連続講演会 美術館のポリティーク−過去・現在・未来
 美術館―過去・現在・未来
 2001年3月18日 於東京都現代美術館 講堂
島本 浣 

 物を集め収蔵し、それらを誰かに見せるという営みは世界のどの地域でも大昔からおこなわれてきたことでしょう。この営みのために特別の場が必要になることは当然ですし、よく知られている古代ギリシャのピナコテーケー(奉納画を納める場所)とか日本の絵馬堂などもその一例です。世界中でそのような場がつくられ、時代と地域の政治‐文化の状況によってさまざまな意味と名をもってきたはずです。私たちが美術館と呼んでいるところもそうした場のひとつです。
 美術館は西洋近代に誕生した、人類史的にみればきわめて短かな歴史しかもたない収蔵品を見せる場ですが、この200年あまりの間に世界をおおいつくすという驚くべき発展をみました。美術館の世界化は、近代という資本主義と国民国家を基本原理とする制度‐イデオロギーのグローバリゼイションによって成しとげられたといってよいでしょう。美術館はそうした近代の文化担当者としての役割をになってきたからです。しかし、その近代が反省され始めれば、おのずと美術館も問題化されることになります。私たちを取り巻く美術館は「いま」そのようなときを迎え始めているようです。
 こんな理屈をこねなくても、美術館によく足を運ぶ人でしたら、最近、美術館が変わり始めていると感じているのではないでしょうか。古典的な美術館の形式が主流であることは間違いありませんが、そうした美術館でもこれまで考えられなかった展覧会や展示がみられるようになってきましたし、美術館の枠を超えて、美術を展示する場の考え方も変化しています。
 「美術館―過去・現在・未来」という連続講演会をおこなうことになったのもこうした事情からだと思います。東京と京都の会場で、5人のスピーカーが美術館の問題についての講演をおこないました。そのなかで、私の役割は司会と美術館の歴史をイントロダクションとしてごく簡単に振り返ることでした。次の短いエッセイは講演会のためのメモとしてまとめておいたもので、京都会場のために用意したものです。

 名所としての美術館

 美術館の歴史といっても、観点によってさまざまに語ることができます。そのオーソドックスな歴史は、通信のテキストにもなっている『現代美術館学』(並木、吉中、米屋編、昭和堂)や中公新書の『美術館の誕生』(岩渕潤子)などにわかりやすく書かれているので参照していただくことにして、ここでは美術館とはどういった場であったのかを、名所という観点からながめてみたいと思います。
 美術館は名所だというと、美術館を小馬鹿にしているように感じる人もいるかと思います。美術は高尚なもので、名所というようなちょっと軽薄な場所ではないと考えるからかもしれません。日本では「名所に見所なし」という言葉使いもあって、名所というのは名ばかりで何もないというイメージもありますからね。しかし、美術館を名所と呼ぶのはそんなひねくれた気持ちからではありません。美術館の歴史をたどってみると、その発展には名所という観念が関わっていることは間違いないと思うからです。
 名所とは何かということになると、これまた歴史や思想を振り返らなくてはならなくなりますので、ここでは「観光的に名高い所」とでもしておきましょう。重要なのは、名所が観光の観念と結びついているということです。つまり、美術館は「観光名所」として発展してきたというのが、このエッセイで言いたいことです。そんなこと当たり前だといわれれば、ここでストップするしかないのですが、美術館を観光との関係から考えることはあまりなかったようです。しかし、その誕生期から美術館は都市の名所としての役割をおわされてきたのです。
 王侯貴族の収集した美術品を広く一般に公開しようという考え方が広がり、ヨーロッパの国々で宮殿などの一般公開が始まったのが18世紀の後半。支配者である君主の芸術的豊かさを人々にも広く分け与えようとする啓蒙の考え方からです。ルーヴル美術館やウフィッティ美術館を始め現在よく知られている大きな美術館の多くは、この時代に根をもつものです。そして、公開されたコレクションは美術館となり、19世紀から20世紀へと大きな発展をみていきます。この美術館発展の歴史は、実は観光
旅行の歴史にぴったりと重なるのです。
 観光旅行の母体となったのは17世紀あたりに始まる教養旅行といわれています。イギリス人の上流階級の子弟が紳士としての教養を身につけるために半年から1〜2年のあいだイタリアを中心に大陸を旅行する「グランド・ツアー」がその典型です。子弟たちはイタリアにある古代やルネサンスの美術を見ながら紳士のための「古典的素養」を学ぶというわけです。オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」もそうした昔の旅行のなごりともいえますね。それはさておき、このエリートの教養旅行は18世紀も後半にはいると大衆化してきます。この旅行が絵画に与えた作用も大きく、ヴェネツィアのカナレットを始めとする「ヴェドゥータ」(都市景観図)の流行を生んだことはよく知られています。逆に、ヴェドゥータを旅行者が望むということ自体が、旅行の性格を教えてくれます。ヴェネツィアの運河の光景を旅行の思い出に買い求めるというのは、教養のためというより旅行そのものの記念のためということですね。教養旅行は変質してきたのです。旅行それ自体を楽しむようになったからです。観光旅行の曙がやってきたのです。
 観光旅行とはなんぞやということも難しいことですが、とりあえず、教養旅行に加えて、旅行自体が自己目的化された旅行の形式と理解しておきましょう。この教養旅行から観光旅行への移行に重要な役割をはたしたのがガイドブックの誕生ではないかと考えています。ガイドブックは18世紀の後半に始めて刊行されましたが、それは旅行がそれだけ広く享受されていたということでしょう。そのガイドブックは名所との関係でとりわけ重要です。
 ある国ある土地で名高い場所というのは、観光旅行の前からあったことでしょう。聖なる場所や政治的に重要な場所、あるいは生活にとって不可欠の場所等々。しかし、名所というのはそうした実利的な場所ではありません。先に「観光的に名高い所」と規定しましたが、名所はその出自、つまり実際にどのような場所であったのかは別にして、教養や楽しみのために「見る」ことが重要だとされる場所のことです。この「見る」べき重要度の決定にガイドブックが深く関わっている、というより、ガイドブックがそれを決定するといってもいいでしょう。ガイドブックという言説によって、ある宮殿は「見るべき」場所として切り取られるのです。名所とはそういう風に切り取られた場所です。
 名所論へと話がそれてしまいましたが、この観光旅行‐ガイドブックの誕生期に王侯貴族のコレクションが公開され始めるのです。もちろん、そうしたコレクションは都市旅行ガイドブックに重要な見所としてすぐさま記載されます。そして19世紀に観光旅行が本格化し始めると、コレクションは美術館となりガイドブックのとりわけ重要な見所とて、都市観光の目玉となっていきます。さらに、この名所は作品のコレクションだけではなく、王侯貴族のコレクションが美術館となったところでは、その宮殿なども歴史的建造物という名所となるわけですから、星印が増えるわけですね。
 観光旅行は名所なしには成立しません。旅行自体を自己目的化する観光旅行において、旅行することを動機づけているのは、ある意味で、名所を「見る」欲望かもしれません。あるいは、名所がそうした欲望を生じさるともいえます。いずれにせよ、観光旅行‐名所にとって美術館ほどその名にふさわしい場所はないのではないでしょうか。というのも、美術館とは作品を「見る」ためにコレクションとして切り取られた場所だからです。名所の条件を始めから内在させている場所なのです。始めの方で、美術館発展の歴史は観光旅行の歴史にぴったりと重なると書きましたが、重なるのではなく、ふたつは同じことなのだともいえます。つまり、美術館の誕生は観光旅行‐名所が誕生したことでもあるということです。

 最後に、都市観光のなかで美術館がどれほどの目玉であったのかを、19世紀後半のガイドブックに見てみましょう。1853年に刊行が開始される観光ガイドブック・シリーズ「鉄道図書」(フランス、アシェット社)の1冊パリ・ガイドです。現在のガイドより濃密な内容で815ページというボリュームのなかにパリについてのありとあらゆる事柄が案内されていますが、そのなかで最大のページが割かれているのがルーブル美術館です。建物の歴史と建築学的解説、内部の間の建築‐美術史的解説、そして展示作品の長い紹介等々、もちろん観光客の教養を刺激するものですが、それだけでなく、その大部な説明・解説に表象されたルーブル美術館は、ガイドブックのなかで自己成立し名所としての輝きを放ち読者の欲望をそそっています。
 この19世紀後半から、観光旅行は鉄道の発達とあいまって爆発的に発展していきます。そのなかで、大美術館は都市観光の最大の名所として規模を拡大し、20世紀に入ると近代美術館、1人のアーティストに捧げられた美術館、個人コレクションの美術館化、あるいは百貨店の美術館化などなど、美術館は多彩な形式を展開していきます。さらに第二次大戦後には現代美術館が、最近では、脱美術館という美術館等々、古典的な美術館とはまったく異なったものも登場してきました。
 しかし、こうした現象を名所の観点からみれば、依然として変わってはいないとも感じます。観光旅行という近代社会の大きな欲望が膨らむかぎり、それは新たな名所をつくりだすからです。観光旅行のなかで名所として刷り込まれてしまった美術館は、この旅行がなくならないかぎり名所の名を返上することができないでしょう。皮肉な見方をすれば、美術館は、近年の大掛かりな刺激的な建物造りなどをみていると、観光旅行を無意識に受け入れる、つまり名所であることを始めから宣言しているようにさえ思われます。美術館はこれからも名所でありつづけるでしょう。しかし、「見るべき」場所として切り取られた名所としての美術館を、別の場所としてずらす意識をもつことをそろそろ考えてもよい時期だとも思います。最近、美術館が変わり始めていると感じるのは、そんな試みがおこなわれているからかもしれません。