知の喜び美の楽しみ(二)
米澤有恒 
((よねざわありつね:兵庫教育大学教授))

 今回から、一寸捻りの利いた美を話題にしてみたい。その美は確かに日本人の美意識の一蔓に当たっている。侘びとか寂びとかいわれる、何処かしら無常感とも繋がる玄妙な美意識である。寂びは既に平安時代末期、藤原俊成(1114〜1204)によって「歌合」の判詞、歌の優劣を決定するための基準の一つになっていた。余情や幽玄の趣きを愛して寧ろ直接的な感情表現を抑える、それは作歌の技巧でもあったろう。ただこのような、善くも悪くも作為的な美は捻りが利いているだけに、総ての人に一様に受け容れられるものではなかったと思う。いってみれば、帳人向きとか玄人受けする美である。精神的な貴族趣味の美といってもよい。かかる高踏的な美意識を実践する世界、それが茶の湯の世界ではないだろうか。千利休(1522〜1591)によって完成されたとされる「侘茶」の世界、この世界を貫く「和敬閑寂」の精神と美意識は「花のみを待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや」の一首に、典型的に表われている。蓋し、利休はこの歌に侘茶の本意を見たのである。この歌の精神は高踏的な隠者のそれと、大いに似てはいないだろうか。そういえば、京都の西方、双ケ岡に棲んだ代表的な隠者、吉田兼好(1283〜1350)は、いかにも隠者らしく、「花は盛りを、月は隈なきを見るものかは」といった。雪間の草に春を見た利休と、散り残る花に愛惜措く能わざる兼好は似ている。
 扠て、御存知のように『徒然草』という稀代の随筆集を著した吉田兼好は仲々の皮肉家であり、またシニカルな人、世の中を斜に見る所のある人だった。兼好の為人(ひととなり)が随所に滲み出ているので、『徒然草』は知的に捻りの利いた好読物となり、何百年も読み続けられている。人間の本質を衝く風刺や警句が鏤(ちりば)められていて、全く飽きさせない。その『徒然草』が高等学校の「古文」の教材として利用されるだけで、後は目も呉れられないなどというのでは以ての外、余りにも勿態ないことである。
 兼好はその時代の卓越した歌人であり、有数の知識人、所謂インテリだった。インテリというのは知識が多すぎる所為か、概して物の見方がストレートでなく少々ひねくれてくる。それはこうだからだろう、即ち、或る事柄に関して肯定的な知識も否定的な知識も併せ持っているために、単純に、或いは素直に「賛成」とも「反対」ともいえなくなってしまう。明日の天気を訊ねられて、「雨が降る天気じゃない」、などと以って廻った物いいをしたり、『三四郎』に登場する広田先生のように、逆説的な言辞を弄して人を煙に巻いたり-そういえば、広田先生は大の煙草好きだった-する。善くいえば「慎重で用心深い」のだが、悪くいえば「臆病でずる賢い」。実際、英語のclever、smart、prudentなどの語を見ても、それらが今いった二重の意味を持っているのは蔓白い。まあ孰れにしても、インテリはそれだけ奥が深く、一筋縄ではいかないといってよいだろう。それにしてもインテリの奥深さに比べて学識経験者とか文化人などと、当今、持て囃されている人たちの、何と無防備で浅薄極まりないことか。
 そういう人たちのことは措いて、「皮肉」、この言葉に「当て擦り」や「嫌味」という意味を持たせたのは、漢字の国の中国ではなく、どうやら日本でのことらしい。何時、何を切掛にそんな意味が生まれたのか、一度専門家に教えを乞いたいものである。この「皮肉」の語の意味を英語に探してみると、sarcasm、ironyの語が見つかる。どちらもギリシア語から派生している。茲で問題にしたいのは「アイロニーirony」の方である。このアイロニーは古代ギリシアの哲人、ソクラテスに由来している。アイロニー、ギリシア語で「エイローネイアeironeia」というが、元々、この語は「本心を隠す」、「猫を被っている」といったほどの意味だった。
 ソクラテスは、人間にとって大事なことは「無知の知」である、と説いた。自分は本当は何も分かっていない、自分の無知に気づくことが肝要だという。無知に気づくことで初めて、真の知的探求、哲学と呼ばれる「愛知の営み」が始まると考えたのである。ソクラテスが相手に「己れの無知に気づかせる」ために取った策略、それが件のエイローネイア、忍者風にいえば「猫被りの術」だった。忍者風に、といったのはソクラテスが意識的に自分を隠しているからである。そう、もうお分かりだと思うが、彼の忍術とはこうである、自分を隠して相手より無知である振りをする。この変装に身を隠して、「物を知っている」と思いこんでいる相手にとことん質問を浴せかける。そして相手を辻褄の合った返答ができない状態へと導く。要するに、相手を自己矛盾に陥れて、彼の知識が「見せかけのもの-それをドクサdoxa、思いこみという-」であることを発くのである。ソクラテスの巧妙なエイローネイアによって、相手が「物知りの振りをしていたこと」、無意識的にであれ相手も「エイローネイア」だった、このことが明きらかになる。一つの意識的なエイローネイアが腹の無意識的なエイローネイアの「化けの皮を剥がす」、それこそ、文字帳り「皮肉な」仕掛けになっている。ソクラテスのエイローネイアはこのように高級な「誘導尋問」というか、知的なタクティクスtacticsとして、歴史に語り継がれている。
 尤も、己れの無知に気づかずに、「知らぬが仏」と許りに脳天気に暮らしている人間にしてみれば、ソクラテスの親切は余計なお世話かもしれないし、手厳しく、聊か悪辣な仕打ちになっているかもしれない。
 とまれ、とことん問い正す、或いは問い詰めるということに関して、兼好が『徒然草』の最後で、自分の幼い頃を回想して書いている。自分は物事を徹底的に問い詰める、つまり、「根問(ねどい)」をする性質の子供で、能く周りの大人たちを困らせたものだった、と。だが私の父親は手を焼き乍らもそんな利発な我が子が誇らしかったようだ、と兼好は懐しく振り返っている。因に、「浮世根問」という秀逸な落語がある。余りに執こく鋭い問立ては当て擦りや嫌味どころか、屡々、強烈な「サーカズムsarcasm」になる。この語の語源は「肉を引き裂くこと」である。鋭い問立ては、時に、詰問や糾弾と変わらなくなり、相手の心をズタズタにしかねない。そのことを弁えておくのが大人の分腹というものだろうが、奈何せん子供の兼好にそれを望むのは無理である。その無邪気な邪気が愛らしくも恐ろしくもある。兼好の父も、「浮世根問」のヤカン大家-薬罐というのは、落語の世界で、「知ったか振り」をする人間の代名詞である-もさぞ迷惑し、辟易したことだろう。
 ソクラテスの一徹さの中にも、人を怯えさせるほどの無分腹さがなかったとはいえない。彼自身は、「守護霊」であるダイモーンに衝き動かされてのこと、というだろうが、その根問の徹底振りは尋常ではない。善き人間であるための分腹を説く、当のソクラテス自身が無分腹の境に至っている、それも「悪法もまた法なり」といって、毒杯を呷(あお)り自死する、という形で自分の根問を貫徹し成就する無分腹さであった。このソクラテスを、誰もインテリなどとは呼ばない。根問に殉じたソクラテスは「哲人」と呼ばれねばならない。「皮肉irony」の背後には、哲人の可借のない知的探求が隠れていた。
 兼好のもう一つの蔓、シニカル-「冷笑的で皮肉な態度をとるさま」(『広辞苑』第二版)に関しては次回に書くことにしよう。「シニカル」の語も、古代ギリシアの腹の哲人に由来する。この哲人こそ、ソクラテスと違って正に隠者だった。