今年は「美空ひばり」の17 回忌であった。「歌謡界の女王」にふさわしく、各テレビ局秘蔵の(歌う)「ひばり」映像を蔵出しし、或いは所縁のある人々の回顧談で盛り上がっていた。「ひばり」といえば「歌手」なのだから別に問題がある訳ではない、だが私には違和感が拭えなかった。そういえば、2年前にも同じような感覚を抱いたことがあった。「石原裕次郎」の17 回忌の時である。 「ひばり」も「裕次郎」も「歌手(歌い手)」としての評価が突出したものであることに何人たりとも 異論はあるまい。『川の流れのように』や『悲しい酒』は「ひばり神話」の代名詞であるし、『銀座の恋の物語』『北の旅人』は「裕次郎伝説」の1 フレーズとして欠く事ができない。2 人の「スター」は「歌手」であることを望まれ、その要望に応えることができたが故に「神話」となり「伝説」と成り得たと言えよう。だが私が抱いた違和感とは、この「歌手」としての2 人の扱いに起因するものであった。 私 が物心付いた時は既に、「美空ひばり」はNHK にも出ない超大物(この件はいずれ触れると思う)であったし、「石原裕次郎」は『太陽にほえろ!』や『西部警察』で入退院を繰り返しながらも活躍していた時期である。したがって私は2 人の(映画での)全盛期を知らない世代である。ついでに言えば父母の世代は、「ひばりと田岡親分」(この件も後述する)の問題が取沙汰された時期であり、「いまさら裕次郎でもなかろう」という風潮が蔓延していた世代であった。結局、私は(リアルタイムには)純粋に晩年の「大御所・美空ひばり」と「ボス・石原裕次郎」しか知らないのである。幸い、「映画」を学ぶ機会に恵まれた私は、2 人の出演作を見聞きし、考察する機会にも恵まれた。ビデオで作品を鑑賞することが可能であるし、書籍から多くを知ることもあった。だが、そこでもやはり、この2 人の映画には問 題点があったのである。「歌って踊るひばり(映画)」と「動作の切れが鈍くなっていく裕次郎(映画)」は十把一絡げ的な傾向が強く、正当な評価がなされないという問題である。例えばひばり主演の『唄しぐれ おしどり若衆』と『おしどり駕籠』の違いを述べる必要性が(あまり)無かったという事実である。どちらも東映京都の制作で、中村錦之助の共演でと特徴は挙げられるが、先の『唄しぐれ〜』が作られた1954 年、ひばりは10 本の作品に出演し、『おしどり駕籠』の作られた1958 年には年間15 本に出演しているのである。その差異の明確な必要性は、一般の観客には全くもって必要とされないのである。私のような世代が、この2 人の映画の鑑賞を敬遠する理由はまずそこにあると断言できる。さて、その点と相まって、先の違和感が湧き上がってきたのである。 つ まり、主演作が100 本を越すような役者に対して、役者として正当な評価をせずに放ったらかしているのはどういうことなのか、ということが違和感なのである。ひばり(映画)が語られるのは『悲しき口笛』と『東京キッド』であり、焼け跡の記憶とともに日本人は無条件で彼女(と彼女の歌声)を 受け入れてしまった。同様に裕次郎の登場も『太陽の季節』と『狂った果実』で、戦後の「青年」の憧憬像を現出してしまったがために手放しでの評価がまかり通ってしまう結果となった。一応断っておくが、私は2 人が嫌いな訳では決してない。裕次郎などは一字を頂いているために非常に親近感すら感じるほどである。もちろん詳しく見ていけば、それぞれの作品に対する評価や評論が出てくることは当然だが、現状では「歌手」としての取り扱いに対して「役者」としての取り扱いが総じて低いと言わざる を得ない。より、厳密に言えば「役者」としてのキャリアが、2 人の「役者」評に反映されていないのである。端的な例を挙げれば、「歌手・美空ひばり」はその死去の後、国民栄誉賞を授与されたが、「俳優・石原裕次郎」は同じく死去の際に授与が取沙汰されたが結局見送られることになった。この件は色々 な状況が重なっての結果であるため一概に比較ができないが、「生涯俳優」を宣言していた裕次郎への「役者」としての評価であると言えよう。これは果たして正当な評価であろうか。 と いうことで、この連載記事は「ひばり」と「裕次郎」を「映画俳優」として考察していくことを主題として取り上げた。だが、「歌って踊ったひばり」や「動きの鈍った裕次郎」を論じる気はさらさらない。「十把一絡げ」と称した作品群にはそれはそれで魅力があり、そういった作品が好きな連中が論じれば済むものである。本連載はそこに属さない、つまり「歌わず踊らないひばり」と(ある意味で)「迅速でタフガイな裕次郎」の映画を取り上げていく。そこから、2 人の「映画俳優」としての本質を読み取り、今なお語り継がれる「神話」と「伝説」を別の観点から見直すことを目指していきたい。
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