知の喜び美の楽しみ(六)
米澤有恒 
((よねざわありつね:兵庫教育大学教授))

 この連載も最終回を迎えた。随想の類はえてしてそうとしたものだが、本稿も御多分に漏れず、書き始めたときには思いも寄らなかった方向へ、話が逸れていった。『知の喜び・美の楽しみ』と題しながら、話は総じて一人合点の「知の喜び」に偏ってしまい、「美の楽しみ」を語ることは少なかった。美は感じるもので論じるものに非ず、というのは一つの真理だろうが、そういう遁辞【とんじ】を弄するようでは、私のつけた表題の「看板ニ偽リアリ」である。そのお詫びという訳でもないが、以下に私の美意識について綴らせて貰う。
 美、然しそれは互に妍を競い合う百花の絢爛たる美、例えば唐代の詩人・白居易が「花ノ下、美景ニ因リテ帰ランコトヲ忘ル」と詠んだ桃花や多くの枝々に咲きこぼれる「万朶【ばんだ】の桜」、「一面の菜の花」や地平の果てまで広がるかと見紛う許りの色とりどりの秋桜ではない。因に万葉の時代、日本人は桃の花を好んだが、平安時代以降、好みが変化して桜花を愛するようになったそうである。作歌を見れば、そのことが判然としているらしい。何故好みが変わったのか私は知らないが、私の語りたい美は謂わば「定番」の美、皓々たる青月でもなければ「唐紅に水括る」もみじでもない。満開の桜や全山のもみじ、所謂「雲錦」は間違いなく美しい。その証拠に、古来、これらは詩歌の格好の主題となってきた。また画題にも選ばれた。これらの美は直接的に目に迫ってくる。それも、少し眩し過ぎる位に。年齢の所為らしいのだが、私も、このような眩しい許【ばか】りの美を直視するだけの感覚的な視力の衰えを感じている。だから私は、兼好法師や千利休などの脱俗の文人に与して、渋みのある美、侘びや寂びに興味を覚えるようになった。別段衒いでも何でもなく、これは人間にとっての自然現象だと思っている。
 視力の衰えは残念なことではあるのだが、嘆く必要はなさそうだ。人間の五感の働きというものは年齢と共に微妙に変化しつつ、常に相応の充足を求めるものなのだろう。味の好みが少し宛変化して嗜好が変わることを、誰しも実感する。視覚や聴覚も屹度そうなのである。有難いことに、年齢に合った美を楽しむことができる。見る位置が変わり、見るものが変わるからだと思われる。G・ジンメル(1858〜1918)というドイツの思想家がレンブラントの自画像に関して述べている。レンブラントは、若いときから晩年まで、ずっと自画像を描き続けた。その晩年の自画像に関して、ジンメルは次のように指摘している。老人になると一般に目の焦点がぼやけてくるが、自画像を描くとき、レンブラントは瞳に明瞭な点を打たない、つまり、視点の方向をはっきりさせないように描いている、と。文字通り「点睛ヲ欠ク」訳だが、眼光の衰えは、感覚的にものを掴む眼力の衰えの表れである。自分に引きつけていうのでは附会に過ぎるが、兼好や利休の美の好みに関して、彼らの生理的な感覚力の衰えも無関係ではないのかもしれないなどと、不謹慎にも思ってみたりする。人間仕合わせにできていて、生理的な視力の衰えと引き替えに、別種の眼力のようなものが具わってくるものらしい。その眼力のお陰で、新しい美、パッと目につくこともなかったようなものの美を発見できるようになるのである。感覚的な美の陰に隠れていたような美が見えてくるのである。  爛漫の桜だけでなく、春嵐の気紛れが一夜にして散らし「落花狼籍」の憂き目を見た花に、そして秋冷、雲一つない夜の満月だけでなく、雲に覆われて無聊を否み難い微な月影に、捨て難い趣きがあるではないか、これもまた確かに美である、と兼好法師を気取ってみたくなる。美は決まりきった所だけにあるのではない。誰かの言葉ではないが、却って「美ハ乱調ニアリ」である。即ち詩歌に準えれば、規律に適った正調の歌より、法則に拠らない破格のものにこそ美は存する、ということにもなろうか。出会う筈もない所で美に見【まみ】えた喜びを、芭蕉は「山路きて、何やら床しすみれ草」と詠んだ。そういえば、芭蕉も自ら翁【傍点】と称した。兼好や利休の系列に連なろうとしていたのだろうか。
 感覚的な美、視覚が直接的に感得した美なら、それはそれで十分に充足的で、余分な説明も理窟も要らない。というより、そのような美は「有無をいわせない」のである。だから無言で「名月や、池をめぐりて夜もすがら」であるか、「あかあかや、あかあかあかや、あかあかや、あかあかあかや あかあかや月」などと、訳の分からないことを口走るよりなくなる。言語を絶する美しさに接した狼狽振りを、この句は見事にいいえているではないか。然し感覚的に把捉し難い美、誰もが直ぐに感得できない美となると、どうしても精神的な意味といったものを汲むよりないことになる。兼好や利休の好みに、色々な解釈が可能になるし、また、そうしなくては済まなくなるのである。含蓄だとか余情が問題にならざるをえないからである。
 所で、最古の美学者ともいうべきプラトンは美を「最も輝き渡るもの」といった。プラトンにおいて、眩しい程に輝き渡るものといえば、それは端的にイデアである。斯くて、イデアこそが最も美しいのである。だがここで、少し奇妙なことになる。対話篇『パイドロス』の中で、一つの物語(ミュートス)が語られている。人間の魂が肉体に宿る前に、神々に引率されてイデアの世界、神々しい光の国を見物に行く話が語られる。魂の目−日本では差詰【さしづめ】「心眼」という所か−はイデアを見ることができたが、残念ながら肉体の目は見ることが出来ない。輝きに目が眩むだけでなく、光の強さで目が潰れてしまうからだ、とプラトンは説明している。プラトンのいう美には、本質的に矛盾した所がある。美は目や耳で感じ取られる筈のものであるにも拘わらず、本当に感取しようとすると、目や耳が壊れてしまうというのである。そこから、真の美は感覚的には把捉できないけれども、理論的には探究できるものと解され、独特の「美論 calonologia 」が成立する。美の本質的な意味は感覚的な快楽にあるのではなく、寧ろ精神的な喜悦なのだ、というのがそれである。この考え方は西欧の美の思想の一つの典型として、長く継承されて行くことになる。勿論美の精神主義とも言うべきプラトンの考え方に、侘び寂びや渋味といった範疇が含まれることはない。これらの範疇は日本に固有のものといって善く、これらの内容を説明する上で、プラトンの美論が有効である道理はない。ただ、兼好や利休の「美の好み」を話題にするとき、当然その精神的意味が説かれるが、端なくも、プラトン風の考え方がなされている。彼等の美意識はその精神的意味を解明する事で漸く理解できる、と考えられているからである。そしてその際、仏教的無常感や禅の思想を参考にして美の意味を探ることが常套の手段となる。尤も、日本では必ずしも感覚的な美と精神的な美の間に価値の優劣をつけないのが普通である。自然観や人間観の相違が然らしむる所だろう。
 私は無常感に余り関心はない。従って、兼好や利休の美意識の哲学的とも美学的ともいうべき解明にも左程興味はない。生理的な感覚力が旺盛なときには感覚的な美を楽しみ、それが鈍化してくると精神的な美を楽しむことが出来る、この人間の幸運を嬉しく思うのである。それと共に、私が「精神的な美」に魅せられることが多くなったことに気付き、年齢を実感するのである。だからといって、自分の趣味が高尚になったと思う訳ではない。そんなことを思った途端に、自分の趣味に拘泥して素直に美を楽しめなくなる。それを「トタンの苦しみ」という、と駄洒落をとばした所で、この連載を終わらせて戴こう。
 諸氏、御愛読−下さったかどうかなどとシニカルなことをいわず−有り難うございました。

−完−