研究メモ:ウンベルト・エーコ『開かれた作品』をめぐる論争から

カテゴリー: 愉快な知識への誘い |投稿日: 2015年8月17日

池野絢子(教員)

ウンベルト・エーコ(Umberto Eco, 1932-)をご存知でしょうか。彼の名前は、『薔薇の名前』(1980)や『フーコーの振り子』(1988)を著した小説家としてより知られているかもしれません。しかし、エーコは、小説家であると同時に、メディア論者、記号学者、そして美学者でもあります。ここでは、そのエーコの著作の一つ、現代芸術の理論書として今なお広く参照されている『開かれた作品〔Opera aperta〕』(1962)(ⅰ)と、それにまつわる論争をご紹介したいと思います。

ウンベルト・エーコ『開かれた作品』の第9版表紙、2013年

ウンベルト・エーコ『開かれた作品』の第9版表紙、2013年



 そもそも、「開かれ」とはなんでしょうか。「開かれ」とは、あらゆる時代のあらゆる芸術作品が本質的に持っている、メッセージの「曖昧さ」のことです。作品を受け手が解釈するときの、解釈の可能性としての「曖昧さ」。および、作品自体が物理的に未完成で、受け手の側に完成の余地が残されている場合の、作品の未決定性を「開かれ」という言葉で表現しているのです(ちなみにエーコは前者と後者を区別して、後者の性格を持った芸術作品を「動的作品〔opera in movimento〕」と呼んでいます)。そして、この「開かれ」こそ、同時代の芸術が目指している価値なのだと、エーコは言います。
 芸術における受け手(鑑賞者・読者)の積極的な役割を論じたこの書は、いまや現代芸術の理論書でも「古典」の一冊として認識されています。もちろん、当時のエーコが想定していた同時代の前衛芸術とは、ベリオやシュトックハウゼンの音楽、文学ではジョイスやマラルメ、視覚芸術ならアクション・ペインティングやアンフォルメルですから、今からすれば最新とは言い難いものです。しかし、とりわけ以後の現代アートが、芸術家個人による創造から、「鑑賞者参加型」や「共同制作」といった形態に——すなわち、受け手のより積極的な参加へと文字通り開かれていったことを考えるならば、エーコの分析は今なお有効なものであると言えるでしょう。
 ところが、実はこの書は、1962年に発表された当初は、必ずしも好意的に受け止められたわけではありませんでした。いやむしろ、『開かれた作品』は、当時のイタリアの新聞や雑誌上で、大論争を巻き起こしたのです。エーコの主張のいったい何が問題だったのでしょうか? 今からすると、「芸術作品はすべて作者によって決定されているわけではなく、受け手に開かれている」というこの書の基本的主張が、それほどの反発を惹起したことは、むしろ意外に思えるかもしれません。
 たとえば、後にノーベル文学賞を受賞する詩人のエウジェニオ・モンターレ(Eugenio Montale, 1896-1981)は、エーコの言う「開かれた作品」が現実に広まっていることを認めつつも、いくつかの点でエーコに疑問を示しています。多くは文学というジャンルの固有性に関わることなのでここでは言及しませんが、とくに注意を引くのは、モンターレが「開かれた作品」と産業の関係性を指摘していることです。「産業は、流動的な状況を必要とする…(中略)開かれた作品は、優れてこうした必要性に適うものだ(ⅱ)」、と彼は言います。つまり、もし「開かれた作品」が増え続け、批評家が判断するのではなく、すべての価値判断が受け手に任されるような状況に陥れば、芸術は産業と何ら変わらなくなってしまうのではないか、とモンターレは懸念しているのです。
 なるほど、モンターレの不安は故のないものではありません。実際、エーコは同書のなかで、芸術作品だけではなく、テレビの実況中継という、まさに「イメージ産業」を取り上げて、その制作と享受の関係に関する美学的考察を繰り広げていました。こうした態度は、従来の芸術作品のモデルを揺るがすものであり、そのために多くの論者が批判を表明することになったのです。小説『キリストはエボリで止まってしまった』(1945)で知られる作家のカルロ・レーヴィ(Carlo Levi, 1902-1975)もまた、エーコの言説が暗黙のうちに産業社会を肯定していることを問題にしていました。レーヴィは、モンターレよりはるかに辛辣な諷刺文でもってこの「ミラノの若造」を挑発します。曰く、「エーコ、僕が君をどんなに好きか。僕の愛するミラノの反響(エーコ)、君の抱える諸問題。他のみんなと足並みを揃えて、凡庸であろうとするところ。凡庸の傲慢さ…(中略)どんなに君が好きか、ミラノの若者よ。君の霧、君の摩天楼、時間通りに出社するところ、君の諸問題、君の疎外…(ⅲ)」。レーヴィは、ほとんどエーコの議論の内容には触れず、専ら彼の言説そのものが、ミラノの商業主義、そしてその文化的状況の反響(エコー)であると揶揄しているのです。
 これらの記事を読んでいると、若干30歳のエーコの手になるこの書が、刊行直後からこれほどの反響を呼んだのは、ある意味それが、新しい時代を予見する書だったからだろうという気がします。今日、鑑賞者参加型の作品は芸術祭や展覧会でおなじみのものとなり、そこでは鑑賞者の創造性や共同体の活性化が謳われています。しかし、どのようにすればそうした「開かれ」が現実に創造的なものになり得るのか、あるいは各々によって消費されて終わってしまうのか。『開かれた作品』が呼び込んだ問いは、実はまだ解決されていないようにも思われます。
(ⅰ) Eco, Umberto, Opera aperta: Forma e indeterminazione nelle poetiche contemporanee, Milano: Bompiani, 2013(1962)〔ウンベルト・エーコ『開かれた作品 〔新・新装版〕』篠原資明・和田忠彦訳、青土社、2011年〕.
(ⅱ) Montale, Eugenio, “Opere aperte,” Corriere della sera, 29, luglio, 1962.
(ⅲ) Levi, Carlo “San Babila, babilonia,” Rinascita, 23, febbraio, 1963.


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