座談会「デッサンの含意をめぐって」
デッサン観と歴史
上村:今回のDD展に関しまして、デッサン、素描にかぎらず、人間が描くことということの意味が歴史的にどのようなものだったか、それから今日描くことにどのような可能性があるのか、3人の方にお話ししてもらおうと思っております。まず、デッサンとかデザインという言葉は、もともとディゼーニョというイタリア語ですね。そこで、どういう時代からどういう意味で使われてきたのかというのを、まず岡田先生にちょっとお話ししていただきたいのですが。ディゼーニョという言葉を最初に使ったのは、ヴァザーリ以前にだれかいるでしょうか。 岡田:ディゼーニョという言葉は、アルベルティは使っていないと思いますが。まあ、ヴァザーリから本格的に出てくるのではないかとは思うのですけれどね。 上村:パノフスキーが、ディゼーニョ・インテルノ(内的)とかエステルノ(外的)というのを論じていますね。ディゼーニョ・インテルノというのは、もうぜんぜんデッサンとかそういうものを排除した、頭のなかの構想という意味ですか。 岡田:ああ、パノフスキーの『イデア』ね。ディゼーニョ・インテルノというのは、着想、インヴェンツィオーネというのとつながると思うのですが、ツッカロがはじめて使うからヴァザーリよりちょっとあとだけど、16世紀末のね。しかし、それはパノフスキーの読みではないかと思っています。たとえば、ラファエロの「私はもう自然界になにもモデルがないので、あるイデアにもとづいて描いた」という有名な手紙があるでしょう。それを、パノフスキーは観念的なイデアだとか、超越的なイデアだとか、ラファエロのなかからわきあがってくるものとか、なんかそのように解釈するでしょう。それはちがうのではないでしょうか。 加藤:そうではないとしたら、このディゼーニョ・インテルノということの意味は、どこにあるのかな。つまり、外形が重要だったというわけにはいかないでしょう。やはりインテルノという言葉は使っているわけだから……。外のかたちを客観的に模倣すること、つまり、自分のなかで発想するよりも外形を模倣する、あるいは移すということが外で、内観的なものが中だというか「インテルノ」だとしたら、やはり外形よりも内なるディゼーニョを強調するということは、たんに外形だけが問題なのではないということは確かなわけだよね。内なるというのが、自分のなかの心の動きとか、あるいは表現主義的な意味で、自分の感情の表現であるとか、そのようなものにつながらないとしたら、そこには、いったいなにが残るのかな。つまり、近代的に読まないとしたらといことなのだけど……。 岡田:ヴァザーリにも、そういうように読ませるところはあります。ただ、かなりそのように読んだのは、たとえばパノフスキーだろうし。だからといって、ではひたすら再現性を訓練したとかというのはおもしろくない。(笑)ただ、彼らは、たとえばそういうものをだれがみるかということはすごく意識していたはずだから。つまり、デッサンをする人と、その紙面との閉鎖的な回路のなかだけでデッサンを考えるというデッサンの考え、つまりそうやって主体は超越していくというデッサン観はちがうのではないかと思っていて。それは、ルネッサンスがそういうデッサンだという、そういうデッサンを準備したという考え方はあるけれども、それはちょっとカッコつきで考えたほうがよいと思っています。ではなにがあるのかということになるのですが、きっと、いま風にいってしまうと、他者の視線のようなものはあって、他者がつくりだしてきた欲望とかコードとかというのがあって、はっきりとそれは知っていたはずなのですよ。 加藤:素描の社会性ということでいえば、たとえば、ゲーテはちょっと特殊かもしれないけれど、ドイツの場合だったら、あのころの知識人は教養として素描というかデッサンを勉強します。当時は、とくに芸術家になろうという人だけではなく、ディレッタント(素人の愛好者)というか上流階級の人たちが、美術品や、あるいは直接世界を見るための基礎的な技術としてデッサンを身につけていたわけです。 岡田:ディレッタントというのは、見ることをいうのですが、そういう描くこともディレッタントという言葉を使う人がいるよね。16世紀末くらいから、たとえばアンマナーティとかそういう人たちが出てくる。 加藤:ディレッタントは、おそらく描いてみるでしょう。その描いてみるときに、ディレッタントたちは、先ほどいったアルベルティとか、ようするにフィレンツェあるいはトスカーナで重視されていた物語的な画面構成の要素とは違うものを念頭に置いていたのかもしれない。つまり、そのオルターナティブ(選択肢)というか、別の……。 岡田:職業とか。 加藤:ようするに専門家の基礎技術として素描を重視するのではなくて、むしろ、見た目のきれいさとか、ちょっと横道に入る知識といったある種の楽しみのようなものにディレッタントは成立の時点でかかわって出てきたのではないでしょうか。それに対して、美術教育のなかには、いわば芸術家養成のなかの素描、芸術家養成の過程のなかに組み込まれた要素としての素描というのがありますが、今回、デッサン、ドローイングというのを考えるときに、それがなにか不充分だ、あるいはそれに対してもっと別の道があるのではないかというような、そういう問題意識が出てきたわけですね。だとすれば、たとえば美術教育ではなくて一般的な教育のなかでの素描の位置とか、あるいは非専門家の素描教育について考えることが、かたちとしては専門的な素描を考える場合でも刺激になるのではないかというように、私は理解しているのですが……。 上村:そのとおりです。 加藤:だとすれば、ディゼーニョを考える場合でも、そういう視点をもっておいたほうがよいかもしれませんね。 井上:そうなると、教育という枠組みにこだわらなくてもいいのではないですか。たとえば、落書きというのは昔からあったでしょう。表と裏という言い方をすれば、アカデミー風の表向きのデッサンに対して、必ずしも美術作品に結び付かない落書きやスケッチのように、そこからずれていく裏のデッサン、線による描写もたくさんある。この表と裏のずれというか、相互の関係の変化が重要に思えます。特に20世紀になれば、表向きのデッサンでない裏のデッサン、非美術的なイメージ表現とかに可能性を認めていくようになりますね。 上村:ディゼーニョというのを最初から持ち出しましたのは、じつは、われわれがいま現在なにか絵を描くという場合にパッと思い浮かぶのは、なにか内面の表出としての芸術作品だという前提があるように思いましたので、どういう経緯があってそうなったのかということをお聞きしたかったわけです。たとえば美術の授業で、これはうまく描けている、うまく描けていない、感情がよくあらわれている、あるいは個性を発揮しているとか、そういう評価をする。そういうことに対して、美術の先生、実技の先生たちが反省しているわけですね。じっさいには、挿絵であるとか、地図であるとか、さまざまなかたちの描く行為があるのですが……。 井上:話を拡げることになるのか、腰を折ることになるのかわかりませんが、内面の表出としてのデッサン観が今の美術で支配的だとしても、美術の流れから言うと、そこには一つのパラドックスがある。上村さんもご存じのように、19世紀後半に、ギョームなどによって、フランスの学校教育での素描のあり方が変えられますよね。つまり、かつてのファイン・アート系に由来するデッサンに対して、いわゆる設計・製図などでやるようなデッサンが優位に置かれるようになる。ちょうど僕らが中学・高校の技術科目でやらされるような製図基礎みたいなものですね。背景には、産業振興という時代の要請もあって、いわゆるボザール風の素描が一般の人々の教育の場面では脇にやられていくようなところがある。20世紀の美術は、幾何学的抽象というそれまでの美術とは非常に異質なものの台頭によって特徴づけられますが、それらは、ボザール系の遠近法と明暗法を備えたデッサンではなく、産業技術と結び付いた製図的な線に関連しています。ですから、デッサンの問題を模倣か表出かという視点だけで語るのは、何かずれているような気が僕にはするのですが。 上村:じつはすでに、もういまから 100年以上前に、別のデッサンというもののほうが前面に出ていて、ギョーム以前のアカデミーをモデルにした美術教育のようなデッサンというのは、事実上行なわれなかったということですか。 井上:いや、行われないことはないのですが、学校教育の場面では、工業に結び付く素描の方が前に出てくる。 上村:そうでないデッサンが美術に押し込められたのですね。ただし、職業的な芸術家たちにとっては、内面の表出としてのデッサンは自明のものではない、ということになるわけですか。 井上:そうですね。たとえば、デュシャンは、芸術作品ではない作品をつくろうというときに、設計図のような図式的なデッサンを採用します。現代の美術とか教育の現場で、ドローイングとかデッサンを問うときには、そういうことも視野に入れておかないといけないと思います。ただ、西洋の場合、一貫しているのは、色彩などに対するデッサンの優位ということです。それは、西洋的な形而上学からきているといえると思うのですが。 岡田:いえると思いますね。 井上:その場合、デッサンが関わるのは、形式ですよね。つまり形相、質料というあの区別からすれば、前者の形相、フォルムの方。そこには、岡田先生がよく指摘されるジェンダー(性差)の問題も入ってくる。前者が男性で、後者の質料、つまりマチエールの方は女性。デッサンは前者に関わって、後者より上に置かれるわけです。 岡田:それは認識の側だし、精神の側だし、男性の側、色彩に比べたら……。 井上:ずっとそちらの側の優位が続くわけですね。 岡田:それはありますね。1600年代にすでに、その考え方はありますね。グィド・レーニが、ディゼーニョとコロリート(色彩)で、男女のペアで書いているじゃないですか。だから、それはあるんですよ、やはり基本的に。 井上:ところが、19世紀の末頃は、暗黙のうちに、伝統的な絵画的デッサンは女性的とみなされ、工業的な線の言語は男性的とみなされる。図式的に言えば、男は、工業生産と結び付く技術的でハードな線を、女は日常的な対象を描くソフトな線を、というふうに。そこでは、描写の仕方だけでなく、描く対象も変わってくるわけです。僕らにも身に覚えがあるでしょう。 上村:技術家庭科というのがそうですね。 井上:だから、すごく性差の問題も入り込んでいるわけです。たえず、マスキュラン(男性的)なやつが上にくるという。 上村:設計者と工業製作者が分離する以前の時代は、女性の役割とされることになるファインアートのデッサンも含めて、デッサンは一つしかなかった、そういうことになるのでしょうか。それ以前も、たとえば設計図や挿絵や地図製作などが、美術と比べて、どちらが優位とか下位とか、そういう関係が出てくるのは、やはり生産性が問題にされるからでしょうか。 井上:ファイン・アート系のデッサン以外に、18世紀の百科全書などに見られる図解的な線画がありましたし、オヌクールの画帖のように、中世末に出てくる建築設計者のスケッチなどもありましたよね。いわゆる画家のデッサンとは別に、装飾に関わるもの、構想図のようなものもあったと思います。でも、それらのさまざまな線画の分野のあいだに優劣を決めるというのは、16世紀以降、特にアカデミーの成立と絡んで、さまざまなイメージ・メイキングの領域のあいだに価値のヒエラルキーがつくられていく過程と関連するのではないですか。 上村:デッサンがしだいにいろいろな場所に分化していくにつれ、それぞれがいろいろ役割と価値を与えられていって、女性がやる美術のデッサンと工業デザインとしてのデッサンというのも、その一連の過程に入るということですか。 井上:そうですね、もちろんそれはそう見なされているだけであって、現実の男女にかかわっているわけではありませんが。 加藤:ジェンダーとは、そういうものでしょうけれどね。あと、いま井上くんがいった、デッサンの分化の背景には、やはり産業革命とか、大きな経済的な状況がありますね。たとえば、製図教育とかというのは、これはもうそういう教養人の仕事ではないわけでしょう、今度は。 井上:もう労働者教育のため、国の生産力アップのためですね。 加藤:するとそこには、いわゆる富国強兵というバックグラウンドが出てくるでしょうね。上村:たしかデッサンはずっと長く教育のなかでは数学の科目だったのですね。それが、フランスでは1840年くらいから、初等教育にデッサン・ディミタシオン(模写)という、見たとおりのものを描くというのが導入されました。それを一時期ラヴェッソンのような人たちが、いわば教養主義的な美術教育として、自己を高める機会として制度化しようと考えたのですが、ところが、産業界の思惑はぜんぜんちがっていて、いつのまにか、工業デザインの教育にすりかえられるわけですね。 加藤:ドイツだったらたとえば18世紀、19世紀のペスタロッツィとか、フレーベル。これは幼児教育、あるいはもう一般的な教育の問題だけども、素描教育をやっている。もちろん、富国強兵策のなかで出てくるんだけど、やはりそこには、非常にロマンチックな意味合いがこめられている。たぶん、いまのジェンダーのからみでいうと、子どもという問題もあるかもしれないね。子どもがやるべきこと。一般的な情操教育として。ですから、たしかにあまりきれいに分けられずに、いろいろな引っ込んだり出てきたりというところがあるんでしょうね。たとえば、日本の図画教育でも、富国強兵だといいながら、そのなかでもやはり、自由画運動というのが生まれてくる。 井上:それは大正期ですね。 加藤:そうです。富国強兵のときに最初の出発点があって、いわば基本的な技術家庭風の製図教育というのをずっとやっていくわけだけども、それに対して、いわば自由に描きなさいとか、見たままを描きなさいという自由画運動というのもやはり出てくる。でも、それもまた、第二次大戦前には、また政治的な力関係で抑えつけられる。けっきょく、全体としては、いろいろな浮き沈みがあるにしても、全部消えることはなくて、いろいろなかたちで出てきたり、ひっくり返したりというような感じで続いてきたということではないかな。 上村:でも、ひっくり返すにはいたっていないのではないですか。 加藤:それが正確には、よくわからない。ただ、美術教育のなかで自由画運動というのは、美術教育のなかの人が書いた歴史だからかもしれないけれど、大変重要なものとしてとらえられています。 井上:教育とは別に、美術そのものという観点からみたら、19世紀以降の美術というのは、そういう美術外のファクターにどんどん浸食されていくし、逆に、それをどんどん取り込んでいくというのがおもしろいと思うのですけれどね。 上村:つまり、デッサンは、いま二つのレベルで話が出ていると思うのですね。一つは、図を描く技術ですね。アルベルティが最初に初歩として遠近法を説明しているような、ああいう製図の技術ですね。それは、ある程度美術教育で教えられるし、それから工業デザインもそうでしょう。しかし、またそれと別に、画家の構想とか着想というのも、先ほどからの話ではないですが、まさに19世紀以降はどんどん強くなってきますね。 井上:岡田さんのいわれた面も、じっさいはすごく強くなって、ロマンチックに素描が取り上げられますね。 岡田:でも、その二つは、基本的にルネッサンスのデッサンだよね、ディゼーニョだよね。だから、レオナルドを考えたら、レオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図とか、あれは別のものではないわけでしょう。構想のための絵とかとね。 上村:レオナルドの解剖図というのは、解剖学的にはいいかげんだという話を聞いたことがあるのですが、それでも、線に違いがあるのですか?図解が合っているか合っていないかではなくて、描写の線が……。 井上:いってみれば、レオナルドの線は、絵描きの線ではないという感じがするんですよ。ティツィアーノやレンブラントとかが絵描きだとすれば、絵描きの線ではないと。 岡田:いや、ただ、流水、水の流れを描くわけでしょう。だって、数学の言語に置き換えられない以上、描くしかないよね。17世紀以降になればべつに、数式に置き換えてしまえばよいわけだけど、レオナルドは描くしかないじゃないですか。数学の言語を知らないし、まだないわけですから。だから、私はそんなに分かれていないと思うんですけどね。しかも、流水のあとで、その流れの線は、この植物のこの葉っぱの流れの線といっしょだとか。全部そうやってバーッと、メトニミックに動いていくわけでしょう、連想が。あれはすごくおもしろい。フーコーが言うように、そういう時代だったのだろうと思うのですが、じっさいに。ものの考え方自体、パラダイム自体が。 井上:それはよくわかります。水の線とか輪郭をもたないものをどう描くかということは、おもしろいのではないですか。ゴンブリッチ的なテーマかもしれませんが。シェーマが先にあって、それにのっとって描くという。 加藤:雲とかね。雷とか。(笑) 上村:でしたら、レオナルドが特殊だったというのは、その当時としては非常にふつうのものの見方で……。 岡田:やはり、突出はしていたと思いますが。(笑) 上村:とくに、画家の線と科学的な線というのを分ける習慣は、むかしは……。 岡田:ないわけですから。だから、ティツィアーノの線やタッチがよりアートだと思うのは、むしろわれわれ近代の方だから。 (つづく)
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