公共空間としての美術館の起源に関しては諸説あるところだが,フランス革命とルーヴル美術館の誕生が,美術館という制度を定義づける多くの要素の決定因となったことに疑いの余地はあるまい.革命の初期に見られた美術品破壊の波に抗するべく,かつての権力者たちの財を保護するために集めた物品を芸術家や一般公衆の教育に利するように公開するというのが,その当初の目的であった.そこでは二つの原則が機能していた.それまで個人の住宅や宗教的な場所に散逸していた財をルーヴルに一極集中した後,その配分や検察官の派遣を通してルーヴル,すなわちパリを中心とする中央集権的な地方文化政策の管理体制を整えることが一方にあり,他方,芸術家たちにルーヴルという特権的な教育の場を提供しつつ,革命によって混乱せしめられた芸術場を再組織し,芸術創造の規範を定め,芸術生産のみならず,芸術と関わる言説の一切を国家の管理下におくことだ.そうした原則が,フランスとその美術館を芸術の最終目的地とする愛国主義的な主張へとつながるのは当然予想されるところであり,異なる用途のために,異なる場所に配されるべく制作された芸術作品を美術館に閉じ込め,その健全な流通を遮断することに関する,カトルメール・ド・カンシーらの批判はしたがって,芸術作品受容のあり方をめぐる議論であるのみならず,芸術にある特定の存在様態を強要する美術行政府,ひいては国家の中枢に対する揶揄の色合いを濃くするのであった.とまれ,美術館においては,蒐集物から旧体制を想起させるような象徴の一切を削ぎ落とすこと,そして美術作品に対する眼差しの純化という,二重の浄化作業が至上命令となる.閉ざされた空間内での「自由教育」,その担い手としての美術館維持管理者の職業化はこの時代の発明に他ならない.利害絡みの視線はいけないという道徳的純血主義を建前に,画商や目利きから美術館管理の権利を奪い,試験を突破した選良のみに,美術作品への接近を許すという理念は直ちにフランス全土に拡大されるが,しかし実のところ,その過程ははからずも美術館が一つの美的理念の下に設立されたのではないことを暴いてしまう.「埋もれた富」を掘り起こし,それを公衆に示すべく管理するという名目で押収した古の貴族階級の私有財産,その大半が家具調度類であったこと,さらにそこから象徴的な意味を奪い歴史の証言にしようとする論理は,18世紀に花開いた考古学への関心と合わさって,地方の美術館にガリア時代に遡る数限りない古代遺物を溢れさせる結果となる.およそ美術作品とは言い難い,古代人の日用品を分類,保存するために,美術館の概念は如何様にも拡大されることとなろう. ウェヌスが資料に変えられてしまうというヴァレリーの嘆き,すなわち,美術館という施設が,美術品という物質的な素材を扱い,収蔵と展示というその目的のために一定の空間を必要としていながら,展示物の物としての価値よりも,意味,概念,知識の伝達に主眼を置く,情報伝達の場となったように思われることと,設立にあたっての斯様な経緯とは無関係とは言えないだろう.美術館における展示の第一の目的は,展示物を秩序付けることであり,そこで作品の空間的な配置は,美術史的な知識の秩序を代行する.ところで,森羅万象を網羅するような資料室を作り,そこにあらゆる時代、あらゆる土地、あらゆる思想を表象するものを集めようという発想は啓蒙時代,歴史の時代,「国家」の時代に遡る.この点に関して,ハイデッガーは,「世界観の時代」と題されたテクストの中で,時代ごとに異なる世界観が存在したという考えを否定し,「世界」がそれについてある観念を抱き得る,それについて認識可能な像を思い浮かべ得るような対象となったのは近代になってからだと指摘する.「近代の世界観」なるものは存在せず,世界が像,観念,表象となった一つの時代があるに過ぎないというのだ.近代の産物に相応しくも美術館は,訪れるものに物の世界から切り離された純粋な視覚的対象,観想の対象を提供することとなる. 1960年代に展開されたミニマリズムの運動には,そうした美術館のあり方に対する批判が含まれていた.オリジナルとコピーを厳密に区別するという美術の伝統に異議を申し立てるかのようなその単純な幾何学的形態はまた,観者が見る位置によって視野に入ってくる形態が様々に変化し,見る主体と見られる対象との出会いという図式をも否定するものであった.そこには視覚を人間の肉体的な条件と結び付けて考えようとしたメルロ=ポンティの現象学に影響が認められよう.その展示に広い場所を必要とするミニマリズム以降の芸術生産は,百科事典よろしく一つの場所に数多くの作品を収めようとする従来の美術館には収まりきらず,広い空間に限られた数の芸術家の作品を配するという新たな美術館のあり方,すなわち歴史の軸に沿った通時的な展示から,空間的な広がりに支えられた共時的な展示を求めるようになる.近年建設される美術館の多くが大規模なものであることはその何よりの証であろう. しかしながら,従来の展示方法における観者と作品との近代的な関係を批判,一つに固定されない身体的な体験を提供することで,その補償を与えようとしたミニマリズムが,近代の産業社会を特徴付ける大量生産の条件であるところの反復可能な形態を用いたという点に現代における批判的営みの困難さがすでに明らかになっている.実際,見る主体と見られる対象の分裂という経験は,たちどころにより効率的な機械的手段を用いるコンセプチュアル・アートによっていわば工業化された形で反復されることとなった.フレデリック・ジェイムソンに倣って言えば,後期資本主義社会にあってはそれを構成する一つの要素の顕現に対する抵抗が,別の要素の関数となってしまうという皮肉がここでも確認されるのではないだろうか.
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