知の喜び美の楽しみ(一)
米澤有恒 
((よねざわありつね:兵庫教育大学教授))

 知ルハ楽シミナリといわれる。人間は生まれつき「知ることを好む」生きものなのだろう。知るを好む、それは必ずしも高尚な知的探求心のことではない。好奇心や野次馬精神の全くない人など、多分いないに違いない。これも、知ることを好む、愛知philosophyの表われである。そして愛知が「哲学」の元になっていることは御存じの通りである。
 人間なら誰にでも愛知の傾向があるのに、どうして「哲学」というと、とても難しくて近寄り難い世界と映ってしまうのだろうか。野次馬根性丸出しの「物見高さ」と「哲学」とが同じ根っ仔から出ているとは、多分、誰にも信じられない。哲学者ともなると、該博(がいはく)な知識と凡人では到底理解のできない深遠な思想の持主であって、まあ敬遠しておく方が得策であるような種類の人間、人間離れした人間と思われがちである。実際そういう人間を以て任じている哲学者もないわけではないが、大抵、哲学者とは「物好き」が高じた結果であり、好奇心が旺盛過ぎて途中で止められなくなった、そういう人間のことである。社会的事象の本質を見通すとか人生の的確な指針を提示するなどといったことなら、哲学者以上に卓れた人が幾らでもいる。要するに、哲学者は「知る喜び」に<はまって>しまってそこから抜け出せないし、もっというなら、開き直って、そこから出る努力よりも一層のめりこむ努力(?)をしてしまう人間、と思ってくださればよい。但し、同じ愛知者であっても、哲学者と所謂(いわゆる)「物知り」との相違は次のところにある。物知りの愛知の傾向が平面的に拡散して行くのに対し、哲学者の愛知の傾向は垂直的に深化して行くのである。だからときに、哲学者は自分の興味以外のことを殆(ほとん)ど何も知らない、世にいう「専門バカ」ということになる。遥(はる)か昔のギリシアの大学者ターレスは天文に通じていたが、家の周りの穴凹については何も知らなかったので、毎晩、天体の観測の度にそこへ<はまって>転んだという。正に、はまってしまった人間の面目躍如である。序でにいうと、専門家specialistというのは「物の種別的特性species」が見えてくるまで、じっと「物を見詰めるspeciere」ことのできる人である。ターレスは天体を見詰めることに夢中で、自分の足下に気が行かなかったらしい。
 斯(か)くいう私も哲学者の端くれである。端くれといったのは、哲学の中でも、純粋な哲学──分かったようで分からない言葉だが──ではなく「美学」という哲学の中の一分野を専門にしているからである。これから暫(しばら)く、私と一緒に「美学」の世界、結構スペシャルでディープな世界を覗(のぞ)いてみて戴(いただ)きたい。

 「人、楽ヲ尽クス─人尽楽─」という言葉がある。心ゆくまで楽しんで心残りは何もない、という意味だと思う。美しい花を愛(め)でつつ酒盃を交わす、或いは善い映画を見終わって直ぐに席を立つ気になれない、或いは感動的な小説に心を奪われて巻を閉(と)じるのが惜しい、或いはヴァイオリンの名演奏に触れて鳥肌立つのを覚える……等々、そういう体験をした日、臨場の高揚から解放され湯船に漬かって心身の快い疲労をゆっくり解(ほぐ)しているとき、しみじみ人は「人尽楽」の言葉通りであったことに思い至る。さながら日向(ひなた)の猫のような懶惰(らんだ)の中で、この上ない幸福を感じる。そういう日が適(たま)にあるだけで、それで人生もう十分に仕合せである。そういう一日を過ごせたら、当分の間その余韻を楽しめるし、思い出しても心豊かである。
 寧(むし)ろ楽を尽くす日が余り屡々(しばしば)だと、有難味も喜びも感じられなくなる。そればかりか、却って「歓楽極マリテ哀情生ズ」と歌った曾(かつ)ての漢の皇帝のように、人生の哀感さえ感じる羽目になりかねない。この言葉を皇帝ならではの贅言(ぜいげん)と聞くこともできなくはないが、やはり大方の人間に等しく当てはまる箴言(しんげん)と受けとめるべきだろう。精神的にも物質的にも「盈(ミ)チルハ欠(カ)ケル」、「盈欠コソ世ノ習(ナライ)」である。何ごとにせよ、過ぎたるは及ばざるが如し。昔から「中庸」や「適度」が説かれてきたのも宜(む)べなる哉(かな)である。
 ともあれ、快楽や喜悦が悲哀の情に繋(つな)がっていること、それはクライスラーのヴァイオリン曲「愛の悲しみ」の流麗甘美な旋律を思い出すまでもない。いってみれば、この曲は通俗的だが、それだけにストレートに万人の心を打つ。人の世の喜びと悲しみが切々と迫ってくる。愛に限らず、凡(およ)そ出会いという無上の喜びは必ず別離という悲しみを後に引き連れているのである。私もつい先頃、ゼミ生を送り出して、この思いを新たにしたばかりなのである。
 さて、人尽楽の「楽」であるが、元々、何かの弦楽器を爪引(つまび)いて音を出す、という意味だったらしい。この原義から音楽の調べの意味が生まれ、そして演奏したり聞いたりすることも「楽」というようになった。中国では、楽という言葉が文字通り音を楽しむ、「音楽」に由来するのは興味深いことである。その当時、まだ芸術という観念ができ上がっていた筈もないが、音楽は既に存分に人を悦(よろこ)ばせ愉(たのし)ませていたことが分かる。即ち、楽器が作り出す快い音と琴線に触れてくる旋律は、人の心の中から、様々なわだかまりをとり除いてくれる。そのような心晴れやかな状態を「悦」という。「悦ニ入ル」とは正に最高の快楽の一つだろう。そしてそのように、心を「いぶせき状態」、何となく思い塞がった状態から晴れた気分へ移し換えてくれる、これが「愉」である。音楽は人の心に愉悦をもたらし愉快にしてくれる、と昔の中国の人は考えていたのだろう。そのことは今でも十分に理解できる。今なら差詰(さしづめ)「音楽療法musico-therapy」と呼ばれる機能に関して、三千年近く昔の中国で既(すで)に気づかれていた。最近、音楽による「癒し」効果が話題になっているが、そんなことは夙(つと)に衆知のことだったようである。
 余談だが、音楽と精神形成の関係は古代ギリシアにおいても善く知られていて、音楽は精神を培い鍛えるための重要な教育科目になっていた。プラトンは、若者の健全な育成のために、聴かせるべき音階─旋律とそうでないものとを区別している。今なら教育界やPTAのうるさ方の意見ということになりそうだが、然し、音楽が直接的に人の心を捉(とら)えて、何らかの方向へ人を導く不思議な力を持っていることは今も昔も変わらない。
 楽(らく)のことは少し分かった。だが、「たのしい」は漢語ではなく日本語である。日本語の「たのし」はどんな意味だったのか?。「たのし」に「楽し」、楽の字が充てられているけれども、音楽とは関係がない。「たのし」の意味は「満腹して充ち足りた気分」のことだった。いかにも、空腹を満たしたときの満足感ほど人間に喜ばしいものはない。それもその筈、漢字の「喜」、喜ぶという字は「神様と食事を共にする」ことを示していた。今は飽食(ほうしょく)の時代かもしれないが、人間にとってずっと、食べることがいつも保証されていること程の幸福はなかった。一般的に物質的に充足していることを「楽し」といったようだが、「衣食足リテ礼節ヲ知ル」の言葉通り、当然、物質的な充足感は心の安寧とゆとりに繋がって行くだろう。斯(か)くて、楽しは「心楽し」となり、更に風流の一つも嗜(たしな)んで楽しみたいという心地になるのである。
 最後に少し付け加えると、美という字は「羊が丸々と肥えている」、要するに、旨そう、食べ頃といった意味か。中国では、美しいと旨(うま)いは同義であった。食して美味なるもの、それが「美」だったのである。

 今回は言葉の元の意味──それを昔のギリシア人たちは「言葉の正しい意味etymology」といった──を辿りつつ、少し思いを巡らしてみた。次回をお楽しみに。