福嶋敬恭 作品展 現代美術シンポジウム(その1)
 1995年9月24日 長野県豊科町
福嶋敬恭/岩城見一/建畠晢/以倉新 

福嶋敬恭 作品展 現代美術シンポジウム

日時:9月24日(日) 午後1時〜午後3時場所:豊科近代美術館多目的ホールパネリスト:福嶋敬恭氏(出品者)/岩城見一氏(京都大学文学部教授・美専攻)/建畠晢氏(多摩美術大学美術学部教授・美術評論家)司会:以倉新(豊科近代美術館学芸員)

※この記録は、パネリストの了解を得て9月24日に行われた上記シンポジュムの模様を記録したものである。尚、文中の 小見出し及び注.は、美術館側で適時挿入したものであること、各パネラーには校正の段階で加筆訂正をお願いしたこと、 それ以外の聴講者からの発言は、紙面の都合上こちらで適時要約させて戴いたことをお断り致します。また、注.のうち『』内が作品名、続いて制作年、図録- とあるのは、今展の展覧会図録『FUKUSIMA's Museum』(1995年 豊科近代美術館発行)の図版番号をさします。

(司 会) 本日のパネラーのご紹介をさせていただきたいと思います。

向かいまして左より、京都大学文学部教授の岩城見一先生です。岩城先生は、ヘーゲルがご専門ですけれども、今回の福嶋先生の作品論を図録に載せていただきまして、展覧会を実現するにあたっても非常にお世話になりました。よろしくお願い致します。お隣が、福嶋敬恭先生です。福嶋先生は、20代の初めから国際的に注目を集めて来られた作家ですけれども、現在は、京都市立芸術大学で教鞭を執られています。今回の展覧会を実現するにあたりまして、直前まで、美術館で展示作業をしていただきました。よろしくお願い致します。最後になりましたけれども、多摩美術大学教授の建畠晢先生です。美術批評、評論の方でも、特に現代美術を中心に活躍されております。よろしくお願い致します。本日シンポジュームの司会を努めさせて頂きます、当美術館の学芸員の以倉と申します。よろしくお願い致します。それでは、まず最初に出品者でおられます福嶋先生の方から、自己紹介をかねて、ご自身のこと、それから展示作品について語って頂きたいと思います。

§ 無法者の法外な自由;あるいは芸術家にとってのスタイルの問題

(福 嶋) どうも今日は。雨の中たくさんの方々にお集まり頂きましてありがとうございます。僕の展覧会ですから、私が喋るのが順当なんでしょうが、私は、かつて美術手帳という美術誌に、79年ですか、15~6年前なんですが、その中で作家は作品の事について語ってはいけないというふうな文章を書きました。あまり喋ると説明が多くなりましてあまり良くないことだなあと思いながら、結局、質問があると喋ることになるのですけれど。まず作品を見ていただく、つまり既製の概念の枠を作らないところから作品を見ていただくというのが、順当な作品の見方ではないかと思います。それから、建畠先生が今度のカタログの中に僕のことを書いておられますが、その中に私のことを無法者扱いにしておられます。と言いますのは、一番カタログの最後のところに、"この展覧会を見たときに福嶋の法外な制作態度を確認できるだろう"、というふうなことを文章で書いておられまして、確かに私は無法者だと思いますが、無法者がまかり通るのは恐らく精神科学の芸術とかそういう分野の世界かなと思います。これが、日本政府が管理している様な事でしたら、私はとっくにどこかに連れて行かれているというようなもんですが、美術にとっての法外な在り方というのは、非常に僕にとってはうれしい言葉だと思っています。若いときからずっと制作のやり方というのは、いつでも、既製概念に捕らわれない、というふうなことを出発点にしてまして、もちろん作家というのは、創造なんておおげさな云い方かも知れませんが、新しく創造することですから、まあいろんな既成概念を排除して、ああでもないこうでもないといったことから思いを巡らします。今言ったその法外な在り方というのは、芸術家にとったら当然なんですわ。まあ私にとっても法外というのはなかなか難しい作業のひとつでもあります。ただそういう中で、作品を出品したときに外部の人に対してそういうことが少しでも見ていただけたらと思ってます。それから、作品の傾向については、岩城先生も、建畠先生も、作品の脈絡と言いますか、どのような手法をとっているかということが僕の場合なかなか分かりづらい面があると、皆さんも感じておられるかと思います。僕の考えでは、ま、普通の場合なんていうのは美術家にとってはないと思いますが、何か一つのスタイルを作ったらそれが自分のスタイルだと、自分が決めつけるのではなくて、外部から決められて、そして外部で決められた、この作家はこういうスタイルだということによって、自分自身も又それに拘束されてしまう。結局、自分で自分の首を絞めるような事になって、それで同じようなスタイルの仕事を続けて行かないといけないという風な、僕は本当はジレンマに陥るのだと思うんですが、とにかくそういうふうに感じるか、若しくは、そのスタイルが本当に自分のものだと思い込むと言うことの思い込みで同じことを続ける。僕は、形式上のスタイルというのは全くナンセンスだと常々思ってますから、僕の作品に前後の繋がりがあるとすれば、作品は、制作を通しながら、考え方が一貫している、とだけしか云い方はありません。ですから、作品の材料だとか技法だとかはもちろんのこと、スタイルそのものもさほど気にしてませんから、見る人にしてみれば、何か訳の分からないものというふうな見え方をするのではないかと思います。それが、今までの出品の経過から来る僕の印象ではないかと思うんですが、この美術館で、ある程度作品を集めて見ていただける機会を得ましたので、そして、新しく出ましたカタログの中に、以前の作品から順にそって、ある程度解説機能を考えていただいていますので、わたし自身の歩みというのは、何かの手掛かりになるんではないかというふうな感じがします。そういう意味では、カタログの中で、たくさん作品があるんですが、その中である程度ピックアップして、僕と学芸員の以倉さん、その人と選びまして作品を展示しました。それで、少しは僕の歩みというのが分かっていただけるんじゃないかというふうに思います。

(司 会) どうもありがとうございました。それで、本日のシンポジュームのスタイルなんですけれども、せっかくの機会ですので会場にいらしていただいた皆さんからも、随時ご質問なり、ご意見なりをいただければと思っております。ですから、特に質問の時間というのは取りませんので、お手を挙げていただきましたら随時発言をしていただいて結構ですので、よろしくお願い致します。今、まず第一声としまして出品者である福嶋先生からお話しをしていただいたんですけれども、今日、お集まりいただいた皆さんの中には、日頃から現代美術に親しんでおられる方もいらっしゃいますし、また、あまり馴染みのない方も大勢おられると思います。それで今日は、福嶋先生の作品に即しながら、また、日本の現代美術の状況についても、今の同時代の作家の方たちが作っておられるものに対する素朴な疑問ですとか、そう言ったこともどしどしお出しいただければと思います。続きまして、それでは岩城先生の方から簡単に今回の展示の感想ですとか何かありましたらお話しいただけますでしょうか。

§ ミニマリストという批評の功罪;あるいは福嶋さんの多様性について

(岩 城) まず、少しお話しする前に、私が書きました図録の中に、随分校正に関しましても学芸員の以倉さんに協力いただいて、何度も校正をして間違いのないように気を付けたんですけれども、二カ所誤植があります。これを訂正させていただいてお詫びしたいと思います。一つは34頁の左の列の11行目の一番左、ステンレスがスレンレス、レになっています。恐らくワープロをあわてて打ってスレンレスになっ てしまったんだと思います。恐れ入りますがご訂正ください。それから、もう一つはもう少し前、29頁の右の列でございますが、その上から4行目、これは90年、大阪の国立国際美術館で行われましたミニマルアート展というのですが、そこに出されました福嶋先生の作品がこの図録にも載っておるんですが、この図録の番号とづれておりましたので訂正させていただきます。本図の4と24、その次ぎ27となっておりますがこれは25の誤りですので訂正致します。今回の展覧会に当たりましては、ある意味で協力者として努めさせていただいたわけですけれども、私は、かねがね福嶋先生の作品がどうしてこれまで全体的な形で、ある程度の展覧会が為されないのかと疑問に思っておりました。一度是非、何らかの機会に見たいものだと願っておりまして、たまたま今回、豊科近代美術館が企画展として取り上げて下さって大変うれしく思っております。と言いますのは、図録にも書きましたように、福嶋先生は一般に美術の世界でミニマルアートの作家として位置付けられていまして、これは、全く間違っているという訳ではございませんで、その点での優れた作品も作っておられますし、それは図録でも申し上げました。ただ、そのことが逆に、そういうふうな一つの評価というものが枠組みを強くもち過ぎまして、それに収まり切らない福嶋先生の作品の意味というものが消された上に、十分理解されないままになって来たという点が非常に多かったのではないかとかねがね思っておりました。この図録で申しましたように、福嶋先生の若き時代の作品の批評としましては、藤枝晃雄さんの批評というのは大変優れた批評でありまして、当時の福嶋先生の作品を非常に新しい視点から切り取っておられまして、これは評価しなければならない功績であります。ただ、それ以降の福嶋先生に対する理解が作品に対する理解ではなくて、そういうふうな形で造られた枠組みから見てしまうということが非常に強くされてしまう。これは、物を作る、あるいは、私たちのようにものを書くという場合も同じでありまして、例えば私の場合でしたらさっき紹介にありましたようにヘーゲルをやっている、ヘーゲルをやっていた、ヘーゲルの岩城という言われ方をします。そうしますと、他のことをやりますと、あいつは本来のやるべき仕事を怠って何か横道にそれているというそういう見方をされてしまう。そういう形の中で私たちは常に何か苦しい思いをしながら仕事をしなければならない。そういうふうな枠組みを一度取っ払って、作品と対話できるような、そういう状況というのを私たちはこれから、単に福嶋先生だけではなくってそれぞれがやはり模索して行く必要があるんではないか、そういう点で今回の展覧会は非常にありがたい機会であったと私は思っております。そういう意味では、今日、作家である福嶋先生を真ん中に挟んでお話しするということになる訳ですけれども、一つ重要な視点が出てくると思います。つまり、作家というのは作品の原因であります。作品を作るためには作家が必要になります。しかしながら、作家というのは作品によって初めて作家である訳であります。このとき、どういうことになりますかというと、作品の原因は人間である一人の作家でありますけれども、しかしその作家が作家として成り立つのは作品によって初めてであります。その為に、作品を作るたびに、作家像というものが一つの像を結んでくる訳であります。ですから、その作品に関する解釈というものに関しましては、かなり、神経のいる仕事というのか、みだりに強制的な枠組みを当てはめないような一つのアプローチの仕方というのが私たちに求められているのではないか、そういう点で、今回の図録では幸い企画側のご努力によりまして、カラーの写真がついて、ある程度の全体像も見ることができるようになりました。これによって、福嶋先生の作品というのは決して一つの枠組みだけでとらえる事のできない、非常に多様な可能性をもっている、これを直に私たちが認識することができるということ、これが一つこの展覧会の投げかけた事柄であるというふうに私は思っております。簡単でありますけれども、まず最初にそういうふうなことを感想として持ちましたのでお話し申し上げました。

(司 会) ありがとうございました。余談でありますけれども、今、岩城先生は京都大学におられますけれども、それ以前、京都市立芸術大学におられまして、古くから福嶋先生とはお知り合いだったということです。続きまして、建畠先生の方から一言いただけますでしょうか。

(建 畠) 岩城先生の方から、福嶋先生の多様な存在、をどのように作品の解釈を通じてされたらいいのかというお話しがありましたけれども、最初に福嶋さんご自身がおっしゃったように、私が結論で法外な自由と書いたのを素直に喜んでいらっしゃるんですが、これは美術評論家としては大変困ったことなんですね。つまり、何をするか分からない。だから、例えばですね、個展があったときに、序文を頼まれるとする。これいつも警戒するんですね、何をするか分からないから…。しかも、ぎりぎりにならないとなかなか仕事が進まないんで、事前に見るということができないんですね。それでまあ、今までの作品がこうだったからこうだろうと思って書くと、全然違う(笑い)、できた作品と。で、ご本人はね、法外な自由を楽しむ人だから、まあ、知らん顔をしてるんですね(福嶋 苦笑)。僕は、確かに最大限のオマージュとして"法外な自由"と申し上げたつもりですけども、実は大変困ったことなんです。ともあれ、今度の個展は非常に貴重な機会です。今まで、作品をまとめて見る機会を私たち持たなかったんで、順番に作品を見る非常に貴重な機会なんですけれども、ご覧になって、例えば高田博厚(注.豊科近代美術館の常設作家.ロダンなどフランスの近代彫刻の伝統に直接通じる具象彫刻)の作品のような一つのポイントが見つからない、なんかちょっと難しいなと思われる方もいらしゃったんじゃないでしょうか。それに、普通、画家と彫刻家と言いますよね。これ、別の仕事なんだけれども、福嶋先生の場合は、彫刻とも絵画とも言えないような、どこにもはいらない作品を作っておられる。そこからして、大体、今までのジャンルごとにものを考える習慣を持ってる人達は、この作家をどう書くのか…。それから、よく具象美術と抽象美術とね、二項対立のようにいわれますが…。これも、福嶋先生の作品の場合は、抽象かなと思ったら具象。素材もそうでしょう。ブロンズだったり大理石だったり、一般には大体一つの素材を使う作家が多いんだけれども、これはもう、ステンレスからロウがあったりアクリルから色んな材質のものがある。しかもですね、一つの方向に行けばいいんですけど、福嶋さんの場合は、こういったところをまたふっと(笑い)元へ戻って…。定方向だったら、こうなってこうなってこうなってこう、そしたら多少変化しても順番を追って行けるんだけれども、それもまたかけ離れてるんですね。だからなかなか今までの彫刻を見慣れた方には理解するのが難しい、訳が分からないとおっしゃる方もいらっしゃるかも知れませんが、これはまあ、訳が分からないからおもしろいんだと、訳の分からなさ加減がおもしろいんだと言えるのではないでしょうか。分からないといった時に、分からないから敬遠してしまうといった人もいるかも知れませんけれども、分からないから興味を持つ…。恋人を褒めるとき、君って不思議な人だねという、不思議というのは魅力的だということです。福嶋さんの作品は、ひとつ言うとああそれで全部分かったと言うんじゃなくて、何か、そういう不思議さが魅力になってるんじゃないかと僕は思って、また次に何するか分からない作家なんですけどね、はらはらどきどきしながら、その不思議さを楽しんでいるわけです。

(司 会) どうもありがとうございました。非常にまあ、分からない作家だということでお話しいただいたんですけれども、僕も今回、美術館の企画側としてかかわらせていただいたんですが、作品を写真で見た感じと実物を見るのではだいぶ印象が違いました。いろいろな素材が使われていて、そういう発想の元はどういうところにあるのかということは非常に、今日、実はお聞きしたい事の一つですし、また、ずっとそういう、ちょっと語弊がありますけれども実用的な用途のない物ですね、ま、美術品ですけれども芸術品と呼ばれますけれども、実用的な用途のない物でいろいろな物を作り続けて来られた、そういう原動力みたいなものはどういったところにあるのか、背景のようなこともお聞きしたいと思っているんですけれども。先ず、会場の皆さんの方から何かございますでしょうか。何か質問とか、展示をご覧になった感想ですとか。>

§ 壁のような絵について;あるいは理解を拒み知覚することを要求する作品

(客席から) 一番最初に二階に上って、廊下の所ですね、黒い展示物(注.『NO.1』 1980, 『NO.4』 1980, 『5th AVENUE』 1981, 『NO.5』 1981の4点の作品で二階展示場の回廊の各辺に展示.図録-28~31)があった訳ですが、さあ、これは幕か何か引いてあるのかなと思って最初見せていただいて…。ところが、あれは作品なんだということで、びっくりした訳ですが…。それからもうちょっとぐるっと回って、やはり廊下の所に随分大きな作品が展示されておりますが、ああいったものを初めて見た人が何を言ってるのかというかね、それが分からないでうっかりすると黒い、ただ壁があって、これは作品であったかどうかなとそういうふうに見て、或いは帰られた方もありゃしねいか、何か説明書きが必要なのかなといった、そんな点についてお願いします。

(司 会) まず、作家ご自身の福嶋先生に単刀直入にお聞きしたいと思います。いかがでしょうか。

(福 嶋) はい、まあ説明になるかどうか…、今回の展覧会にだした一番新しい作品は、二階にあるガラスで囲まれた作品(『Untitled』 1995 図録-補4) なんですね。今、言われた作品は、80年、81年ごろ、15年ほど前の作品です。それは、共通性がありまして、元々から僕自身気にしてますのが、"知覚する"という感覚ですね。作品というのは、目で見る、ということで、知覚というのは五感があっていろいろあるわけなんですが、そういうことを総合して"知覚をする"というふうなことを自分の一つのテーマとしています。それであの大きな作品の場合は、例えば視覚の中にすっぽり収まってしまったときには、目で見ることだけで、つまり、芸術の見方というのを視覚だけに頼るというふうなことになって…、大旨はそういうものだと思うんですね。で、あの作品は長さが12mあって、壁のようで、建物に近い高さをもってますと、あそこのところに例えば身を触れながら、作品と1m、2m間隔を置きながらすっと通って行きますね。通って行ってる時にその通路を含めて何かを感じればいいんだと。だから、物を見るんではなくて感じながら通る、というふうなことを主体にしてるんです。ですから、美術の在り方というのは、視覚は確かに第一番目に重要な問題だと思うんですが、そういうものだけで理解されるのではなく、それをもっと、本当に五感に近い知覚というものに置き換えることによって何かを感じるんじゃないかというふうに思うわけです。例えば、簡単な言い方をしますと、皆さん京都の方だとか旅行されますね。その時に、京都、大阪とあるわけなんですが、京都に来ると何か京都らしい雰囲気があると思うんです。それから、大阪に行くと大阪らしい雰囲気が多分あると思うんです。それは何かと言いますと、確かに視覚を通して何かを見るんですが、大旨は、そういう感じるものというのは、視覚だけではなくて、まわりの雰囲気が全体でそうなってるんですね。知らず知らずの内に、京都なら京都、大阪なら大阪というものの中にどっぷり浸かってる、ということが目で確かめるんではなくても自然に感じ取れるというふうな、そういうレベルのことなんですが、そういう知覚ということを僕は大事にしてますので、そのような形になってます。それで最後の、ガラスの作品なんですが、あれは部屋の大きさとか人間の背の高さとかいろんなものがいろいろ作用してまして、あれを写真に撮ろうと思いますと不可能に近くて、写真では撮れないですね。それは何故かといいますと、僕がそのようにわざわざセットしたわけですが、作品が置かれている所と壁との距離が狭すぎて、否応無しに体をその範疇の中に入って行かないと、……触れるようなものでないとだめだというふうにセットしています。それは、物を目で見ることだけではなくて、中に入ることによって全体像を感じ取るというふうなことを目的にしてますから、そういう意味では、新しい作品も古い作品もかなり近い、形は違いますが近いものだと思います。それを、もう少し具体的にした作品が1970年の大阪の万博の作品(注.『BLUE INTERVALS』 1969-70 図録-13)なのですが、"木曜広場"という広場に青い板を69枚ですか、70枚ぐらい並べまして、高さが2m近くで薄い、厚みの3cm位の板なんですが、それを並べまして、そして、そこの間を通ることによって青い世界に、人間を洗脳してやろうと、"青いもの漬け"にしてやろうということが、まあ目的だったんです。そういう意味で、僕はむしろ視覚よりも全体像を含む知覚の部分に何とか近づこうというふうなことを思ってましたのでああいう表現になったわけです。このようなことでよろしいでしょうか。

(司 会) ありがとうございました。ちなみに、1980年に1年間、福嶋先生はニューヨークに滞在されて、その時の作品が黒の平面のもので今回4点出てますけども、あの材質について言いますと、鉛筆の芯を削られたそうですけれども。ずっとまあ、ニューヨークに行かれて観光もせずに芯をたくさん削って粉にして、あの大きなキャンバスを一人でお張りになって、木枠も全部自分で作られて…。今回展示するのに、10人くらい京都芸大の学生さんたちに来ていただいて10人がかりで張ったんですけれども、10人でも大変な作業でした。それを、お一人でニューヨークのアトリエでされたとお聞きして驚いたんですけれども。やはり、今お話しをお聞きしていて作品のサイズが重要だと、人間の体のサイズですとか、我々が具体的にものを感じるときに、それに即してサイズを決められるということだったように思うんですけれども…。それに関して、建畠先生、何かございましたら。

(建 畠) あの大きな作品はですね、ある意味では今回初めて正常な状態で鑑賞できるようになった…。僕も、あの壁のような作品をここで改めて見て、こういう作品だったのかと非常に強い印象を受けました。確かに、あれを作品だと気がつかないで帰ってしまう方もいるかも知れないですね。何であんな大きなものを作ったんだという…。これはね、決まった答えは無いと思うんですよ。本人は、福嶋先生は知覚ということをおっしゃったけれども、 だからといって、あそうか、分かったというもんじゃなくて。逆に、さっき岩城先生が、作家は作品の原因ではあるけれども、作品によって作家は成立するということで、云わば、僕らには作品だけがそこにあるわけです。だから、見る人によっていろんな解釈がありうると思うんですよ。僕はね、僕の意見ですよ、あれはね、あのばかでかい大きさが、意義があると思うんですね。それから、あそこは廊下ですから引きがないですね。全部を一望に見る引きがない。だから、あんな狭い所においたらいけないんじゃないか、少なくてもこの部屋(注.シンポを行ったホール)くらいの空間に置かないといけないんじゃないかと思われる方がいるかもしれないけれども、ただね、逆にいうと、あれ一望にできるとこに置いて絵のように見えちゃうと、ただの絵になっちゃうんじゃないかな、恐らく。あの作品は、これ(注.展覧会図録)では分からない。ここに図版が出てるけども。その絵柄がどうこうという話じゃなくて、あのばかでかい大きさを端から端まで見るのに歩かなくちゃいけないじゃない。視野に一望できない、歩きながら見て行かなくちゃいけない。見た目でパッと理解するのではなく、その前を何度か歩いて感じられる、そういう不思議な体験をさせてくれる絵です。しかも、歩いてみると、完全に壁のようにのっぺらぼうかというとそうではない。油絵のようなタッチはないけれども、何かね、やっぱり印刷やローラーで塗った色とは違う。ともかく人間が描いてるというのが分かる、近くに行くと。これじゃ(注.図録)分からないんですね。近くに行くとね、もう一度ご覧になったら分かると思うんですけどね、近くにいってじっと見てるとタッチがあるんですね。そういうタッチが見えてきたら、それを見ながら壁に沿って歩いて行くと、歩くのに時間が掛かりますよね。その間に何か…。絵って普通、瞬間的にパッと分かるものだけども、建築を体験したりするのと同じように歩きながら理解を進める、というのもあるでしょうし、これも一つの見方ですね。あんなんだったら壁紙はっときゃいいんじゃないかというような、そういう疑問当然あると思います。じゃあ壁紙とあれはどう違うのか、何で壁紙ですむようなことを作家はあんな変なことするのか…。で、そう思って改めて見るとですね、全く何もないと思った壁にタッチがでてきたり、或いは、下側を見ると、下に色がついてるんですね。微妙にほんの薄いストライプで色がついてる。それからね、黒の中にちょっと、同じ黒なんだけども少しトーンの違った黒で模様がついてるんです。これ、最初気がつかないんですね。なんだろうなと思って見るとね、そんなに単純じゃない仕掛けがいろいろあって…。だからといって、あそうか、全部分かったということはないんでしょうけども、いろんなことを考える過程が潜んでるんですね。ああいう廊下で見せられるというせいもあると思うんですけど、何か粛然とさせられるというか、宗教的な崇高さに近いような、そういうふうなものに撃たれる、こちらが居住まいをただされるようなそういう力があるとも思う。これは、人によって感じ方が違うでしょうが、私の個人的な気持ちではそんな気がします。僕の考え方は僕の考え方ですので皆さんとは違うでしょうし、或いは、僕の考え方と福嶋さんの考えていらっしゃること、全然意図することが違う、でも、僕はそれは構わないと思うんですね。正解なんて無い、と言っちゃうと言い過ぎかもしれませんが。

(司 会) ありがとうございました。あの作品ですけども、巻いた状態でキャンバスを運んで来て広げたんですが、何かいい匂いがするんですね。で、お聞きしたんですけども、別にそういういい匂いがするようなことは思い当たらないとおっしゃって…、何か甘いような匂いが今でもするような気がするんで、後で、是非、嗅いで見てください(笑い)。で、あれ、鉛筆の粉でしたけども、鉛筆を削ってね、粉にして塗ろう、という発想というのはどういったところからでたんですか。

§ 壁のような絵の方法論;あるいは色の奥行き、手のあと

(福 嶋) ええっと、方法論を言ってしまうと(苦笑)、まあ言ってしまってもいいんですけどね、もう既にあるから…。鉛筆の粉を、鉛筆の芯をサンドペーパーで細かくして、それを塗ってるわけなんですが、何故そういうことをしたかといいますと、あれアクリル絵の具なんですが、アクリル絵の具の中に少量のグラファイト、ようするに黒煙、鉛筆の芯ですね、あれを粉にしたものを溶かしまして、これはかなり透明なんですわ、それを何度も何度も塗り重ねて行くわけです。で、10回くらい、もっと多いのもあるかも分かりませんが、全面にずっとハケで塗って行くわけなんですが、何故そういうことをしたかといいますと、色というのは普通の絵の具の場合は、色がすぐに光りに反射してそれから画面が表に知覚的に見えて来ますね。それだけでは、まあ、全然おもしろくないので、横の広がりと同時に絵の中に奥行きをつくるという…。それで、深みのある色を使おうと思ってましたので、透明な絵の具を、それも普通の絵の具ではなくて粉のようなものを透明のメディウムに混ぜて、それで重ねていってるわけです。その時には、透明な絵の具でどの辺りが一番いいのかと、どの辺りで何回塗ればああいう絵になるのかというのはやってみないと分からなかったですね。それと同時に、先程建畠先生が言われましたが、あれは現実にローラーだとかスプレーだとかそういうものでは描けないものなんです。というのは、やはり、ああいう画面だからこそ自分自身のものが成り立つ必要性があります。じゃないと、うわべだけ見てしまえば建物の壁かもしれないし、壁紙かも知れませんね。そういうふうになってしまうのは非常に危険なので、その、大袈裟に言えば一筆一筆がずっと積み重なっていって、その奥行きだとか広がり全体を持たすというふうなことを考えてましたので、あれは、一筆一筆の、ある意味では僕自身の厳密な方法で塗り重ねていったものが全体を作ってると、で透明なものが奥行きを作ってるんじゃないかと思います。こういう考え方は、多分、絵画を専門にしてる人は、されないんじゃないかと思うんですね。僕は恐らく、立体を扱っているのが元々の仕事だったものですから、平面の中に奥行きを与えるというふうなこと考えてましたので、深みの、できるだけ深みのあるものを平面の中に押し込めるといったことから始まったんです。以上でよろしいでしょうか。

(司 会) ありがとうございました。おもしろいと思いますのは、普通、絵の奥行きといいますと、遠近法で描かれてたり、描かれたものの奥行きなんですけれども、今のお話しですと、"深み"という言葉がぴったりくるような奥行きというふうに思いました。で、こういう平面作品について、岩城先生、何かありましたらお願いします。

§ 現代の認識と経験のあり方;あるいは"作品"が日常の皮膜を破る

(岩 城) 建畠先生のお話しがあり、以倉さんの質問に対する福嶋先生のお話しで、ほぼ尽きているというふうに思います。まず、福嶋先生が"知覚"ということをおっしゃった、単なる視覚ではない"知覚"という点について、それから、そこに雰囲気というような非常に微妙な問題が込められているということをお話しになりました。そして、そのような状態を作り出す上で、重要な方法と言っていいでしょうか、建畠先生は大きな画面が廊下に置いてある、だからあまり後ろに下がれない、下がれないということがむしろ大事であるというふうにおっしゃいました。これは、私もそういうふうに思います。つまり、後ろに下がりますと、先程建畠先生がおっしゃったように、一つの物として明確に見えてしまいますが、雰囲気といった状態から離れてしまう訳です。そういう雰囲気を感じる状態から離れてしまう訳です。それから、福嶋先生が色の材料のことに関しておっしゃいました。深みを与えるというような言い方、奥行きを与えるという言い方でおっしゃいました。これもやはり、雰囲気と非常に関係していると。それらと、先程の以倉さんの質問の中に、身体との関係、つまり作品のスケールのことが非常に重要じゃないかというような質問をされたと思いますが、やはり雰囲気というのは、これは身体の問題だと思います。これは単に目で見て感じるというんじゃなくて、体全体と作品との関係によって初めて雰囲気というのは成り立ってくるものでありますから、そういう点で、福嶋先生の作品というのは常に、現実の経験している身体、知覚というのは身体的な経験を離れては成り立たない世界でありますから、身体のサイズ、或いは身体との関係というのが常に非常に重要になって来ます。これは、恐らく、ほとんど全ての作品に関して、もし一貫性があるとしたら(笑い)、あのう一貫性を求めようとしたら、そこは、福嶋先生の作品は、作家にとってはほとんど全てがそうでなければならないし、そうであると思うんですけれども、身体との非常に密接なというかそれを抜きにしては考えられない関係というのが、福嶋先生の作品の場合には、非常に何というのか、深く反省された形でその作品を決定していると、そういうふうに言えると思うんです。それはどういうことかと言いますと、では、身体を離れた作家にそういう雰囲気経験があるのかと言いますと、結構あるんでありまして、それは《言葉》であります。例えば、私たちは旅行案内なるものを読みましたら、ある程度山の状態、例えばここの、松本から豊科を通って行く路、アルプスの山々の非常に風光明媚な場所でありますが、それは、単なる知覚のレベルでのものだけではなくって、そういうところには既に様々な写真とか言葉とか、或いは映像メディアによって前もって与えられた、身体を関与しないで私たちの中に埋め込まれているような、そういう雰囲気といったものが既に働いてしまっていて、それによってかえって私たちは、実際のアルプスの世界の中で直に知覚的なレベルでアルプスを体験するといったような、そういうものが薄れてしまっている。そういうふうな状態がひとつあって、美術に対しても、様々な言説、言葉というものが美術を巡って働いておりまして、そういうことによって本来の美術の成り立っているその場というものが見えなくなってしまう。そういった状態を一度反省し直す上では、そういう言説の成り立たないような作品を一度作って見せる、そういう点を、福嶋先生はかなり、恐らく意識的にその辺を強く作品に込めておられるんじゃないかと。それから、色の厚みということに関しましては、これは、とりわけて最近の作品に関しましては、技法が様々に分化して変わりながら、例えば、ステンレス、真鍮などはこすった跡をいれるという方法がとられている。物は、普通、すでに名前を与えられた物として見えてしまいますけれども、それを見えないような形で、つまり物の名前を思い出そうとしたら思い出せず、むしろ表面に意識を向けることで我々を奥へ引き込むような、或いは奥から物が浮き出てくるようなそういうふうにすることで、見ているという空間の中で見るものの厚みを常に我々に体験可能にするような、そういう在り方の作品を常に心掛けておられるというふうに思います。この点に関しましては、やはり、ものを認識するという認識の問題に非常に関わったところに話は進んで行くと思いますので、少しややこしくなり過ぎるかも知れません。この点に関しては、少しは図録で書かしていただきましたので、それ以上申しませんけれども、ただ、私たちの"知覚"というときに、その知覚が非常に多くの枠組み、或いは私たちの今の現在では、ほとんどの場合、知覚を忘れたところで作り上げられているものごとによって、その知覚が働いているような、そういう状態に私たちはいるということは確かであります。そういった点で、福嶋先生の作品は一つの問題提起になっているだろうと思います。

(司 会) どうもありがとうございました。最初に僕が、写真で拝見していた時と実物を見たときに違うと感じたのも、きっと、僕たちは、普段からプラスチックの型抜きであるとかいろんな形に非常に慣れてまして、そういう形自身の面白さではもう驚かないんですね。だけれども、実際の作品に出会ってみれば、そういうものとは、また写真のこうして見るイメージとは違って、その作品の力に打たれるということだったように自分でも思います。で、言葉や写真や意識的なもの、記憶が僕たちの経験の現場にすごく関与していると、直接ものを見るということがあまりないというようなお話しだったと思うんですけれども、何か他にご質問とかありましたらどうぞ。