ベルエポックと戦後日本のポスター展

カテゴリー: 愉快な知識への誘い |投稿日: 2014年12月28日

熊倉一紗(芸術学コース教員)

 今年は秋から冬にかけて京都で2つのポスターの展覧会がありました。1つは京都工芸繊維大学美術工芸資料館にて開催の「サントリーポスターコレクションに見るベルエポックのポスター」(2014年12月26日まで)で、もう1つは、太秦に移転したdddギャラリーにて開催の「THE NIPPON POSTERS」(2014年12月20日まで)です。今回は、地域や時代が異なるこの2つのポスターの展覧会の特徴などを紹介したいと思います。

 まず、京都工芸繊維大学美術工芸資料館で開催されていた「サントリーポスターコレクションに見るベルエポックのポスター」についてですが、本展覧会はタイトルに「サントリーポスターコレクション」とあるように、大阪新美術館建設準備室に寄託されているサントリーミュージアム[天保山]に所蔵されていたポスターと、美術工芸資料館所蔵のポスターとを合わせてベルエポックと呼ばれる時代の作品を80点紹介したものです。

 ベルエポックとは、19世紀末(1870年代以降)から1914年までの期間におけるフランスの社会状況を指して使用される言葉で、「良き時代」あるいは「美しき時代」という意味で用いられます。この時代は、平和な日々の中に享楽的ムードが醸成された時代で、パリの都市文化を担ったムーラン・ルージュやフォリー・ベルジェールといったキャバレーでは多くの歌手や踊り子が育ち、文化人や芸術家のコミュニティが形成される場となりました。このベルエポックの装飾様式の代表はアール・ヌーヴォー。この時代にポスターデザインは一気に開花することになるのです。

 さて、展覧会の構成ですが、AからEまで5つのテーマに分けられ、それぞれA「華やかなパリ、花開くポスター」、B「豊かな近代生活」、C「自転車、スポーツ、エクスカージョン」、D「歓楽の都パリ」、E「同時代のヨーロッパポスター」となっています。近代ポスターの父と称されるジュール・シェレの名作《ムーラン・ルージュの舞踏会》(1889年)から始まり、スタンランの《ヴァンジャンヌの殺菌牛乳》(1894年)、ロートレックの《歓楽の女王》(1892年)、そしてミュシャの《演劇「ジスモンダ」》など、ポスター史を彩る名作がずらりと並ぶ贅沢な展示でした。

 興味深かった点をいくつかあげますと、まずはミュシャの影響力の大きさ。私が確認した限り4点ほどが一見しただけでミュシャの模倣とわかる、はっきりとした輪郭線に流れるような曲線でもって女性を描いていました。当時も、そして現代も絶大な人気を誇るミュシャ、恐るべしです。また、商品名などを示す書体が極めて多彩なことも挙げられます。ちょうど講義で、可読性を重視しサンセリフ書体だけを用いるモダンデザイン運動について話していたため、1枚の画面内に様々な書体が同居している19世紀後半のポスターが改めて新鮮にうつりました。そして同時代のヨーロッパポスターとしてオーストリア(ウィーン)やドイツの作品が展示されていたことにより、地域によって表現方法が全く異なることを明白に理解できるようになっていたのも嬉しい構成でした。フランスのポスターは、色彩鮮やか、モチーフは優雅で華麗な女性たちです。対してウィーンやドイツのポスターは男性が登場し、力強さや堅固さが強調されています。もちろん広告対象が異なるためにこのような差異が生まれるわけですが、同時代におけるポスター表現の豊かさ・多様さがはっきりと看取できます。最後にウィーン分離派展のポスターをまとめて見ることができたのも、サントリーポスターコレクションと美術工芸資料館とが合同で開催したからこそのものでした。なかでもコロマン・モーザーは第5回(1899年)と第13回(1902年)の展覧会ポスターを制作していながら全く異なる表現方法——一方はミュシャ風の曲線を多用、他方は直線や円のみの表現――をしています(図1,2)。わずか3年の間でいかに幾何学的表現を多用するグラスゴー派の影響を受けているのかが分かります。

 

(左)図1:コロマン・モーザー《第5回分離派展ポスター》1899年/(右)図2:コロマン・モーザー《第13回ウィーン分離派展》1902年

(左)図1:コロマン・モーザー《第5回分離派展ポスター》1899年/(右)図2:コロマン・モーザー《第13回ウィーン分離派展》1902年

 このように「サントリーポスターコレクションに見るベルエポックのポスター」展は、二つの異なるポスターコレクションが合わさることで、展示作品数はそれほど多くはないものの、極めて充実した内容の展覧会だったといえるでしょう。

 続いて、dddギャラリーの「THE NIPPON POSTERS」を見ていくことにしましょう。こちらは、ギャラリーが太秦に移転したこと、また企画展が200回に達したことを記念した展覧会で、DNPグラフィックデザイン・アーカイブの中から選ばれた133点のポスターによって構成されています。具体的には第1世代から第6世代まで6つのセクションに分かれ、1950年代の「日本宣伝美術会(日宣美)」で活躍した亀倉雄策、永井一正、田中一光といった面々から、70年代にパルコの広告で一世を風靡した石岡瑛子、無印良品の印象的なポスターを制作した原研哉、サントリー伊右衛門の広告でお馴染みの永井一史(実父は永井一正)といった、日本を代表するグラフィックデザイナーの作品がそれほど広くはない会場に所狭しと展示されていました。

 本展覧会に出品された作品は「日本の伝統美」、すなわち琳派や浮世絵、日本の自然や風景などを感じさせるものを中心としています。それは広告の対象が「写楽生誕200年祭」や「日本舞踊」といった日本の伝統的な芸術や芸能、あるいはそれらをテーマにした展覧会告知、さらには万博といった日本に関連するものが多いためなのですが、同じテーマでデザイナーが異なるものはそれぞれの特徴が如実に出ており比較して鑑賞する楽しさがありました。例えば「写楽生誕200年祭」では、永井一正はまるで某夢の国のキャラクターのような耳と鼻をつけたものとして写楽の浮世絵をアレンジし(図3)、色彩の美しさを追求した田中一光は、写楽作品を渋い色合いの円――江戸の粋を象徴している――とともに造形しています(図4)。ほかにもグルーヴィジョンズの東京マラソンのポスターは現代の洛中洛外図といったおもむき(図5)。このように、デザイナーの作風と「日本」というテーマが合わさって、そのデザイナー特有の「日本らしさ」の表現をみせていたことにこの展覧会の面白さがあったと思います。

 

(左)図3:永井一正《写楽生誕200年祭》1995年/(右)図4:田中一光《写楽生誕200年祭》1995年

(左)図3:永井一正《写楽生誕200年祭》1995年/(右)図4:田中一光《写楽生誕200年祭》1995年


 

図5:グルーヴィジョンズ《東京マラソン2009》2009年

図5:グルーヴィジョンズ《東京マラソン2009》2009年

 ポスターとは、言うまでもなく企業や商品などを宣伝・広告する媒体。このような明確な目的のため作家性や芸術性は、ふつう二の次です。しかしながら、今回紹介したベルエポックのポスターや日本の戦後のポスターは、広告という目的とデザイナー独自の表現がみごとに融合した稀有な例を示していたといえるでしょう。

【図版出典】
 図1、2 宮城県美術館他編『ウィーン分離派1898−1918』展図録、2001年
 図3〜5 公益財団法人DNP文化振興財団編『THE NIPPON POSTERS』展図録、2014年


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