「敷居の低い京都」(あるいは「京都の微熱」) 1:「ぬりこべ地蔵」(「はじめに」にかえて)

カテゴリー: 愉快な知識への誘い |投稿日: 2014年4月1日

梅原賢一郎(芸術学コース教授)

最近京都を見てまわっている。私なりの京都巡礼のつもりだ。といっても、かならずしも有名な社寺仏閣を訪ねるのではない。拝観料を払って、靴を脱いで、文化財然と薄暗がりにひそむ像や画の数々に目を凝らし、賛嘆をごちながらの探訪ではない。「祭り」にもいくが、見物や見学というのはあたらないだろう。沿道から、「王朝絵巻」の行列に息を呑みことも、山鉾の巡行の絢爛豪華に酔いしれることもない。

私が見てまわっているのは、もっともっと低い。いわば「敷居の低い京都」だ。「敷居の高い京都」からすれば、〈なんりゃこりゃ〉といってみたくなるかもしれない。たとえば、六月四日の六四(むし)の日に、土地の人たちにそう呼ばれている「ぬりこべ地蔵」のまえで、「歯供養」という行事がおこなわれる。僧侶の読経のあと、集まった人たちがお堂にまつられる一体の地蔵を順番に礼拝していく。もちろん、虫(むし)歯の治癒が祈られる。

お参りの仕方に特段かわったところはないようだが、私にはこだわりたいものがある。それは、一つの石だ。お堂の前で鈴緒を右手にすればちょうど左手をおろしたあたりにその石はある。人たちはとにかく石を同時に撫でながらお参りをしている。人によっては身をかがめて両手で摩(さす)っている。背景の諸事は後景に沈んで、私にはその動作だけが、クローズアップされて見えるときがある。なぜ撫でているのか。

「撫でもの」という言葉がある。それに触ることによって汚れや厄をうつし、身代わりにする「もの」のことをいう。よくあるのは「人形(ひとがた)」だ。参拝のまえに、掌にも載るほどの切り紙の「人形」を自身のからだに擦(こす)りつけ、最後に息を吹きかけ、悪いもの(厄など)をそのものにうつし、川などに流す。「ぬりこべ地蔵」の石も「身代わり石」と呼ばれていることからすれば、これも「撫でもの」なのだろう。石に触(さわ)ることによって、身体(歯)の痛みをそちらに追いやるのだ。

だが、不思議ではないだろうか。もしそうだとすれば、「人形」にたいしておおかたそうするであろうように、身代わりの「儀式」の瞬間には、〈痛いもの飛んでけ〉といわんばかりに、すくなくとも「撫でもの」に意識を集中させるはずだ。そして、迅速にことがおこなわれるように心がけるはずだ(むこうにうつったものを漫然と触りつづけていようものなら、またこちらにもどってくるやもしれない)。しかし、「ぬりこべ地蔵」の場合はちがう。参拝者のなかには、正面のお地蔵さんに正対したまま、右手に鈴緒をにぎり、左手で石を摩っている。お地蔵さんへの祈願の感情を、まるで左手に延長しているようだ。身代わりはどこへやら、ただひたすら願望の成就の念を石へと塗りこめているかに見える。だからむしろそれは、母親が期待をこめて子供の頭を、愛犬家が飼い犬の頭をよしよしと撫でるのにちかい。

 

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東京の巣鴨の「とげ抜き地蔵」をお参りしたときのことを思い出す。

境内に通称「洗い観音」と呼ばれる、人の背ほどの立像がまつられている。とにかくその名のように、人たちは立像に水をかけ、布巾で拭(ぬぐ)うことをくりかえしている。寺僧によると、患部の治癒に霊験あらたかだという。ということは、この立像も「撫でもの」の一種なのだろう。観音様が疾病の身代わりになってくださる。しかし、いったいどうしたものか。「身代わり」という明確な機能的意味の輪郭はかぎりなくぼやけ、人たちはもっと没入するように、表現はいきすぎかもしれないが、夢遊病者のように、ひたすら、水をかけ、撫で、擦(こす)っていく。「身代わり」という一義的な接触(タツチ)の意図はどこへやら、目のまえの「触(さわ)る」はもっと曖昧な意識の奧底で蠢いているようだ。

……「撫でる」は、「ぬりこべ地蔵」のまえで、親が子を撫でるように、子が親に撫でてもらったように、そう、記憶や願望の結節点で、現在形の進行にしばし異時制が浸入するかのように、展開していく。寝癖のけっしてよくない子供は、はだけたシーツに四肢を絡ませ、定位置を飛びだした枕を脇や腹で抱えこみ、「触(さわ)る」の奥義に包まれたまま、しっとりとした朝の目覚めをむかえる。そんな記憶の感触までをも参拝者の手はどこか遠く引きずっているように見えるのだ。

〈べんしょ べんしょ 鍵しめた〉。たしかに、そんなふうに囃していた。京都で育った子供のころ、だれかが道端の犬の糞のような汚いものを踏んだとする。するとほかの子供たちは、そのように囃しながら、左右とも手の親指と人差し指の先をくっつけて輪っかをつくり、それらの二つの輪っかを鎖のように絡ませ(その輪っかの状態のことを「鍵」というのだろう)、解(ほど)けないように指に力をいれ、踏んだ当人からすばやく駆け足で遠ざかった。一目散のいくつもの逃走線がそこから放射状に多方向に引かれていく……、その起点にいる「糞を踏んだ」当人は、間髪いれず、逃げる一人に狙いをさだめ追いかけた。逃走者は捕まらないように、いや触(さわ)られないように必死で逃げた……。

この遠き日の遊びには「身代わり」が潜んでいる。つまり、「犬の糞を踏んだ」当人は、当人までもが汚いものに染まった負性を帯びた忌避されるべき人物と見なされ、その者に触(さわ)られようものなら、汚いものがさらに感染し、やがて、身代わりにされてしまうだろうということだ。堅く閉められた「鍵」は、もちろん、そうならないためのブロックを意味している。しかし、ものごとさように、全体の意志のようなものが働いているのか、かならずや子供たちは順番に身代わりにされていったであろう。「鍵」をしたまま走らなければならないというハンディキャップは、その意味で、影の意味をになっていたのかもしれない……。

「ぬりこべ地蔵」のまえで展開される「触(さわ)る」には、こうして、二つの「触る」が共存している。すなわち、持続性の接触(コンタクト)と瞬間性の接触(タッチ)と、二つの「触る」が識別されるのだ。

そして、これらの二つは正反対に見える。いうまでもなく、一方は、「触る」の全面的な容認であり、他方は、「触る」の禁忌の側面をもっていると思われるからだ。ポジの接触(コンタクト)とネガの接触(タツチ)。けれども、二つが相互に反発的に見えれば見えるほど、二つが根をおなじくするもののようにも見える。ちょうど拮抗する二人のボクサーのあいだで、殴ることと殴られないこととがおなじ緊迫をもって張りつめ合わされているかのように。つまり、あまりもの触りたいという欲望とあまりもの触られたくないという欲望とは、どちらも「触る」に内在するおなじ強度を示していると思われるのだ。「触る」の含みもつとてつもない力は、触られることのかぎりない恐怖をもたらし、触られないようにするためのとほうもない力に転化する。

私は、初夏の空、読経の響くなか……、「ぬりこべ地蔵」のまえで、以上のある種の触覚の劇(ドラマ)のことを思っていた。上辺はなんでもないことのようであるが、その手には手の遠い記憶と手の固有の論理が潜んでいる。つまり、私は、そこに、だれだれが建てた建築とか、だれだれが描いた絵画とか、そう、一枚かぎりのそのような立て看板になりやすい文化財とはちがった、もっと人類の悠久の普遍学としての感性学の証跡のようなものを感じるのだ。

あちらこちらの、社寺の境内や、路傍の小さな祠のまえにも、おなじ類(たぐい)のものはたくさんあるだろう。北野天満宮には「撫で牛」がいる(ある)。いつもだれかが撫でてているだろう。たとえ「撫でもの」のことはつゆ知らずとも……。それらの現場では、日夜、感覚の普遍学が営まれているわけだ。きっと、そこに、慎ましい賑わいと密やかな信仰心があるのだろう。私はそれを「京都の微熱」と呼ぶ。京都は日もすがら(夜もすがら)信仰の微熱を発しているのだ。宗教の高熱ではなくても。

「ぬりこべ地蔵」をお参りし終えたとき、そこに居合わせていた一人の老婆に声をかけられた。

「一回来たかてあかんで」

「敷居の低い京都」、ほんとうは「敷居の高い京都」なのかもしれない。

 


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