことや、建物の建つ土地や過去に積み重ねられた時間にこだわったことで、個人的な造形性がどんどん排除され、作品が「自然」に限りなく近づいた姿をあらわした。また、他者との関わりでは同プロジェクトの作品《角屋》と比較することによって、鑑賞者と作品の関係性を明確にした。
 《きんざ》という一つの現代アートを受容したことで、見えてくること、そこに隠れた問題は多かった。ここではそのひとつひとつに深く触れることはできなかったし、表面に出てこない問題も数多く孕んでいる。直島という景観の中で《きんざ》が語ることは多い。日常の生活空間に芸術作品を置くことで、人々のさまざまな思いに帰属している「景観」が変化を強いられ、壊される。現代アートは芸術家の自由や純粋性とは逆に機能や意味を問われる責任を負う。また、それを受容する側にはそこに生まれる価値を見極める責任が生じる。現在の過剰で物が溢れる状況の中で、「物」を新しく作り出すことには懐疑的になるのは当然である。次々と世の中に放り出される作品を無視するという道もあるだろう。しかし「物」を作り出すことの否定は造形芸術の死を意味する。直島の状況は造形芸術の生き残りを模索するための試みとも言える。
 直島は過去に崇徳天皇を迎えたという歴史を持ち、江戸時代の城下町の名残を伝える。そして三菱マテリアルの工場を誘致することで近代化の中での生き残りをはたした。現在は文化事業として現代アートを島に迎え入れ、一方では引受先のない産業廃棄物の中間処理場の施設も建設された。それがわずか東西に2km、南北に5kmの島の中にある。本稿を終えてみて、作品が地域と密接に関わった場合、作品が地域に価値を付加するのではなく、その「場」が持つ特殊性から作品が作り出されるという側面が見えてきた。直島の本村地区でなければ《きんざ》は生まれなかったという価値がどこかで了解されれば、造形芸術が生き残る可能性があるだろう。だが、それは芸術作品が作り出されることを肯定する気持ちと、地域の個性を大切に思う気持ちに頼ることしかできない。本稿は造形芸術がそうした危うい前提のもとにあることの報告でもある。