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杉崎貴英(本学講師)

「鉈彫」とは、普通ならば平滑に仕上げるべき表面に、ざっくりとした丸鑿の痕を残した木彫仏像のこと。未完成なのか完成とみるべきか、かつて意見が分かれていたが、説得力ある完成説と東日本での偏在を論じられたのが久野健氏であった(概要は同氏『仏像風土記』〈NHKブックス〉1979年参照)。その論が結実したのが写真家田枝幹宏氏との共著『鉈彫』(六興出版、1976年)である。鉈彫完成論はかくて定説化したのであるが、やがて井上正氏(現・本学教授)により初期木彫仏の年代観と造像思想が再検討されるなかで、鉈彫である理由が改めて問われるに至ったのである。

杉崎貴英(本学講師)

 上田市の高台に、戦没画学生の遺した絵を展示する「無言館」がオープンしたのは1997年夏のこと。当時はマスコミがこぞって報道し、著者のいう“無言館フィーバー”の観を呈していたから、御記憶の向きも多いのではないだろうか。  著者は長年、近代日本の夭折画家を追い、彼らの作品を展示する信濃デッサン館を営んできた。戦争体験をもつ洋画家野見山暁治氏とともに始めた「戦没画学生巡礼」の旅が、やがて「無言館」構想に至ったという。本書は、開館5年のあいだに起こった出来事、投げかけられた言辞を通じて、著者が「自分と『無言館』との距離について」足元をみつめなおした手記である。

杉崎貴英(本学講師)

 2001年10月刊。すでに源氏物語絵巻、伊藤若冲などを刊行した同シリーズは、原寸大写真を多く含むのが魅力の一つ。本書はとくに、雪舟没後500年の前年という時宜を得た出版である。  まことに今年度(※2001年度)は、雪舟関係の刊行物がひときわ目立っていた。宮島新一『雪舟−旅逸の画家』(青史出版)は前年度刊行であったが、

文献案内:絵巻に関するブック・ガイド

カテゴリー: 過去サイトの記事 |投稿日:2004年11月1日

杉崎貴英(本学講師)    古美術のコレクションを扱う小さな美術館に勤めていた時、収蔵品に対する貸出や図版掲載の許可申請書から、改めて気づかされたことがあった。申請者の立場によって対象(モノ)をさす代名詞が違ってくるのである。たとえば同じ絵巻でも、他の美術館からの書類では「作品」「美術品」、一方、歴史系博物館の場合は「資料」「文化財」などと記していることが多かったのだ。美術館と狭義の博物館との違いがこんなところにも表れるわけだが、まあここまでは理解できた。ところがある日、まったく思いもしなかった第三の代名詞に出くわしたのである。調査の申し込みは説話文学の研究者から。そこで絵巻は、なんと「貴重書」と記されているではないか!

杉崎貴英(本学講師)

「法隆寺は再建か非再建か」「高松塚古墳の被葬者は誰か」といった古代史上の事実認識にかかわる問題や、「広隆寺弥勒は朝鮮渡来か」「薬師寺本尊と白鳳・天平論争」といった美術作品の様式認識にかかわるものなど8つの論点について、明治以来の研究史が丁寧に追跡されている。今に残された数少ない史料と作品、つまり“事実”から、いかに妥当な“解釈”を導きだすか。新たな謎が浮かび上がり、あるいは先学の解釈がくつがえされ、論争は複雑化してゆく。読み手はその過程をたどるなかで、史料解釈や作品記述のより有効な方法についても考えさせされるのである。

杉崎貴英(本学講師)

 織田信長が上杉謙信に贈ったという伝承のもと、狩野永徳の作品として国宝に指定された上杉本「洛中洛外図屏風」。しかし近年ある中世史家から、この伝承を疑問視し、景観は1547年の京都を忠実に描いたもので、当時幼少だった永徳の作品とは考えられない──とする説が提示された。果たして定説は覆るのか、新説に方法上の問題はないのか。絵画史料を積極的に中・近世史研究に活用してきた黒田氏は、この衝撃的な説が巻き起こした論争に遅ればせながら参戦することになる。論争はまた、美術史家・建築史家・日本史家それぞれにおける、絵画のとらえ方の相違を顕在化させていた。黒田氏は先行研究を腑分けし、問題点を摘出しつつ考察を前進させてゆく。そしてついに、伝承にまさる新たな史料にたどりつくことになるのである。

杉崎貴英(本学講師)

 運慶といえば、歴史の教科書にも東大寺仁王像の作者として登場していた著名な仏師。その仁王像の解体修理など、近年新たな発見が相次いでいる。本書は『産経新聞』紙上において、上横手氏(中世史)と松島氏(彫刻史)との間で繰り広げられた「切れば血の噴き出るような対論」(編集者のあとがきによる)をまとめたもので、根立氏が伝記的叙述を補っている。

杉崎貴英(本学講師)

 “絵そらごと”という言葉は、絵画が本来的にフィクションであることを端的に示している。では“絵”はいかにして、“そらごと”を具現化しているのか?あるいは“絵”のテクニックとして、どのような“そらごと”を秘めているのか?

杉崎貴英(本学講師)

 今回はすこし毛色の変わった特集にしてみた。美術史の課題の一つが、「かたち」を「ことば」で語るという難しさにあるとするなら、こうした図書は“ひろく/わかりやすく伝える”という、さらなる困難への挑戦となっているはずである。それが成功していれば、大人の我々にも訴えかけてくる力をもっているに違いない。また昨今、学習指導要領の改訂により、美術館での教育普及活動にますます期待が高まりつつあるが、この種の本はそれとの連関をはらむとみることもできよう。

杉崎貴英(本学講師)

 今回は“日本の美術館の現在を考えるために”をテーマとしたい。もちろんテキスト『現代博物館学』(市販版は『現代美術館学』)や日比野秀男編著『美術館学芸員という仕事』『美術館と語る』(ぺりかん社、1994・99年)も多くの話題を提供しているが、いま少し周辺事情に目を配って4件を取りあげ、関連書にもふれてゆくことにする。  

淡交社美術企画部編『私も美術館でボランティア』淡交社、1999年、1,600円(税別)、ISBN4-473-01700-1