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知の喜び美の楽しみ(四)
米澤有恒
((よねざわありつね:兵庫教育大学教授))
「樽のディオゲネス」、彼が奇人哲人と畏敬され続けることになった理由を述べてみたい。エクセントリックとも奇矯とも映る彼の生き方は、実は一貫した思想の実践に他ならなかった。その思想は後[のち]に一つの大きな哲学的思潮を生むことになる。つまりディオゲネスはアリストテレスに比肩されるべき思想家である許りでなく、正にアリストテレスに匹敵する哲学的影響力を残したのである。
ところで、皆さんは「ストイック」という言葉を御存じだろう。最近ではさっぱり耳にすることもないが、一昔前まで、若者たちが理想とする生き方の一つの典型として、しばしば文学作品の恰好のテーマにされたものだった。ストイックの意味を極端に日本風に解釈した上でそこに教訓的な風味づけをすると、日本に独特の「教養小説」−この語はドイツ語の「ビルドウンクスロマン Bildungsroman 」の訳語のようだが、この訳は全く以て不適切である−ができあがる。これが若者の必読書とされ、私たちの世代は能く読んだものである。教養小説風の物語を通俗化しお涙頂戴の仕掛けを施すと、TVの連続ドラマ、所謂「根性もの」の作品となる。特に大阪仕立てのそれは泥臭く、露骨にウケを狙ったものが多かった。TVの普及と表裏をなすかのように読書離れしだした若者たちは、根性もののヴァージョンである「スポ根」ものに熱中し、そこで聊かストイックな精神を学んだのだと思う。だが、輓近[ばんきん]、「スポ根」ものも含めて根性ものがすっかり放映されなくなってしまったし、教養小説にいたっては図書館の一隅で埃[ほこり]を被っていることだろう。どうやら、人々の精神からストイックなものへの志向が薄れてしまったものと見える。ともすれば直ぐにキレるという若者たちの精神的なスタミナ不足の評定が喧[かまびす]しい昨今、ストイックという観念自体が既に過去の精神性なのかもしれない。そういえば日本では「ストイックな精神」に少々胡散臭[うさんくさ]いところもあった。教育界における上意下達の教条主義的な傾向が一時期の国策とも相俟[ま]って押しつけた、人為的な人間像という趣きがなくもなかったのである。
序でにいうと、スタミナ stamina の語源は、「蜘蛛[くも]の糸」である。昔のローマ人は、蜘蛛の糸に、粘り強く切れそうで切れない肉体的精神的な強靱さを見ていたのだろう。
ストイックとは禁欲的、自制的、克己的といった意味である。この言葉はストア派の哲学、即ち紀元前四世紀から三世紀にかけて活躍したキプロス出身のゼノン(336?〜264?BC)が提唱した思想に由来する。年代から推[お]して、ゼノンはまだ伝説化される前のディオゲネスの生[なま]の言動を能く知っていたと思われる。
さて、ストア stoa 、それは美しく彩色された柱で囲まれた場所という意味から発して、アテナイで様々な公共の施設をストアと呼ぶようになった。創始者のゼノンが「ストア」で講義したことから、彼の思想に連なる人たちを「ストア派 stoikoi 」と呼ぶようになったとされる。ゼノンの所説はやがてローマへ受け継がれた。かの悪名高い皇帝ネロ(37〜68AD)は若い頃、ストア派の思想の熱心な共鳴者だった。賢人宰相セネカ(BC4〜65AD)を重用し、奴隷となっていた学者エピクテトス(60?〜140?AD)を解放した。彼等はストア派の有名な思想家である。然し晩年、ネロはストア派の思想とは似ても似つかぬ暴君となって、己れの欲望を恣[ほしいまま]にし暴虐[ぼうぎゃく]の限りを尽くした。ストア派の思想が説く厳しい禁欲生活に耐え切れなくなったからだろうか。ネロの晩年の所行を思うと、彼がストア派の庇護者だったことを容易に納得できないのである。ネロのことは措[お]いて、セネカやエピクテトス、更には哲人皇帝マルクス・アウレリウス(121〜180AD)らによってゼノンの思想は研磨彫琢され、そして実践された。彼等は新しい道徳感を導入し、それを生活の中で実践した。彼等哲人や賢人の生き方からストイックという言葉ができ、その生き方を信奉し実践することをストイシズム、ストア主義と呼ぶようになったのである。
ストア主義が掲げる人間の究極的理想は「アパテイア apatheia 」である。アパテイアと聞くと無感覚や無感動と思われ勝ちだし、元々、プラトンはアパテイア、無感覚を端的に死といっている位である。尠[すくな]くとも、感受性の鈍麻[どんま]が普通の受け取り方だが、ストア主義の場合、アパテイアは飽くまでも精神的な意味で用いられる。精神が感覚的欲求を克服することは固[もと]より、どんなパトスにも動かされない、精神に対して及んでくるどんな作用にも影響を受けない精神の安定性、堅忍不抜とか、泰然自若などといわれる「不動心」、それがアパテイアなのである。アパテイアへ至る精神の心構えや姿勢、それを範例的に実践した人が、他ならぬ「樽のディオゲネス」だった。
ディオゲネスの実践哲学の目標は「神に近づくこと」であった。この目標を実現するために三つの実践訓を掲げた。外見的には三つであるけれども詰まるところ一つ、即ち神のようであること。神のように生きる、何とも不遜[ふそん]な願望のように思えるが決してそうではない。寧[むし]ろ慎ましやかな生活を望むのである。神、それは完全な存在、つまり何も欠けたもののない存在である。従って神には何も望むものがない。それに対し、欠けたものを補って完全にならんとする、それが不完全な存在である人間の持つ欲求や欲望なのである。例えば英語の”want”を見れば分かることだが、wantとは欠乏のことである。斯[か]くて、欲望が少ない人間ほど神に近い存在、というディオゲネスのレトリックが成立する。
このレトリックが要請する三つのモットー、実践訓は次のようになる。一つ、アスケーシスaskesis、身体を痛めるような苦行も厭わないこと、一つ、アウタルケイアautarkeia、知足、足ることを知って余計な欲望を持たないこと、一つ、アナイデイアanaideia、この語は「鉄面皮」とか厚顔無恥と訳されるが、要するに恥を恐れないこと。この「恥知らず」の語は、最初、ディオゲネスの野良犬のような浮浪生活に浴びせられた罵言だった。彼はそれを逆手に把[と]って、自分の思想的モットーにしたのである。アナイデイアに別の見方をすると、厚顔は却[かえ]って自分の信じることに勇往邁進[ゆうおうまいしん]する大胆さということでもある。
ディオゲネスの考えは以下のように纏められるだろう。上述の通り、神ならぬ不完全な身の人間に様々な欲望が生じる、それは極めて自然のことであって、それを充足させるためにどんな手段を採ろうと、それは恥づべきではない。だが、自然の欲望を充たすとき、可能な限り簡単で容易な方法でなすべきである。そのような方法で満足できる人は神に近い証拠だからである。だから進んで苦行も敢行するし、日常、粗衣粗食に安じてそれで十分なのである。それ以上を望むなら、欲望を充たすことが自らの不完全さを助長しかねない。とはいうものの、「人の振り見て我が振り直せ」といわれるように、人間は動[やや]もすると周りの人間の思惑や判断が気になって、粗衣粗食で平然とはしていられない。人間が「社会的動物」である限りで、他人を全く無視することはできないし、他人との関係の中に「恥aidos」という観念も生まれてくる。ノモス派のアリストテレスに対し、ピュシス派のディオゲネスは、人間の間の掟[おきて]や風習が羞恥心のようなものを起こさせる所以のもので、それらは反自然的で人為的な決めごとnomosだ、と喝破[かっぱ]する。ノモスを無視してピュシスの儘[まま]に行動することが人間の幸福への第一歩になる、これがディオゲネスの思想の核心であった。
前回紹介したように、ディオゲネスは上手[うま]く社会と適合できない、否、敢て適合しようとはしなかった。彼の思想の流れを汲むストア主義も、それはそれで、時に孤立をも恐れない下手をすると独善になりかねない危険を孕んだ思想ではあったのである。然し、そのような一徹さが私には好もしい。
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