福嶋敬恭 作品展 現代美術シンポジウム(その2)
 1995年9月24日 長野県豊科町
福嶋敬恭/岩城見一/建畠晢/以倉新 

(その1からつづく)

§ ガラスとロウの作品について

(客席から) さっき、ガラスに囲まれた作品(注.『UNTITLED』 1995 図録-補4)のお話しがありましたけども、ガラスで囲まれた、ロウでできた部分のあの形というのは、どういう感じでできたものなんでしょうか。

(福 嶋) 全体図は、模様がどうこうというふうなことは僕は余り思ってませんで、全体でガラス、それからロウ、ロウを使ってるのは、あれは色というのが非常に強かったんですが、色を混ぜるとどうしても色というのはまず目に飛び込んで来ますね。そういう色よりもむしろ、ロウの持つ質感というものが色と混ざりあっているというふうなことを目的としてました。それで、ガラスの部分なんですけれども、ガラスを立てたというのは、透明なものですからね、まあ認識論的になるといいますか、あれはまあ、図で書けば非常に簡単なもんだと思うんですね。ただガラスがあるというのは、いくら透明でもガラスというのはやっぱり実体がありますから、あれはいくら透明でも、認識でもなければ、何でもなくて、実体があるものが四角いこうある種の、透過しながらでもリアルなもの、実体が出て来るんじゃないかというふうなことでガラスを使っています。それで、真ん中のロウは、今度この美術館の為に初めてああいう透明なガラスを使ったんですが、透明なガラスというのはよく外から見えるんですが、セットしてみたことがなかったんで、そうしたときに一枚ああして実際にはガラスが入ると、反射を起こしますね。見てるほうからすれば。そうすると一つの何かこう、壁が出来上がりますので、真ん中のロウの質感というのがね、少し消されてしまって、模様の方が浮き上がってるような感じがします。その辺りが、誤算と言えば誤算なんですが、それぐらい、ガラスがもっと透過性がいいか、それとも逆にね、そういうこと関係なしに中身のロウの質感まで見せると思ったらそうではなかったですね。そういうところだけが、少し、中の形についての気になるところです。

§ 『マインド・ガーデン』;あるいはタイトルを付けることについて

(客席から) それともう一つお聞きしたいんですけども、その隣の部屋だったと思うんですが、"マインド・ガーデン"(注.『MIND GARDEN・セピアの海』 1995, 『MIND GARDEN・1991』 1991-92, 図録-補1,2)という、2つ箱があったんですけど、タイトルがついているということは何か作品のことを言ってると思うんですけど…。見たとき、何か、すごく精神的というか、さっきの崇高という感じもしたんですけど、それについて。

(福 嶋) 普通は、僕はタイトルを付けるとやはり説明文になると一番最初に言いましたね。タイトルというのは、非常にこう、何かを与えるとそれが説明になったり、それは確かに理解のきっかけになるんですね。だから、以前はほとんどタイトルなしのUNTITLEDということにはしてたんですが、やはりタイトルを付けた以上は、そのタイトルには意味がありますね。"マインド・ガーデン"というのは、あの作品についてはどうしても付けないとだめだと思って付けたわげです。サイズ的には小さな作品なんですが、自分の気持ちの中というか、個の中のようなものに自分自身で入り込もうとしたような操作が非常に強かったので、あのタイトルはそういうふうに付けるのが一番適切だと思ったわけです。

(司 会) ありがとうございました。他に何か…。

§ 作品に落ちていた蛾;あるいは作品の相対性について

(客席から) 先程から、知覚について色々お話しをいただいているんですが、私も、ガラスの作品ですね、あそこにですね、蛾が、死んだのか生きているのかよく分からないですけど、ちょっとおっこちてたんですね。そういうものがあることによって、例えば作品を知覚するということは、無かった場合とだいぶ感じ方が違ってくると思うんですが、私が通った時にたまたまあって…。ガラスの中の、割りと生命感のないところにそういうものがあって。それで、ちょっと考えたんですけども、福嶋先生は、例えば知覚自体というのは先生の作品ひとつにおいて、この作品は確たる、知覚をさせる何かがあるとお感じになっているのか、それとも、知覚というのは割りとおいた場所とかそういうことによって、相対的に感じられるものが違ってきて、その作品自体に確たる、絶対的な存在として何か知覚させるものがあるわけではなく、相対的に揺らいでいるもんだとお考えなんでしょうか。

(福 嶋) 建畠先生が先程言われましたように、見方は色々違うと、確かにその通りなんですが、僕自身は、はっきりしたものがあります。それと相対的だと言われますが、確かに物の存在なんて相対的で、それから蛾が入っていることがどうこうと言われますが、それも含めてなんていう考え方は僕はありません。本当は蛾が入って余分なものがあるよりも、なくてクリアーな方が一番最適だと思いますが、まあ上が開いてますので現実に蛾が入ってますが、そういうものを見ていただかない方がいいな、という言い方は変なんですが、そういうことはあまり意味がないと僕は思っています。

(同じ方) はい、分かりました。結局、あのう、別に蛾が云々ということではないんですが、先生の作品においては確たる存在としてのものが絶対的にあるとお考えな訳ですね。それから、もう一つお伺いしたいのは、作品を作ってからある程度時間が経ってると思うんですけれども、現時点で、またこの豊科の美術館に置いて見たところで、先生がお感じになる、最初作られた時と置いた時とでの違いのようなもの、自分が知覚したものが変わってくるようなことはありましたでしょうか。それともやはり、確たるものが延々と流れ続けていると、そういうふうにお感じになったでしょうか。

(福 嶋) 結局、作品が10年とか15年とか経っていると、確かに条件も変わって来ますが、その当時と同じような条件でだとかそんなことは僕はあまり考えてないんです、僕の作品に一貫して言えてることは、むしろ作品自体が確実に存在するという意味で、ある時期になったらこう見えるとかそういうことではなくて、今度の場合なんか、まあ、展示空間の問題でこの美術館の中を改装したりとか、作品というもの自体が浮き上がって考え方がはっきりするように、ニュートラルな空間を作り出すように努めたつもりなんです。で、作品が過去のものだとか失敗だとか成功だとか、そんなことは僕はあまり思ってなくて、作品はそれが出来上がった時には、すでに、責任を持って作ったものですから、まあ、それもそれなりの、成功して いるといいますかそういうもので、そんなに、過去のものでどうこうだったとか…。その時はその時で、その時のリアルさが、やっぱり何年経っても保ち続けているものだというふうに、僕は作品を思いますので。時間をおいて今もって来ても、僕はさほど、古い作品が同時に並んでても、自分自身不思議な感じはあまりしません。周りの人がどんな風に思われるのか知りませんけれども。確かに、僕の中にじゃあ確固としたものがあるかと言われますけども、僕も社会人ですから、ある種の社会的な状況だとか、流行だとか社会現象というものはその都度その都度、自分の体に入って来ますね。それは、その都度消化してて、その都度現実のものとして、リアルなものとしてまた層を占めるわけですから、それはそれで完結してて、しかしまあ、作品が色あせるとかそういうふうなことはないんじゃないかと思うんですが。

(同じ方) いや、あのう、色あせるとかそういう意味を聞いてるんではなくて、時代時代というのがどんどん変わって、社会状況も変わって来た中で、先生が自分の作品に対して見方が変わったところがあったら、そういう視点があったら教えていただきたいと聞いただけで…、何かその作品に対して見方が変わったというところがございますでしょうか。

(福 嶋) いや、それはありません。あまり僕はね。

(同じ方) あ、そうですか。分かりました。どうもありがとうございました。

(司 会) どうもありがとうございました。ちょうどシンポジュームの始まりと同時くらいにお着きになられた方もいらっしゃいますので、今から15分程休憩を取りまして、まだ、展示をご覧になってない皆様には、その間に先にご覧いただければと思います。それでは、2時半過ぎから再開したいと思いますので、よろしくお願い致します。

☆☆☆

(司 会) では後半のほう、大体1時間弱をめどにお願いしたいと思います。先ず、今回カタログに論文を寄せていただいた、岩城先生と建畠先生の方から、福嶋先生に直接お聞きして頂きたいと思います。建畠先生から、よろしいでしょうか。

§ 彫刻と色の問題;"彫刻を何か別の造形に解放する"

(建 畠) お聞きしたいことは、一杯あるんですけど(笑い)。さっきもお話しにありましたが、具体的にお聞きしたいのは、彫刻家は、ブロンズや大理石の色はあるわけですけれども、絵画的にそこに色彩を使うということはあまりしない。でむしろ、マチエールとか、素材感とかを重視して、色は画家の仕事だと、まあそういう常識があると思うんですけれども、福嶋さんの場合は、今度初めて気がついたんですが、比較的初期から色の問題があって、それもかなり重要な要素を占めてるんですね。でも、絵画的な色とも必ずしも言えない。例えば蜜ロウの色とかね、メタリックな青だとか、かなり色の問題に最初から、実は自覚的に取り組んでいらっしゃったのかなと思います。具体的に、福嶋さんの口からお伺いしたことがないんで、色についてお聞きしたいなと思います。(福 嶋) 色の使い方というのは、僕が一番最初に色を塗り始めたのは、この図録にもありますが1966年の、図録の一番最初なんですが、それが(注.『赤いマント』 1966 図録-1)この図録の中では最初なんですね。実際には、その1年ほど前から、いろいろ色は使ってました。理由は、1966年に、昔の事なんですが、この当時僕は、あるアメリカ人のコレクターに招かれてニューヨークに行ったんですね。1年半ニューヨークで過ごしたわけなんですが、そのときまだ僕は学生だったです。で、その当時の日本の状況というのは、ヘンリー・ムアだとか有名な作家はたくさんいて、日本の美術学校の教育というのはもともとヨーロッパの文化から伝わって来たようなことで、彫刻というのはブロンズだったり石膏だったり石だったりというようなことと、それから、色を使うというのは、もちろん、絵かきの仕事だというふうな時代だったですね。彫刻の仕事というのは空間だとかボリュームとか、負のボリューム、負の空間とか、それから構成力だとかそういうふうな問題が出発点になったわけです。それは、彫刻の歴史になるわけですが、具象から抽象の観念が出て来て、それからどんどん移って行く過渡期は、ヨーロッパでは既に1900年とか1920年代にはあったわけですが、実際には日本では僕たちが学生で過ごした1960年ぐらいから後ですかね、その頃になってやっとやって来たわけです。僕が学生のころに教えられた彫刻は、色なんて無関係だったわけですね。それで随分古い言葉になるんですが、その当時は"前衛主義"、"アヴァンギャルド"という言葉が非常にはやってまして、で、美術というのは概念に囚われないで何か、何かというのは、新しいものだと。まあ前衛なんて言葉は今は使いませんが、まあ、そういう時代だったです。それで、何か新しい概念を作ろうと思えば過去のものを捨てなきゃいけない。と言いながらその実、ヨーロッパの美術に全ては席巻されてまして、そういう中でいろいろともがいていたということが言えるわけですね。その当時に、僕は彫刻の、大袈裟に言えば彫刻の歴史の中に入らないで、なんとかして彫刻ではない、何かに変えようというふうな意識は随分あったんですが、じゃあどんなものをしていいか分からないわけです。その時分にニューヨークに呼ばれて行ったときに、ニューヨークではポップアートの一番最盛期ですね。まだ、アン・ディ・ウォーホールという作家なんかでも、まだまだ掛けだしだったと思うんです。そういうふうな形で、突如、ニューヨークに触れてました。美術の一つの既成概念を越えようとするなら、結局、日本の教育では越えられないというふうに思ってました。僕は、僕の大学の先生なんですが、その人と同じような事をしてたらだめだと思いまして、彫刻を何か別の造形に解放するためには、まあ、一つの技法としては絵画的な色を使うだとか、他に材料だとかいろんなことはあるんですね。その中で、色というのは物の重みもなくて、何もなくて、感性、感情だけで成り立つようなものだと思いまして、彫刻に色を塗ったらどうかと、そうしたら彫刻でなくなるんじゃないかと思って塗ったんですが、やはり実体に色を塗っても実体なんですね。それでまあいろいろ模索はしたんですが…。まあ、取っ掛かりというのは大体そういうふうな形で。絵画でもなく、彫刻でもないものにする為に、立体に色を塗ることから始めたんです。それで、その後、いろいろ展開する中で、色だけが一つの彫刻を変える方法じゃなくて、彫刻の、立体の上にいろいろ模様を描いたり、いろんな他の方法で立体性といのを消そうと試みたわけです。だから、色を塗ると同時にその中に、例えば、物体の上に模様のついている布を被せて、立体なんですが、模様と形で曖昧になることによって立体性を消す試みだとか、いろんなことしたんです。そういうふうな過程を終えまして、物に色を塗り出したんですが、ただ絵かきと多分に違うと思うのは、絵を描かれる人のものの考え方というのは、二次元というのは最初から抽象的な概念ですから、色に対してさほど質感だとかそういうものは感じておられないと思うんですね。ですが、僕たちというか僕は、色を扱うときに、彫刻の、触覚的な意味のもの、実体だとか空間だとかそういうものがどうしても、絵を描かれる人のように行かないですね。色を色としてとらえるということが絵かきの様に行かなかったものですから。例えば、赤い色を塗ろうと思った時には、色のいろいろなニュアンスはあるにはあるんですが、思い入れといいますかね、これは質があるんじゃなくて赤い色を塗ろうと思ったその強さで、青い色を塗ろうと思ったらその青い色に対する思い入れというか、それによってその実在のうえに出来るだけ強く定着さそうというふうなことを考えてたように思います。それがまあ、いろいろ変化していったわけです。色のことはあまり勉強しませんでしたので、最初のころは非常に単純で、絵の具をチューブから出して、直に赤とか青とか、そういうものだったですね。それでもそれなりに満足というか、少しは彫刻を離れていってるんだという意識はあったんですが。まあ、色もいざ扱い出してみると、いろんな感情がついて来ますね。色と色の関係なんかについてもでてますが、この色と隣の色との関係なんかをあまり考えますと、絵かきの色と全く同じになるんじゃないかというふうな危惧はあったんです。色そのものが実体だとか空間だとか物の質というのを越えてしまって、もっと色と、それから例えばアルミニュームだとか石だとかそういうものと、越えてしまって同化するような、別で同質のものにもって行こうというふうに思ったわけです。そういうことからどんどん変化しまして、最近では例えば蜜ロウのあの大きなチーズのような作品(注.『OASIS』 1990 図録-57)がありますね、あれなんかの時には、あれは色があるには違いないんですが、常にあるのはあれを色としてとらえるのか、非常にこう触覚的な、例えば大理石がちょっとこう人肌のような温かみを覚えますね、色だけというのはそういう感情もあまり持ちませんので、人間が扱ってるんだというふうな感情を持つものに置き換えようというふうな形でああいう変化をして来たんだと思います。だから材質感はあるんですが、そういう何かの感情が入りながら、色としても作用しながら、尚且つ物質としても作用すると、曖昧と言えば曖昧なんですが、非常にこうニュートラルな方法で、今でもこの意識で色を使ってます。それから、"メッセージ"(『MESSAGE』 1994 図録-78)という磨りガラスを表面に置いた作品、あの作品なんかも確かに色を使ってるんですが、色が色として表面にでるんではなくて、色が、さっきのロウなんかで透けて見えたり質感が見えたりするのと同じように、色そのものが表に飛び込んで来るのじゃなくて、色をいろんな質に置き換えたところに作用させようというふうなことで色を扱ってるんです。まあ、そんな変化をして来ているのです。ただ、この色はいいとか悪いとかいうのは、その時その時の感覚といいますか、ほとんどその時にゆだねてますので、何故赤色なのかと言われたら、なんともそれは答えようがそれはありません。

(司 会) ありがとうございました。建畠先生、よろしいですか。

(建 畠) 技法を理解したほうが分かりやすいと思うので、説明を…。傾斜台の上に磨りガラスがありますね。あれは実は、磨りガラスに色がついてるんじゃなくて、下の箱が空洞になっててね、空洞の四周に直に色がついているのが磨りガラスを通して見えるわけですけど、もちろん磨りガラスですから内部は見えない。だから、色は非常に不思議な色ですね。透過光でもないし反射光でもないし、何とも言いようのない不思議な色…。

(司 会) あまりその、作家ご本人に制作の秘密をお聞きするのはあれかと思いますが、例えばそういう工夫ですね、一つのアイデアだと思うんですが、それには何かきっかけというか、そういう構造を思いつく何かあるんでしょうか。もし、差し支えなければで結構ですので。

§ 作品の展示空間について;"ニュートラルな場所に置きたい"

(聴 衆) ちょっとその前によろしいですか。あの、どこにね、その作品を置かれるかということは何かお考えになっているんでしょうか。今の色と、それから様々な素材がありますよね。私は、拝見しましてとても心が落ち着くんですけどね。まあ、実に様々ですよね。ですから、例えば、大きめのものはここに置かれるとか、或いは円形の半球はどこへ置かれるかとか、そんなようなことも創作のイメージの前にね、一つの要素としてお考えになっているかどうかということも、併せてお聞きできればありがたいですが、よろしくお願いします。

(福 嶋) 誰でもそうだと思うんですが、発表してるのは主に美術館とか画廊だとか、初めから決められた空間が、ある程度ありますね。まあ、そういうことは一応想定はするんですが、僕の場合はそれが適切かというとそういうことでもなくて、一番最初にも言いましたように作品が別な周りの要請に左右されてはいけないと思い、考え方が別なものに移って行くのはまずいので、作品は、何も影響をうけない場所に置きたいと常々思っています。だから、そういう意味で言えば、ほとんどの場合は不適切ですね。ニュートラルな場所というのは、ほとんど白無垢というか、何も感情を持たないような空間に置く事を自分では想定をしてるんです。それが、一番適切だと思うんです。で、白と云いましたけど、白色にもいろんな質がありますね。例えば、本当に真っ白というのは、冷蔵庫の、……一般に真っ白な冷蔵庫なんていうのは硬質な感じがする白だと思うんですね。下地にそういう硬いものを感じながら、部屋が作られていると、それはやはりニュートラルという感じには程遠いと思うんです。そういうものを全部取り去って、質感をも感じさせないようなところに展示するのが、僕自身は最適だと思います。ただまあ、そういうことばかりも言ってもおられませんので、それを言い出せば建物空間自体を僕が作らないともうだめですね。今はもうその様なとこまで来てますけど、現実にはなかなか。そういうふうなことをして初めて、自分で納得行く所に置けたということになると思います。美術館に文句を言ってるわけではないんですが、上の展示室でも木目がありますね、たくさん。随分僕は気になるんです。でも、そんな完璧な空間なんてどこにもありませんから。まあ、それなりにそこの場所で、回りがあまり発言力を持たないような配置の方法だとか、そういったことをむしろ考えます。

(その3につづく)