佐藤守弘(本学講師)
〈リテラシー〉という言葉は、「読み書き能力」を意味する。したがって〈メディア・リテラシー〉とは、メディアを読み解く能力のことである。印刷メディア、テレビ、インターネット。私たちは現在、とてつもない量の情報の洪水に曝されている。欧米の教育現場では、それらを批判的に解読する能力を身につけさせるプログラムがさまざまに行われている。ジャーナリストである著者は、それらの現場における情況、あるいは問題をレポートする。これは、美術史/芸術学が培ってきた、視覚的なものを解読する能力の涵養とは、決して無関係ではないはずだ。
*記事初出:『季報芸術学』No.15(2001年12月発行)
佐藤守弘(本学講師)
明治期に西洋から移入された「美」や「芸術」という概念が、どのような摩擦を引き起こしながら、定着し、制度化されてきたのか。美学/芸術学/美術史の研究者たちのあいだで──さらには現場の制作者までも巻き込んで──この問題が 活発に討議されるようになってから随分経つ。多くの研究者が、この問題を自覚し、さまざまな「神話」の解体に取り組んできた。
佐藤守弘(本学講師)
「ものを見ることとはどういうことか?」本書はこのような疑問から出発する。『ものの見方』という原題を持つ本書は、4つの章──「複製技術」「女性ヌードとフェミニズム」「所有形式としての絵画」「広告」を扱ったもの──からなる。すなわち、私たちのものの見方とは、先験的なものでは全くなく、社会的に構築されたものである、ということをさまざまな事例を通して明らかにしていくのが、この書の目的である。
佐藤守弘(本学講師)
タイトルだけを見ると、芸術学とはまったく関係がなさそうに思えるが、実は本書は視覚文化論の必読書とされているものである。著者は、19世紀ヨーロッパに網目のごとく張り巡らされた鉄道が、人々の知覚──特に視覚──にどのような影響を与えたのかを綿密に検証する。鉄道の窓からの眺めは、それ以前の移動において経験されたどんな景観とも違う。
上村博(本学教授)
本書は「ルネサンスの女性論」シリーズの3冊目である。既刊はピッコロミーニ『女性の良き作法について』、フィオレンツォーラ『女性の美しさについて』であり、女性像についてルネサンス期に交わされた議論が直かに日本語で読めるのは幸運である。本書は著者ルイジーニが夢の中でとある別荘におもむき、貴顕淑女と会話して三日間すごす、という設定をとっている。
佐藤守弘(本学講師)
本書は、タイトルから連想されるような古代から現代に至る「日本美術の流れ」を記した通史ではない。編者たちはまず「美術作品」をコミュニケーション・メディア、すなわち〈注文→生産→流通→消費〉という一連の過程の中で、情報を伝達する媒体(メディア)として捉えて、そのコミュニケーションの全体像を明らかにする。
佐藤守弘(本学講師)
1839年、写真術が発表されて160年余が経った。本書は、その間に登場したさまざまな技法や思想を多角的に説明するキーワード集である。挙げられた項目は125。それぞれの項目は、有機的にリンクしている。例えば「バウハウス」を調べると、「ニュー・ヴィジョン」や「ストレート写真」という運動と関係していることが判り、「建築写真」というジャンルとの関係、「フォトグラム」という技法との関連も出てくる。
佐藤守弘(本学講師)
最近、久しぶりに大好きなアーロン・エルキンズのスケルトン探偵シリーズを読み返した。主人公は形質人類学者。古い骨を観察し、触るだけで、その人間の性別、年齢はおろか、生きていた時の職業や性向まで当ててしまう。いうまでもなく、これはシャーロック・ホームズ以来の伝統を継いだ探偵像である。探偵小説/推理小説とは、一九世紀後半に生まれた新しい文芸ジャンルである。
佐藤守弘(本学講師)
一八七三年、日本政府ははじめて公式に万国博覧会(於ウィーン)に参加した。その時の総責任者であった佐野常民は、報告書に言う。博覧会とは「眼目の教」──すなわち視覚的情報によって人々を教化する装置──であると。まさしくその通りで、博覧会の伝えたメッセージとは、時には国威の発揚であり、帝国主義イデオロギーであり、また時には消費文化の振興でもあった。
佐藤守弘(本学講師)