連続講演会 美術館のポリティーク−過去・現在・未来
 現代美術と美術館
 2001年4月15日 於キャンパスプラザ京都 講義室
尾崎信一郎 

 「現代美術と美術館」という広いテーマのうち、ここでは美術館の空間と作品との関係について若干の考察を加える。美術館という空間を論じることは必然的に建築の問題に帰着するが、ここではやや抽象的なレヴェルから作品とそれが置かれるべき空間の関係について検証したい。
 いささか図式的な理解となるが、この問題を検討するにあたっては歴史的な観点より、美術館と作品との関係を近代以前、近代、現代という三つの時代に区分することが有効であろう。
 近代以前の美術館の典型的な例としてはルーブルなどのヨーロッパの伝統的な美術館が挙げられる。貴族や王侯が収集した作品を展示することから始められたこれらの施設においては、彼らが居住した宮殿や邸宅がそのまま使用され、自らが収集した作品を誇示すべく作品がところせましと並べられた。このような展示施設においては次のような特性が認められる。第一に展示されるのはその施設が所有する作品であること、第二に基本的に作品が展示される場所は変化しない。この二つの理由によって、来館者は常に同じ場所で同じ作品を見ることができる。第三に収集作品の量を誇示するためになるべくたくさんの作品を展示することが目的とされ、作品の見やすさは二義的とされる。作品が社会に共有され、市民のための美術館という制度が確立された今日においては単に作品数を誇示するための展示はなされないにせよ、現在でもヨーロッパの古い美術館で見られる二段掛け、三段掛けといった展示方法は明らかにこのような伝統を継いでいる。現在では例えばルーブルのような美術館においても、作品をほかから借用して展示するという手法が用いられることがあるが、ミュージアム・ピースとも呼ぶべき傑作を常に同じ場所に展示し、来館者も特定の作品を目当てに美術館を訪れる欧米の多くの美術館は今日もなおこのような美術館の在り方の範例を構成している。
 これに対して近代美術館においては異なった理念のもとに展示がなされ、作品と空間との関係も一新される。この端的な例は1929年に設立されたニューヨーク近代美術館に求めることができるだろう。五番街57丁目のオフィス・ビルの12階を用いたというエピソードが物語るとおり、この美術館は当初よりヨーロッパの大美術館にみられる豪壮な建築、過剰な装飾とは無縁であり、美術館の機能のために特化された空間をめざしていた。32年に現在の53丁目に移転し、美術館として独立するが、その建築そして展示空間の理念として提起された概念こそ有名な「ホワイトキューブ」であった。「ホワイトキューブ」とは非装飾的な壁で四囲を囲んだ空間をいくつも束ねることによって成立する空間を指し、このような機能的な展示空間は初代館長であったアルフレッド・バー・ジュニアの好みと一致した。バーは39年の近代美術館の改修工事をミース・ファン・デル・ローエやヴァルター・グロピウスらに任せる意図さえもっており、実際にニューヨーク近代美術館は1930年代にはバウハウスの建築を紹介するいくつかの展覧会を企画している。この後バウハウス的で機能主義的な国際様式は「ホワイトキューブ」という名のもとに今世紀の美術館の空間にとって一つの規範を形成した。
 例えばニューヨーク近代美術館の開館展である「セザンヌ、スーラ、ゴッホ展」の模様を記録した写真を見るならば、無機的な白い空間の中に作品が配置され、展示の手法という点では現在私たちが美術館で見慣れたそれと変わらない。そしてここには前近代の美術館とは全く異なったいくつかの特質が認められる。先に掲げた三つの特性と対比するならば、第一に展示される作品は必ずしもその施設が所蔵する作品ではなく、第二に展示される場所は展示の文脈に応じて任意とされる。第三に作品の量や質以上に展示の文脈が重視される。別の角度から論じるならば、これらの特性は美術館というハードから展覧会というソフトへと重点が移行したことを示しているだろう。今日、多くの美術館においては通常特別展と称されるテンポラリーな展覧会と常設展と呼ばれる館蔵品を展示する展覧会を並行して開催している。これはある意味では近代以前の美術館と近代の美術館を折衷する試みとみなすことができよう。
 ホワイトキューブを舞台とした近代的な作品の展示はいくつかの重大な問題を誘発する。まず第一に、そこでは作品が展示される文脈が重視され、結果的に展示全体が一つの新しい意味を形成するのである。展覧会はいわばキューレーターの作品となり、作品はそれが配置される位置に応じてその意味を変える。ホワイトキューブとは次に述べるとおり、作品をそれ自体として提示して、ほかのコンテキストから切断する装置と考えられようが、皮肉にも展覧会という別の文脈の中で意味を与えられることとなったのだ。今日、展覧会が美術館以上に政治的な制度とみなされる理由はこの点に存している。例えばプリミティヴ・アートの作品がピカソの作品の横に配された時、そこにはキューレーターの暗黙の意図が介在している。例えば1987年にニューヨーク近代美術館で開かれた「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」の妥当性をめぐって戦わされた議論はこの点にかかわっている。さらに形式的な観点に立つならばホワイトキューブという展示の場所それ自体がはらむ政治性も問題とされなければならないだろう。この点は先に触れた近代以前の美術館における展示空間と比較する時、明瞭となる。宮殿や邸宅のような美術館であれば装飾や調度品、さらには二段掛け、三段掛けされて隣接する作品が否応なしに目に入り、作品へ意識を集中することを妨げたの対して、ホワイトキューブにおいて作品は相互に適当な距離をおいてきわめて安定した視覚の中に鑑賞に供される。加えて作品が置かれた文脈を構成する順路の設定もきわめて容易である。ホワイトキューブは次のような目的を最も効率的に実現しているといえよう。すなわち作品をそれが元来置かれていた文脈から切り離し、展覧会という新しい文脈の中で視覚的に最も安定したかたちで観者に供すること。この目的はモダニズム美術の本質と密接に関わっている。つまりモダニズム美術とは作品を自立した一個の価値の源泉として扱い、その視覚的な様態を問題としている。作品を一種の中性的な場に拉致し、視覚的な在り方に基づいて意味づける手法はモダニズム美術と「近代の美術館」のいずれにも共通しているのである。
 1970年代以降、ポストモダンが喧伝されるにつれて、このような美術館の在り方への根底的な批判が提起された。既に60年代中盤、ミニマル・アートの作家たちは場と密接な関係をもち、視覚ではなく身体を介して享受される作品を発表して、モダニズムに奉仕する美術館を批判した。例えばギャラリーのスケールから形状やサイズが演繹されたモリスの無表情なキューブ作品や、蛍光灯の光として場と一体化するダン・フレイヴィンの作品をほかの場に移して展示することにどのような意味を見出すことができようか。アースワーク、コンセプチュアル・アート、パフォーマンスとといった多様な表現を横断して出現した場所限定的(サイト・スペシフィック)な作品の数々はもはやホワイトキューブの空間が意味をもたなくなった状況を暗示している。
 しかし建築家たちもこのような状況に対応すべく様々な試みを繰り広げている。近年話題となったビルバオのグッゲンハイム美術館は展示された作品の存在感をフランク・ゲーリーの異様な建築によって圧倒しようとする試みとみなすことができよう。リチャード・セラの巨大な湾曲する鉄板でさえ巨大なオープンスペースに置かれてその迫力を半減している。明らかにここで建築と作品は対立し、建築が勝利している。ホワイトキューブの匿名的な空間はもはや個性的な建築を必要とせず、サイト・スペシフィックな作品はお仕着せの展示空間を否定する。現在、美術館の建築はその本質においてモダニズム、ポストモダンいずれの美術ともきわめて不調和な関係を示している。ゲーリーは作品との関係を断ち切ることによって建築を自立させようとしている。これとは逆の方向としては例えば安藤忠雄が直島で試みている一連のプロジェクトが挙げられよう。安藤は作家と共同で島内に半永久的な作品の設置を続けている。それらの作品はいわば建築と一体化することによってその効果を最大限に引き出すべく構想されている。つまり前近代の美術館の条件であった作品の永続的な設置という手法を再導入して、サイト・スペシフィックな作品の可能性を探求しているのである。しかしながらこれは一種のリゾート施設である直島において初めて可能な手法であり、伝統的な美術館では応用することが困難な手法であることもまた明らかである。
 今日、なおもモダニズムに根ざした美術館や展覧会という制度は隆盛しているかにみえる。しかしミニマル・アート以後、美術館も展覧会ももはや自明ではない。ゲーリーや安藤の建築は一つの兆候であろう。作品を設置する場所としての美術館、その在り方が今や根本的に問われているのである。