田島恵美子(教員)  『キュッパのはくぶつかん』という絵本をご存じですか?  キャラクターグッズが販売されていたり、数年前にはこの絵本をきっかけとした企画展*もあり、すでに読まれた方もいらっしゃるかもしれませんね。キュッパという丸太の男の子が主人公の絵本ですが、ちびっこ向けと侮るなかれ、芸術を学ぶ人にとって、なかなか意味深い、示唆的なお話となっています。

拈華微笑2016(7):マリメッコ展

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2016年11月26日

熊倉一紗(教員) 豊かな森や湖に囲まれ、ムーミンを生み出し、優れた社会保障制度を維持している国といえば……そう、フィンランドです。フィンランドは、デザインにおいても優れた作品の数々を生み出してきました。そんなフィンランド・デザインを代表する「マリメッコ」の日本初となる大規模な巡回展が現在、開催されています。

小林留美(教員) そこに何が描かれているのか、はきとした言葉にはしにくい作品というものがあります。いわゆる具象ではない抽象画だから、というわけではおそらくありません。2011年に亡くなり、昨夏、原美術館で日本初の大きな個展が開かれた現代アメリカの作家、サイ・トゥオンブリーの絵画やドローイングは、そういった類の最たるものであるような気がします。そしてこの夏、DIC川村記念美術館で、初めて、彼の写真をまとまって見る機会がありました。

拈華微笑2016(5):論文を書く苦しみ

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2016年8月25日

金子典正(教員)  論文、報告書、依頼された原稿など、大学で教員として仕事をしていると文章を書く機会は本当に多い。出来上がった文章をパソコンの画面上で何度も読み返し、さらにプリントアウトして何度も読み返す。推敲を重ねて、誤字脱字はないか、表現はおかしくないか、世に出して恥ずかしくないか、時には余計なことを考え過ぎてしまって原稿がなかなか完成しないこともある。

拈華微笑2016(4):記憶の方法

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2016年7月25日

田島恵美子(教員)  日々の学習の中で、ちゃんと勉強したのになかなか記憶として定着しない、読んだ本の内容をよく覚えていないといった経験はないでしょうか。実際、私自身が痛感していることであり、限られた時間で研究を進めていく上で、何度ももどかしい思いをしています。  そんな中で、参考文献として瞑想や記憶術の本に目を通す機会があり、記憶とその方法について考えさせられるとともに、改めて自身の勉強の方法を見直す機会ともなりました。そのことについて、簡単ですが述べてみたいと思います。

三上美和(教員)  東京国立近代美術館の「安田靫彦展」に行きました。日本画としては長い展示期間にもかかわらず、諸事情で終盤近くになってしまいました。そのためやや混んでいたものの、気になる作品をじっくり見ることはできました。

安田靫彦展

安田靫彦展

拈華微笑2016(2):古典(再)訪

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2016年5月26日

池野絢子(教員)  美術作品にも、小説にも、ポップ・ミュージックにも、どんな分野にも「古典」と呼ばれるものがある。研究にも、「古典的名著」なるものが存在していて、その分野を志す人にとっては必読書だ。あるいは、日本人にとっての『源氏物語』のように、ある文化圏の人が共有している「古典」もあるだろう。対象は異なれど、多くの人にとって古典的作品/著作といえば、やはり知っておきたいもの、知っておいて損はないと思われるもの、なのではないだろうか。

拈華微笑2016(1):美食漫遊記

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2016年4月25日

梅原賢一郎(教員)  漱石の『猫』の迷亭先生にならったわけではないが、美学という学問を一生の仕事にと選んでしまった手前、ちょっと講釈しておきたいことがある。「なぜ、芸術といえば音楽や絵画がメジャーで、食はマイナーなものと評価されがちなのか」。それは、食の主管的な感覚領域と見なされうる味覚領域が、どれほど自律的な対象領域を形成しえているかどうかにかかっていると思われるが、それについては、音楽における聴覚領域や絵画における視覚領域がそうであるほどには、形成しえていないといわざるをえない。

加藤志織(教員)

 昨年の『雲母』2月号では細野不二彦の『ギャラリーフェイク』を紹介しましたが、今年は16世紀のイタリアで活躍した画家・建築家のジョルジョ・ヴァザーリ(1511~1574)が記述した『美術家列伝』をお奨めしたいと思います。

熊倉一紗(教員)

 2015年9月1日、佐野研二郎氏デザインの東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムが白紙撤回されました。7月27日にオリビエ・ドビ氏が、自身デザインのベルギー・リエージュ劇場のロゴとエンブレムとの類似を指摘して以来、まさに「炎上の1 ヶ月」でした。  問題の端緒である五輪エンブレムについては、佐野氏自身が盗用を否定し、専門家の間では「似ていない」とする意見が多かったようです。しかしながら、世論やネット上では「似ている」ことが非難の的となりました。大阪芸術大学教授・純丘曜彰氏は「似ている、などと、他国から物言いがついた時点で、このデザインはケガれている」と指弾しています(INSIGHT NOW! http://www.insightnow.jp/article/8591.2015年8月10日付記事)。では、なぜ似ていることは悪なのでしょうか。