拈華微笑2018(2):Woman in Gold

カテゴリー: 『雲母』について愉快な知識への誘い |投稿日: 2018年9月12日

池野 絢子(教員)
「黄金のアデーレ」(2015年)という映画をご存知でしょうか。グスタフ・クリムトの描いた《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》(1907年・図1)という絵画をめぐる物語です。金地の上に美しく着飾った女性が豪華で装飾的な技法で描かれた、クリムトの代表作の一つであり、大変魅力的な絵画なのですが、映画は制作経緯の話でも、クリムトの生涯の話でもありません。そこに描かれた女性アデーレと、その作品の所有者をめぐる物語です。

アデーレは、ウィーンの裕福なユダヤ人実業家の妻でした。この作品はその夫によってクリムトに注文され、自宅に飾られていたものです。ところが、第二次世界大戦下、ナチス・ドイツのオーストリア併合により、ユダヤ人だった一族は亡命を余儀なくされ、この作品は資産とともに没収されてしまいます。その後、紆余曲折を経て作品はオーストリア絵画館に収蔵され、戦後長く、同館のコレクションとして展示されていました。
しかし、1998年、戦時中にナチスによって略奪された芸術作品の返還に関する法律をオーストリア政府が導入したのを受けて、アデーレの姪で、アメリカに亡命していたマリア・アルトマンが、この絵画の正式な所有権を主張して裁判で争うことになるのです。映画は、この顛末を描いたものです。
戦中、ナチスの略奪によって、本来の所有者から不当に没収された作品はこの作品だけではありません。私は6月にスイスのベルン美術館で開催されていた「グルリット・コレクション」の展覧会(図2)を訪れる機会があったのですが、これも大変考えさせられる展覧会でした。グルリット・コレクションとは、戦中にナチスと深い関わりを持った画商ヒルデブラント・グルリットに由来するコレクションです。ヒルデブラントは、ナチスがユダヤ人から接収した美術品や、ナチスによって「頽廃芸術」という烙印を押された前衛芸術の売買を行なっていました。散逸したと思われていたその作品群を密かに受け継いでいた息子のコルネリウスの死後、作品は彼の遺言でベルン美術館に収蔵されることになったのです。約1500点にものぼるそのコレクションには、フランツ・マルクやオットー・ディクスのような前衛から、クールベやマネ、果ては日本の浮世絵まで含まれていて、その幅の広さに驚きました。一目で心惹かれるような素晴らしい作品もあったのですが、それらがいったいどのような経緯を経ていま自分の眼の前にあるのかを考えると、複雑な気持ちにならざるを得ませんでした。
ところで先に紹介した映画は原題をWoman in Goldと言います。戦時中、この作品がユダヤ人女性を描いたものであるのを隠すために、アデーレの名前をタイトルから消去していたことに由来するようですが、ひょっとするとモデルのアデーレだけではなく、作品返還のために戦った姪のマリア・アルトマンをかけたタイトルなのかもしれないなと思いました。芸術作品は、さまざまな物語を秘めています。あくまで映画であり、すべてが真実ではないことを念頭に置かねばなりませんが、芸術と戦争の問題について考えるきっかけを与えてくれるでしょう。関心のある方はぜひご覧になってみてください。

図1 グスタフ・クリムト《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》1907年

図1 グスタフ・クリムト《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》1907年


図2 「グルリット:ステータス・レポート」展会場風景、フランツ・マルクの作品、ベルン美術館、筆者撮影

図2 「グルリット:ステータス・レポート」展会場風景、フランツ・マルクの作品、ベルン美術館、筆者撮影


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