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…「Lo Gai Saber|愉快な知識」は、京都造形芸術大学芸術学部通信教育部の「芸術学コース研究室」 が運営しています。芸術学について学ぶ学生の皆さんに向け、学習に役立つ様々な情報を発信しています。

加藤志織(教員)

ルーヴル美術館展

ルーヴル美術館展

 大阪市立美術館において1月14日まで公開されていたルーヴル美術館展を見てきた。この企画展では、ルーヴル所蔵の肖像芸術に焦点が絞られ、時代も地域もさまざまな絵画・彫刻・装身具が、それらの制作目的ごとに分けて展示されていた。

【芸術学コース】特別講義のお知らせ

カテゴリー: お知らせ |投稿日:2019年1月23日

 

爆心地・長崎の彫刻–被爆聖人像、平和祈念像、母子像

長崎市の爆心地一帯に現存する彫刻群からもうひとつの日本近代彫刻史を捉えようとすること、これが本講義のテーマです。長崎は江戸時代に西洋彫刻の石膏像が輸入された場所であり、戦後には平和公園に《平和祈念像》などの大型彫刻が複数置かれるなど、彫刻と深い関わりを持っています。私はこれまで、戦後日本の彫刻にとって長崎はもっとも重要な場所と位置づけられるのではないか、長崎の彫刻群には人間にとって彫刻とは何かという問いの手がかりがあるのではないかと考え、作品制作と調査研究に取り組んできました。本講義では、そういった少し大きな問いについても、皆さんとともに考える機会になればと思っています。現在、長崎市松山町の爆心地一帯は平和公園となっています。長崎の平和のシンボルでもある北村西望作《平和祈念像》はここに1955年に設置されました。《平和祈念像》のまわりには世界各国から贈られた平和の像が並びます。そして1997年には、北村西望の助手でもあった富永直樹作《母子像》が設置されました。いっぽう、平和公園からほど近い浦上天主堂には、原爆の炸裂によって頭部を失った立像と、反対に首だけになったたくさんの聖人像が保存されています。このような異なる来歴を持つ彫刻であふれた爆心地・長崎は、いったい何を示しているのでしょうか。1980年代後半から90年代にかけて構想されるも実現することはなかった「平和公園再整備計画」や、90年代後半から2000年代前半まで続いた「母子像裁判」などの、これまで十分に光が当たることがなかった資料と併せて検討します。

nagasaki1 北村西望《平和祈念像》(1955年) [撮影:小田原のどか]

講師:小田原のどか 演題:「爆心地・長崎の彫刻–被爆聖人像、平和祈念像、母子像」について 日時:2019年2月2日(土)14:00~16:00 会場:京都造形芸術大学 東京外苑キャンパス 教室は当日の掲示にてご確認ください。

※事前申込不要。参加無料。芸術学コース以外の方・一般の方どなたでもご参加いただけます。

比企貴之(教員)  京都駅から市営バスに乗り、10分足らずでバス停・博物館三十三間堂前に着く。そこでバスを降車すると京都国立博物館、道路を挟んで反対側には蓮華王院三十三間堂がみえる。蓮華王院は、今日、国宝建築として名高く、本学の学生のうちにも「行ったのは一度や二度ではない」という人も少なくなかろう。

梅原賢一郎(教員) 作曲家の細川俊夫さんをお招きし、第4回「芸術をめぐる(おいしい)お話の会」が東京(外苑キャンパス)で開催されました

秋たけなわ、11月11日、芸術学コース主催の第4回「芸術をめぐる(おいしい)お話の会」が東京(外苑キャンパス)で開催されました。東京でははじめての試みでした。他の複数のスクーリングとかさなり、日程としてはかならずしも最適でなかったかもしれませんが、用意した椅子を一列分補充し、なんとか皆さん、教室に入っていただくことができました。いつものように、お菓子を持参し、集まってきてくださった学生さんたちには、感謝いたします。 さて、ゲストには、現代作曲家の細川俊夫さんをお招きしました。細川さんは、ご紹介するまでもなく、世界的に有名な作曲家で、数多くの賞をすでに受賞なさっていますが、先だっても、作家の多和田葉子さんとともに、国際交流基金賞を受賞なさったところです。近年、能をオペラにする作品を数多く手がけられ、今回の勉強会でも、「能から新しいオペラへ」と題して、ご自身の作品「世阿弥の能によるオペラ《松風》」(2010)、「オペラ《海、静かな海》」(2015)を中心に、お話ししていただきました。能をヨーロッパで上演するには、予想されるいくつかの壁を突破しなければならないと思われますが、細川さんの深い洞察と強い信念が、静かな語りのなかからも、伝わってきました。

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じつは、細川さんと私は旧知の仲でして、はじめてお会いしたのは、細川さんが二十歳、ベルリン芸術大学に留学なさってたるときでした。京都に来られたときは、枕を並べて(比喩ではありません)、夜遅くまで、芸術の将来について、熱く議論したこと、昨日のことのように思い出します。 細川さんは、ヨーロッパ音楽という領域のなかで、日本(東洋)人の自分になにができるか、いろいろと格闘されていたように思います。たんに表面的な日本(東洋)らしさをを音楽のなかに織りまぜるのではなく、作曲原理において、何ができるかです。 そして、音の生成のちがいのようなものに着目されたように思います。つまり、ヨーロッパ音楽における音は、調性ならば調性という、いずれにしてもなんらかのシステムに従属した音(楽音)ということができます。その意味で、細川さんもいわれているように、「論理的な音」です。それにたいして、日本(東洋)の音は、一音一音が、生成から消滅までの生命をもっている。笛の音にしても、鼓の音にしても、地としての沈黙(無)から、まるで生命の誕生ででもあるかのように、音が立ちあがり、また、沈黙(無)へと沈んでいく。図と地ということであれば、むしろ、地が重要であって、図は一時的な仮の現象にしかすぎない。細川さんの音楽は、一貫して、そのような音の思想のもとで書かれていると思います。 一つ例をあげますと、早い時期の作品ですが、「ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための《断層》」(1984)という作品があります。これは、ステージの中央に、前から、ヴァイオリン、チェロ、ピアノと垂直に演奏者を配置するものでした。普通は、舞台に向かって、左にヴァイオリン、右にチェロ、後方にピアノですが、細川さんの指定にしますと、演奏者は、おたがいに顔も見ることも、視線をかわすこともできません。この作品において、細川さんは、ステージの因習的なポジションによって、ややもすれば引き起こされるであろうさまざまな夾雑物を洗い流し、いわば孤立した演奏者一人一人に、一音一音、音の生成に立ちあうことを強くもとめたことになるでしょう。 また、細川さんは、若いころから、作曲の原理を、洋の東西を問わず、いろいろな神話や哲学にももとめてこられたように思います。たとえば、曼荼羅の密教思想(「声明と雅楽アンサンブルのための《観想の種子-マンダラ》」など)や禅思想(音の生成そのものが禅的であるということができます)やヘシオドスなどの古代的な宇宙論(コスモロジー)などです。一つだけ例をあげますと、「笙ととハープのための《うつろひ》」(1986)という作品があります。これは、ハープ奏者が舞台の中央に座り、笙の演奏者はステージの脇から登場し、弧を描くようにステージをゆっくりと歩行し(笙の音は鳴ったまま)、また、他方の脇から退場していくというものです。細川さんによれば、吐いても吸っても音のでる笙は、恒久的な天体の運行をあらわし、心の襞にとどく繊細な音のハープは、人間をあらわしてるということです。これは、宇宙の原理と人間の原理が照応するするということで、古代の汎神論的な宇宙論(コスモロジー)に基づいていて書かれたということができるでしょう。 もう一つ、細川さんの作曲活動をずっと見わたしてみますと、魂の浄化(purification)、魂の昇華(sublimation)というのが、またべつのテーマとしてあげることができると思います。もっとも早い時期に書かれた、「ヴァイオリンのための《ウィンター・バード》」(1978)という作品があります。宮沢賢治の「よだか」を思わせるように、鳥が天空へと飛翔し、最後は、昇天していくかのようです。魂の浄化、魂の昇華、これは、《ヒロシマ・レクイエム》(1989/92)や「独唱者、朗読、混声合唱、テープとオーケストラのための《ヒロシマ・声なき声》」(1989)の作品の存在が示しているように、細川さんの出身地(広島)と関係しているとは思いますが、その当否はべつにして、細川さんの作品に一貫している、テーマということができます。

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そして、今回の勉強会で、映像をまじえて、お話しいただいた一連のオペラ作品です。《松風》にしても、男が去ったあとの、狂おしいほどの女の悲哀の情念が、最後は、静かに昇華していくように思われます。東日本大震災を題材とした、《海、静かな海》(平田オリザ演出、ハンブルク初演)にしても、被災した哀しみが、死者の黙せる哀しみも、生者の喪の哀しみも、最後は、「南無阿弥陀仏」の唱和のうちに昇華していく、作曲者の意図をそのように読むことができます。ドイツ人の声(たどたどしい発音)も日本人の声も、ともに、宇宙に融けこむ「南無阿弥陀仏」と聞こえたとき、私は思わず、目頭が熱くなってしまいました(念仏宗の信者ではありませんが)。 なにはともあれ、こうして勉強会が開催されましたこと、たいへん嬉しく思っています。旧交を温めるという意味でも、私にとって、ありがたい勉強会でした。思い思いのお菓子を持参して、集まっていただいた学生や卒業生のみなさま、ありがとうございました。「文化の秋」のいい一日でした。

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(梅原賢一郎)

佐藤 真理恵(教員)

イヴリン・ド・モーガン《トロイのヘレネー》(1898年)、ロンドン、ド・モーガン・センター蔵

【図1】イヴリン・ド・モーガン《トロイのヘレネー》(1898年)、ロンドン、ド・モーガン・センター蔵

 「世界三大美女」といえば、わが国に限っては、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町が挙げられることが多い。しかし、より一般的には、小野小町の代わりにヘレネーという女性がランクインしているようだ。  ヘレネーとは、ギリシア神話に登場する、絶世の美女との呼び声高い人物である。それほど有名な麗人であれば、さぞ多くの芸術家が美の化身としての彼女の像を創造し讃美したかと思いきや、意外なことに、とくに美術の分野では、ヘレネー像の数は決して多くない。しかも、美術作品や詩、演劇、映画で描き出された彼女の容貌や人物像は、概ね共通した特徴をそなえており、ヘレネーのイメージは多分に均一化されているといえる。後述するが、ヘレネーには、金髪たなびく絶世の美女にして稀代の悪女、という固定観念が付きまとっているのである。

第四回おいしいお話の会開催について

カテゴリー: お知らせ |投稿日:2018年10月23日

第四回、芸術をめぐる(おいしい)お話の会 進行:梅原賢一郎(芸術学コース教員) ゲスト:細川俊夫(作曲家、武生国際音楽祭音楽監督、東京音楽大学およびエリザベト音楽大学客員教授、国立音楽大学招聘教授)

テーマ:能から新しいオペラへ-「班女」「松風」「二人静」について- 日時:2018年11月11日(日)14:00 ~ 16:00 場所:東京外苑キャンパス(教室は当日掲示) ※事前申込不要。参加無料。どなたでも参加可能。

東京外苑キャンパスにて、比較芸術学、文化遺産・伝統芸術の修了生トークと分野別説明会を開催いたします。 分野別説明会では、担当教員が授業内容等について説明します。

予約不要ですのでお気軽にご参加ください。

日時:11月23日(金祝)14:00~16:00 場所:外苑キャンパス

※予約不要 ※大学院進学の全体説明会ではありません。 ※教員による個別説明はありません。

東洋哲学を自由に演奏する

カテゴリー: コースサイト記事 |投稿日:2018年10月20日

梅原 賢一郎(教員)  アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、ギリシャ語など、あまたの言語に通じ、多くの著作をものにした、東洋哲学の巨星、井筒俊彦(1914−1993)は、ある著作で、つぎのように書いている。少々長いが読んでいただきたい。

ボッチョーニの「アトラス」

カテゴリー: KUADブログ, 愉快な知識への誘い |投稿日:2018年9月25日

池野 絢子(教員)

図1:《若き巫女》の複製図版、掲載誌不明

図1:《若き巫女》の複製図版、掲載誌不明

 20世紀を駆け抜けたイタリア未来派のなかで、実践と理論の両面で一際注目すべき活躍をしながら、従軍中の不慮の事故が原因で早逝した芸術家、ウンベルト・ボッチョーニ(1882–1916)。そのボッチョーニが残した貴重な資料がヴェローナ市立図書館で再発見され、2016年にミラノのレアーレ宮殿、およびロヴェレートの近現代美術館で開かれたボッチョーニ回顧展で初めて一般に紹介された。

池野 絢子(教員) 「黄金のアデーレ」(2015年)という映画をご存知でしょうか。グスタフ・クリムトの描いた《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》(1907年・図1)という絵画をめぐる物語です。金地の上に美しく着飾った女性が豪華で装飾的な技法で描かれた、クリムトの代表作の一つであり、大変魅力的な絵画なのですが、映画は制作経緯の話でも、クリムトの生涯の話でもありません。そこに描かれた女性アデーレと、その作品の所有者をめぐる物語です。